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ASDと「共感」について。

自閉症スペクトラム(ASD)当事者の感情への関わり方については以前の記事でふれましたが、ASD当事者は自分の感情を他人と共有しようとせず日頃の会話においては相手の話の事実のみに関心が向いているように見えることがあります。このため、事実と自分の感情を交えて会話し相互理解を深めるコミュニケーションのスタイルに慣れている定型発達者はASD当事者と話をすると話の「事実」だけに着目して反応されるので戸惑いを覚えると思います。
しかしASD当事者である私の感覚で言うと「相手が置かれた状況(=事実)が自分にとって納得できて初めて相手の気持ちを受け入れられる」のがASD、「状況に関係なく相手の気持ちを想像し寄り添うことができる」のが定型なのだと思います。

「事実ファースト」で考えるASD

「事実ファースト」の場合、まず相手の話の状況や背景に注目しその次に相手の気持ちに注目することになります。このため、相手の話の背景が自分にとって納得いかない場合、その背景の原因追求や解決に関心が向いてしまい相手の気持ちに関心を向けることが難しくなります。

例えば、「友達が今お金に困ってると言うから10万円貸したらそのまま連絡取れなくなっちゃったんだよね、『すぐ返す』『絶対返す』と言われたから貸したのに」と言う相手に対して「それは貸した方も甘い」「いくら友人でもそんな金額貸しちゃダメだよ」と思う人がASD当事者には多いのではないかと思います。相手の話の中に「辛い」「悔しい」という言葉が入っていない場合はなおさら「友人に貸したお金が返ってこない」という事実にのみ関心が向いてしまうでしょう。

しかし定型発達者の場合は「友人に貸したお金が返ってこない」という事実と共に相手の話の中に隠された「辛い」「悔しい」という気持ちを読み取り「それはひどい」「人としてありえない、許せない」と同情や共感を示します。ASD当事者の中には「辛いとかひどいとか言ったところでお金は返ってこないんだからさっさと諦めるか取り返す方法を考えればいいのに」と思う人がいると思いますが、多くの定型発達者、特に女性の場合は自分の「辛い」という感情を他人に受けいれてもらうことで次のステップに進めるのだと思います。

そもそも「友人だからと信じた自分が甘かった」ぐらいのことは本人も痛いほど認識していることなので、それを「辛かったね」と同情を示す前に「次は気をつけたほうがいいね」みたいなことを言ってしまうと相手は「そんなことはわかってる」とかえって腹を立ててしまうことでしょう。

事実と関係なく「相手の感情」に注目する

私はASDでもINFP(内向・直感・感情タイプ)なので本人に落ち度があっても「悲しい」「辛い」という気持ちに比較的共感することができますが、「本人の自業自得だとわかっているものには「辛い」と言われても共感できない」と言うASDやそのグレーゾーンの人もいます。私の妹がそのタイプです。
以前妹から「何でLuちゃんは理由関係なく相手に共感できるの?」と聞かれたことがあるのですが、それに対し私は「カウンセラーのつもりで話を聞けばいいんだよ」とアドバイスしたことがあります。

カウンセラーは相手の話を詳細に聞きますが、その背景となる「事実」については最初から評価したり批判したりはしません。まず相手が思っていることを全て言い切るのを待ち、その後その思っていることについて同意や承認を示します。「あなたの感情は正しい」というメッセージにより相手に安心感を与えるわけです。
慣れない間は「とにかく話の背景(=事実)は無視して相手の気持ちにのみフォーカスする」でもいいかもしれませんね。
定型発達者の場合は相手が事実に注目してほしいのか相手の感情に注目してほしいのかを声のトーンや表情で判断することができますが、ASDの特性があるとそこはなかなか難しいので「とりあえず感情に注目する」習慣を身につけるといいかもしれません。
定型発達者でも相手の相談に対して「アドバイスがほしいの?話を聞いてほしいだけなの?」と前もって確認する人がいます。親しい間柄ならそのような事前確認も有効だと思います。

注意しないといけないのは「相手の感情を理解する」ことと「自分も感情的に反応する」ことを混同してしまうことです。定型発達者に擬態しようとするASDがよく陥る間違いの一つだと思います。

相手の「辛い」原因が自分のASD特性にある場合

定型発達者とASD当事者がパートナーである場合、定型発達者はASDパートナーとの意思疎通の困難さに心が折れたり孤独感や虚無感を抱えることがあります。
その「あなたは他人に共感できないから私は辛い」ということをASD本人に訴える定型発達者も少なくないと思います。
このように言われて「何でそれをわざわざこっちに言うの?」「共感してもらえる人に話を聞いてもらえば?」と考えるASD当事者は少なくないと思います。
被害者意識が強いタイプだと「俺が悪いというんだろ」「どうせ私は人に共感できないよ」と反発する人もいるでしょう。

このように感じてしまうのは「私は辛い」という相手の「感情」よりも先に「自分が他人に共感できない」という「事実」に関心が向いているからだと思います。「共感できないこと」に対して原因追求や解決をしようとするあまり、相手が求める「共感」(←自分の「辛い」という気持ちに寄り添ってもらうこと)からどんどん離れてしまうのですよね。

また、相手に共感をしようと頑張るASD当事者がやりがちなのが「共感してあげられないのが辛い」と返してしまうことです。自分の共感できない特性ゆえに相手にストレスを与えていることについて罪悪感を感じているわけですよね。
しかしこのように言われると定型発達のパートナーは気持ちが楽になるどころか「私が「辛い」と言ったことであなたを辛くさせてしまったの?」と余計に辛さを抱えてしまいます。何故なら相手の「辛い」という訴えに対して「私も辛い」と返しているに過ぎないからです。

ここでも「カウンセラーのつもりで話を聞く」というというのは有効な方法です。カウンセラーは相手の話を聞くときに自分の話はしません。終始一貫して「あなたは辛いんだね」という意識で話を聞くのがポイントです。「自分が共感できないこと」でなく「相手が共感されないこと」に視点を置くと相手の辛さを比較的すんなりと受け入れられるのではないでしょうか。

定型女性とのコミュニケーションにおいては「あなたにとって共感されること、相手と気持ちを伝え合うことはとても大事なんだよね。それができないと辛いんだね」とまず相手の「辛さ」「悲しさ」「寂しさ」を受け止めてあげること。その次に「何故できないのか?」「じゃあどうするか?」と原因追求や解決方法を考えると上手くいくことが多いと思います。

余談ですが定型女性は全ての人に対して「共感」を求めるわけではありません。「共感を求める」というのは「相手に心を開く」ことでもありますから、自分が興味を持たない、関わりたくないと思う相手には「共感」を求めたりしないのです。
「共感してあげられなくて辛い」と思うのでなく「共感を求めてくれてうれしい」と思いたいものですね。



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