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「勉強しなくてもできる」の落とし穴

 「子供の頃は特に勉強しなくても難なく覚えられたのに、歳を取って思うように覚えられなくなったときにどうしたらよいかわからなくて途方に暮れる」という人は少なくないと思います。私もその一人です。

 小学生の頃は授業に集中できず遅刻や忘れ物で度々担任の先生に叱られてはいましたが、視覚的な記憶力の良さで教科書や参考書を読めばたいていの内容は頭に入るので試験の成績自体は悪くはなかったですし、中学に入ってからも(クラスの同級生とうまく関われない反動から勉強に逃げたということもありますが)学年上位の成績をキープし当時は県内の公立ではトップクラスと言われた県立高校に無事合格したばかりの頃は「私って頭がいい」と勘違いしたものでした。

 ところが高校の授業が始まった途端、「何かおかしい」という違和感を覚えるようになりました。中学時代はノートを取れば容易に覚えられた授業の内容が、すっと頭の中に入りにくくなってしまったのです。ノートを取ること自体、中学時代と同じ方法では授業のスピードについて行けないことにストレスを感じるようになりました。それまで試験では80点を下回ることなどめったになかった私が高校に入って初めての中間試験で生まれて初めて「赤点」を取る羽目になり「何でこんな単純な試験で点を落とすんだ。信じられない」と先生や同級生から呆れられたものです。
 「このままでは高校なのに留年してしまう」と慌てて家で教科書やノートを読み直したり書き写したり「勉強のようなもの」に取り組んでみたものの、内容が一向に頭に入らずストレスが溜まるばかりでした。
 成績も下から数えたほうが早く、期末ごとに親に通知表を見せるのも憂鬱でした。高校卒業後四半世紀以上経っていますが、今でもあまり思い出したくないエピソードです。

 先日、実家に帰省した折に母とお互いの子供時代の話となり、母が「私、子供の頃は特に勉強しなくても何でも覚えられて小中学生の時は先生からも褒められて学校でも『優等生』で通ってたし、勉強のできない子のことは『何でこんな簡単なことが覚えられないの?』って思ってたのにいざ自分が高校に入ったら授業について行けなくなってどんどん成績が下がってしまったのよね」と残念そうに話すのを「私も、まったく同じ!やっぱり親子だね」と笑ったものでした。
 私や母のように記憶力と興味対象に対する集中力だけで小中学校時代の試験を無双していたようなタイプは継続的な勉強の習慣が身につかず、高校以降失速しやすいのかもしれません。

 私は長年のフィギュアスケートのファンなのですが、ジュニアの頃は高難度のジャンプを軽々と跳んで天才少女と騒がれた女子選手が、シニアに上がったあたりで思春期の体型変化の影響で思うようにジャンプが跳べなくなり成績が低迷するというパターンを数多く見てきました。
 ジュニア時代の体重の軽さを利用したジャンプをシニアでも維持したまま好成績を上げる選手は数少なく、多くの場合は体型変化のタイミングで筋肉の力を利用したジャンプへと跳び方を変える必要があると言われますが、既に子供の頃から数えきれないほど練習して身体に覚えさせてきた技術を別の技術に切り替えることは相当の時間がかかることでしょう。したがって成績が低迷するシーズンもあって当然なのですがジュニア時代から常に優勝を期待され続けてきたトップ選手ほど葛藤は大きそうです。
 学びのプロセスもこれと似て、子供時代に単純記憶だけで通用していた人ほど、覚えないといけない知識量が単純記憶できる量を超えてくる高校以降のカリキュラムについて行けず挫折しやすいということなのかもしれません。子供時代に慣れ親しんできた勉強のスタイルが高校以降まったく通用しなくなって愕然とする経験を私も身をもって体感しました。

 私の周りを見ていても、高校以降もトップの成績を維持できている人は子供の頃から継続的な勉強の習慣が身についている人でした。我が家でもなまじ幼少時の記憶力が良かったために勉強の習慣が身につかず高校以降に失速した私や母よりも、記憶力はさほど突出していないながら小中学生の頃から地道にコツコツ勉強してきた妹のほうが高校以降も大崩れせず難関大学に現役合格で進学しそこでも成績優秀者として表彰されています。
 元の記憶力などよりも「継続的に勉強する習慣」や「自分に合った学習のスタイル」が子供の頃から身についている人のほうが後々伸びるということなのでしょう。

 「勉強しなくても覚えられる」タイプは「天才」のイメージと結び付けられ、「地道にコツコツ勉強して覚える」タイプよりもスマートでイケているように見えるかもしれません。しかし真に優秀な人というのは一見「勉強しなくても覚えられる」風を装っていて、実は幼少時に「自分に合った学習のスタイル」を確立済で、他人には見えないところでコツコツと継続的に勉強している人のほうが多いと思います。その学習スタイルが自分に合っているから「勉強している(させられている)」というストレスも感じることもなく、人から勉強法を聞かれても「んー、別に大したことしてないよ」みたいな感想になるのでしょう。

 真にうらやましいのは「勉強しなくてもできる人」よりも「勉強を『勉強』と思うことなく継続できる人」なのかもしれませんね。

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