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「わかった」はずなのに行動が変わらない理由

よく、定型発達の人が身近に関わっている発達障害疑いの当事者(パートナー・同僚・部下など)について「あの人は『わかった』と口では言うけど(問題)行動が全然変わらない。本当のところわかってないんじゃないか」とこぼす場面を見かけます。
「発達障害の人は『言葉でハッキリ言われなきゃ気づけない』というからキチンと言葉で説明したのに何故伝わらないんだろう…」と悩む場面でもあります。
何度も言い方を変えたり具体例を挙げたりして繰り返し説明しても本人は動こうとしない・行動を変えようとしないので、説明する側は徒労感に苛まれるのではないでしょうか。
「自発的に動けない」「言われた通りのことしかしようとしない」もイライラしますが「これ以上ないというぐらい手順を細かく言葉で全部説明したのに動かない」というのは何やら反抗的ですらあり腹も立つことでしょう。

恥ずかしながら私も過去に「何度も人から私の問題点や直すべき点を指摘されたけど、その通りに動けなかった」ということがよくありました。
毎日のように遅刻する、宿題をやってこない、忘れ物が多い、授業中に寝てしまう、授業中質問に答えられず泣いてしまう、同級生と上手く関われずクラスで孤立してしまう等々…周りを困らせ心配させるような問題行動が私にはたくさんありました。
これらを自分で直さないといけないことは「頭ではわかっていた」のです。しかし行動が変わらないことでさらに怒られたりすることもしょっちゅうでした。
おそらく周りの人たちから見ると私はひたすらルーズで、しかも頑固でわがままで反抗的に映ったと思います。問題行動は大学に入ってからもなかなか改善できず、卒業時には指導教授の一人から「社会人になるのだからもうわがままはやめようね」とかなり厳しい口調で諭されたことが今も鮮明に記憶に残っています。

「頭でわかる」と「心から納得する」とのギャップ

私には問題行動がたくさんあり、それがどういうものかがわかっていて、直さないといけないという認識は「頭では」ありました。では何故すぐ行動に移せなかったのでしょうか?当時の自分の心の動きをトレースすると、どうやら「頭ではわかる」というのは「一般論としてわかる」という意味で、他人事として捉えている状態なのではないかと思い至りました。
いくら私でも「授業中に寝てはいけない」「宿題はやらなければいけない」ということ自体は常識として「わかっている」わけです。しかし多くの方が私に期待する「自分が授業中に寝てしまうことに対する反省」があったかというとはなはだ疑わしいです。
他人事だから自分は傷つかない。ゆえに抵抗感を覚えることなく受け入れられるのだと思います。自分が問題の当事者ではなく評論家のようになってしまっていたのですよね。

ところが「納得して行動を変える」ためには問題を一般論でなく「自分ごと」として受け入れることが要求されます。他の誰でもない「私に」問題がありそれを「私が」解決または改善しないといけないという認識を持つことが求められるわけです。
当時の私はこの「自分ごと」化ができていなかったのだと思います。その原因として「内的欲求の欠如」というのが考えられます。物事に対する自身の興味やモチベーションの有無が極端にパフォーマンスに影響してしまう特性持ちにとって、「私は直したい」「私は変わりたい」という内的欲求が必要でした。「一般論」から「自分ごと」に落とし込むには「やらなければいけない」という義務感だけでは不十分で、「私がそれをやりたい」という理屈ではない内的欲求に突き動かされることで初めて行動に移すことができるのです。
一つ注意したいのは、「それができればいいなあ」という願望レベルで留まっていては効果がないということです。本人の特性に先延ばし癖や受け身思考がある場合「それをしないと自分が困る」「それをしないと気が済まない」レベルに追い込まないと、実際の行動に移すことはなかなか難しいかもしれません。

「それをやりたい」「変わりたい」という内的欲求を育てるには

「問題は改善しないといけない」という「一般論」から「私の問題を改善しないといけない」という「自分ごと」に落とし込むために必要な内的欲求を育てるには「自分はどういうときに「変わらなきゃ」と思うのか」という自己分析が必要だと思います。
「自分は『敢えて自分を窮地に追い込まないとやる気が出ないタイプ』なのか?それとも『褒められることでさらにやる気が出るタイプ』なのか?」など、過去の経験から導き出すのがいいかもしれません。
ちなみに私自身は豆腐メンタルなので自分のことを「褒められれば頑張れるタイプ」だと認識していましたが、過去のいくつものやらかしエピソードから判断するに実はどうやら「窮地に追い込まれないと必死になれないタイプ」のようです。このようなタイプは過去のやらかしエピソードを時折思い返して「日頃からちゃんとしておかないとまたあの時のような黒歴史を繰り返してしまうぞ」と自分に言い聞かせることで、半強制的に「変わらなきゃ」の内的欲求を引き出すのが(私の個人的経験からも)効果的です。
もっともこの方法はあまり自己肯定感が上がらないので時々は「自分にご褒美」をするのがお勧めです。どんなに改善・進歩の幅が小さくても「他の人には当たり前のことかもしれないけど私にとっては凄いことなんだ」と自らを肯定的に認めることで「私は変わりたい」というモチベーションが維持され、さらに先に進むことができると思っています。


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