見出し画像

つながる鼓動 短編


 石畳の上にじかに座りながら、懐かしそうに朝陽は語る。
「衝撃だったよ、あの日は。まるで世界がひっくり返ったみたいだった」
 となりで絵を描いているその女性は、筆を止めてフフッと微笑む。 
 横浜赤レンガ倉庫そばの海辺。ふたりが眺めている水面は、朝日を受けて輝いている。


四年前の春

その日も、ごく普通の一日が始まるはずだった。

まだ眠っている家族を起こさないように、朝陽はそっと玄関を出る。

さえずる鳥の声を聞きながら、朝陽は走りはじめる。
日課の早朝ランニング。

いつも通る浜辺。
その途中にある白い洋館の前。
砂浜に降りる石段に、このあたりで見たことのない女のひとが座っていた。
大きなスケッチブックに絵を描いている。

その女性の後ろを通りすぎるとき、朝陽は何気なしにチラッとその絵を見た。
瞬間、思わず足を止め叫んだ。

「うわっ、…これ、オレ?」

その声に、女性が振り返った。
けだるそうな表情のなかで、妙に光る目。
ひとつ結びされた薄い茶色の髪のすそは、先が大きくはねている。

「気のせいじゃないの?」
手に絵筆を持ったまま、その女性はにんまりと笑った。
二十代半ばくらいに見える。

「このジャージ、うちの中学のだけど」
朝陽は、絵の中の一中ロゴを指さした。
女性の視線は空とぼけた。
「まあでも、この辺の子みんなが着てると思うんだよね」

絵の中の靴に、朝陽の視線がうつる。
「このシューズだってオレが履いてるのと一緒だし」
蛍光オレンジのシューズを女性に向けた。
名前とちがって地味な自分が、めずらしく選んでいる派手色。
「まあでも、こんな靴ってよく見かけるからね」
「どこが」
「ほら」
女性は、朝陽に足を見せた。
蛍光グリーンだ。

朝陽はグッと言葉につまった。

その女性はかすれた色のシャツやパンツを身に着けてるのに、靴だけ蛍光で浮いている。
なんだかおかしい。
おかしいけれど、反論できない。

朝陽は絵を指さした。
「だって、この顔オレだよ」
その女性が続けて言おうとする言葉に、朝陽は先手を打った。
「…まあ、自分の顔って、よくある顔だけど…」
女性は少しシニカルな目つきになり、でも楽しそうに笑った。
ニヤニヤと、朝陽の顔も見ず言う。
「そうだよね、目立たないよねぇ」
他人から言われるとなんかイヤだから、自分で言ったのに
ダイレクトなひとだな…
朝陽は少しムッとした。
「どうせオレは平凡ですよ」
「…いや、そんなことない。きれいな【顔骨】してるよ」
「かおぼね?」
そんな単語聞いたことない
「あと中学生にしてはずいぶん背高い」
「バレーボール部なんで」
「ああ」

女性はスケッチブックからその絵を切り離した。
「あげるよ、これ」
「え…」
「【君の絵じゃないけど】、どうぞ」
どうぞ、という言い方も皮肉ぽい。
「要らないですよ、これオレじゃないんでしょ」
「よく見てみなよ」

朝陽のそばを通りすぎながら、その女性は白い洋館に向かって歩いていく。
うしろから朝陽は聞く。
「てことは、これ、やっぱりオレなんだ」
「人から答えをもらわないで、自分の目で確かめなよ」
女性は手を振りながら、背の低いうしろ姿で洋館の中に入っていった。

白いカベに緑の柱で建つレトロなたたずまいを、朝陽は見上げる。

ふだん誰もいない洋館で、誰の家なのか今はこの町の人間にもわからない
このひとが引っ越してきたのだろうか

朝陽は手元の画用紙に目を落とした。
水彩絵の具の青みどりの海。
砂浜を家に帰る方向に走っている自分。

軽い筆あとなのに、
自分も海も、絵のなかで動いてるみたいだ

よく見てみなよ

そう彼女が言わなくても、その絵を朝陽はくまなく見る。

これ、やっぱりオレだよなぁ…
ジャージ、シューズ、顔、
合わさると別のヤツとは思えない

画用紙の上に、潮のかおりが吹いてきた。

どちらにしても、その絵には、朝陽にもわかるオーラのようなものがあった。

よく描いてくれてる…

それでいて、ここしばらくの朝陽の悩みまで、表情に透けてみえるような絵だった。

…なんなんだろうあのひと

射るような彼女の目線が、頭について離れない。



次の朝も同じように、朝陽はランニングに出た。
洋館前の石段で、昨日と同じようにその女性はスケッチブックに向かっていた。

「やっぱり、オレだ」
そのひとの斜めうしろで、朝陽は足を止めた。
てきとうな結びかたの髪は、今日もすそが外にはねている。

また別の絵がそこにあった。朝陽そっくりの。

「角度変わってるけど、オレですよね?」
走る方向が、昨日の絵と逆になっている。
彼女は皮肉ぽい口で、にんまりをこらえている。

朝陽は横から絵と女性をのぞきこんだ。
「あのー…会ったこともないのに、なんでそっくりに描けるんですか?」
朝陽の質問に女性はふり向かず、手を動かしている。

ごく薄い灰色がまじった白い石段のうえに、今日は絵の具でなく、色鉛筆が置いてある。
「会ったことないと決めつけるのはどうだろうね」
「え」
どこかで、会ったことあった?
朝陽は必死に記憶をたぐりよせた。
忘れてたら失礼だよな

昨日もらった絵に描いてあったサイン…
「あの、アマガセ・レンさんでいいんですか?名前」
「そうだよ」
「そんな知り合い、いないんですけど」
「ほんとの名前じゃないかもしれないよね」
「そっか、ペンネーム」
「天ヶ瀬蓮ね、自分の名前だよ」
「え、ペンネームじゃなくて」
「ペンネームだけど、わたしの名前」
朝陽は天ヶ瀬蓮の言うことに、わけがわからなくなった。
「本名言いたくないだけですか?」
「本名より、わたしなんだよ」
朝陽は頭をかかえそうになった。
このひとが何言ってるのか、わからない…

くもり空の今日の海は、あいまいな色だった。
そのさざなみの音が、ただ耳に入ってくる。

「…あの、オレとどこかで会ったことあるんですか?」
そう朝陽が言うと、蓮は振り向いた。
悲しそうだ。
「すっかり忘れてるんだ」
朝陽はあせった。
どうしよう、思い出せない

「ここの洋館、私の友達の親が金持ちで、買って別荘にしてね」
「ハイ」
「その友達にくっついて、前にここに遊びにきたことがあるんだよ」
「そうだったんだ」
「そんときやっぱりこの浜辺に君がいて、たまたま会話したんだよね」
朝陽の頭は、必死で記憶をひねり出そうとする。
ああ、こんなひねくれた感じの人と会話しておいて、なんで覚えてないんだろ?

「オレと、なにを話したんですか」
「何歳かな君は?って」
「え」
「5さいって答えてたよ」

多分、いま自分のこめかみには絵文字の怒りマークがついてるだろう、と朝陽は思った。
「迷子の君に、すぐお母さんがかけつけてきてね」
大笑いの絵文字マークを隠しているような蓮の顔だった。

「なにそれ、覚えてるわけないじゃん!」
「わたしは覚えてるけどね」
「5歳て、今すっかり変わってるよ」
「あー、べつの子だったのかなぁ」

結局、会ったのか会ってないのかはぐらかされて、朝陽はモヤモヤとした。

会ったことのない自分をなんでそっくりに描けるのかも、教えてくれないんだろう、どうせ

「もーいいです、ランニング途中なんで」
蓮はスケッチブックからまた一枚外した。
「はい、今日の絵」
背景に描かれた海が、灰色に近かった。
「こんなの、いらな…」
しかし不思議と、昨日よりさらに何かが増してるようにその絵は見えた。

絵を朝陽の手のうえに置いて、蓮は石段から立ち上がった。
かすれ紺色のボトムについた砂が落ちる先で、
緑のスニーカーが、うごく足に沿って玉虫色を放った。

「君はなんていうの、名前」
蛍光オレンジのシューズに視線を逃しながら、朝陽は答えた。
「東本朝陽」
「あさひ、か」
蓮は洋館に歩いていった。
「バレーと進路のこと、というとこか…」
「え?」
低い身長が、装飾のついた扉の向こうに消えていった。

どういう意味

そう思いながらも、
朝陽の身は、ランニングと関係ない汗をじんわりとかいていた。




朝焼けが海に映えていた。
洋館の前、いつもの石段に天ヶ瀬蓮はいなかった。

心のどこかでほっとしながらも、朝陽の目は浜辺をぐるりと見わたした。
砂を這っているハマヒルガオの閉じた花弁しか見えない。

軽くついたためいきの意味が自分でよくわからないまま、朝陽は再び走りだそうとした。
そのとき、斜め上から声がした。

「わたしがいるか探したよね?」

洋館の左二階窓、レースカーテンの隙間から、
ひねくれた口がにんまりしているのが見えた。
「探してませんよ」
朝陽が言い返すと、ピシャッとカーテンが閉じられた。

なんだこいつ

腹を立てそうな朝陽の耳に、階段を降りる足音が館の外まで聞こえた。

「俺忙しいんですよ、今日は部の朝練あるし」
蓮が降りてきた前で、朝陽は少しそっぽを向いた。
「ふうん。なのに学校のジャージじゃないんだ」
あ…しまった
「あ、汗臭くなるとわるいし、学校ジャージ着てたのここ二、三日だけで、いつもは別の着てて」
「朝練ならこのまま学校行かないと間に合わないんじゃないの。あれ、バッグもなにも持ってないなぁ」
蓮のニヤニヤが加速する。
さらに悪いことに、朝陽のお腹が鳴った。
蓮は声を出して笑った。
「まだ朝ごはん食べてないんじゃん」
朝陽はあきらめた。
「はいはい。これから帰って朝飯食べるんで」
「まあ、いいじゃない。今日はちょっと話そう」
蓮は石段に座った。
「ずいぶんマイペースだなぁ…」
しかたなく、一段うしろに離れて朝陽も座った。

「一か月くらい前かな、ここの海が見たくなってね、友達から借りて住みはじめたんだけど」
はねた結び髪の横顔で、蓮は言った。
「毎日朝窓から海見てるとさ、君がいつも同じ時間に走ってきて、走ってるかと思えば、ぼうっと立ち止まったり、うろうろ歩いたり、一定してなくて、気になってね」
「え…」
朝陽は目を見開いて、蓮の斜めうしろをまじまじと見た。

毎朝…見てた?
それより、気になって、とか、
急に素直だなこのひと…
「だから、きみが普段はフツウのジャージで走ってるのも、海をながめてはため息ついてるのも知ってる」
シューズはいつも同じみたいだけど、
と蓮は付け足した。

そこまで、見てたのか…
だからオレをそっくりに描けてるんだ

「…あの、もしかして、心配してくれてたんですか」
蓮は首を横にふった。
「心配とかはしてないんだけどね」
「いや、そんなハッキリ言わなくても」
まあ、このひとだからそんな返事だろうけど。
朝焼けの帯が海の上にぼんやり乗っている。

「自分は、有名なイラストレーターをしてます」
突然の蓮の言葉に、また朝陽は目を見開いた。

「どおりで…正直めちゃくちゃうまいと思った」
「そう」
ケンカ越しだったの悪かったかな
あやまろうかどうしよう

朝陽は座りながら、蓮のほうに背すじをのばした。
「ほんと、こんなオレのことあんなよく描いてもらって」
ばらいろの空を見あげながら、蓮の横顔はにやりとした。
「うっそ。ただの無名のイラスト好きだよ」
「え」

このひと、ほんとどういう性格してんの

朝陽のこめかみにまた怒りマークが沸いてきた。
怒ってるのに、間の抜けたタイミングでまたお腹が鳴った。
蓮は遠慮なく笑った。

「ああ、朝陽はそろそろ朝練行かなきゃいけないかなー?」
「朝練なんかないのわかってるくせに。もういい、帰る」
立ち上がろうとした朝陽に、蓮は折った紙きれをポケットから出して差しだした。
「そんな無名のひとの絵なんか要らないから」
朝陽は顔をそむけた。
蓮は、横を向いている朝陽をじっと見ている。
「無名でも、良いと思ったならそれが答えじゃないの?」
「…」
「わたしが有名ならうまくて、無名ならヘタになるのかな」
「…そんなことは…」
朝陽より先に立ち上がって、蓮は洋館に帰っていった。

渡された紙を開けてみると、
やっぱり朝陽の絵だった。

考えごとをしながら、海を見ているときの姿だ。

絵の具の筆のふちできれいに描いてあるこれが、
かおぼね、というものなんだろう

こんな絵を描くんだから、オレの悩みまで、気づいてしまうのかな

朝陽は、蓮の入っていった洋館の扉を見つめた。

…天ヶ瀬蓮
とてもひねくれてるけど、そのイラストは、

【オレってこんなやつだったんだ】
って、発見できる絵なんだよな…

もっと、このひとの絵が見たい
そう朝陽は思った。


「あさひ、何ぼうっとつったってんの」
声にはっとした。

同じ一中三年生でバレー部の林が、
自転車に乗ったまま、朝陽の手元をのぞきこんでる。
林の左眉毛は、いつもゆがんでいる。
市内でもイマイチな一中バレー部のなかで、同じポジションを争っているライバルでもある。

「へえ、これお前じゃん、すげぇそっくりだわ」
「そうかもな」
朝陽は紙をたたんで、ジャージのポケットにしまった。
「さっき女と話してなかった?」
「…落し物拾ってくれただけ」
「その絵描いたのその女?」
「ちがうよ、林の知らないやつ」

ふうん、と嫌味な顔で林は朝陽の肩に手をかけた。
「部活一の長身あさひくん、絵なんかに興味持ってないでバレーに集中してね?あさって三中と試合なんだから」
「…」
すかした漕ぎかたで、林の自転車は去っていった。

ふん
先生のいないとこじゃ練習もサボるやつに、集中うんぬん言う資格ないだろ

骨ばった林の背中が遠くなっていく。

あいつはいつもスタメンで、自分は控えだ

オレと似たりよったりなアタック決定具合で、しかもブロックとサーブはオレのほうがいいのに、どうして林のほうが選ばれるんだろう

そう思ってても、他のメンバーにもまして顧問にも、何も言えない自分。

その顧問の先生も、小学時代バレー部だっただけという素人同然な人なんだけど…

林はなぜか普段から、顧問に気に入られてるみたいだ
でもこれを言ったら、ひがんでるみたいかな
オレだって、すごくうまいわけじゃないし…

イマイチな一中バレー部のなかですら、スタメンになれない自分か…

朝焼けは、いつもの空の色に変わっていた。
海も、いつもの青緑に戻っていた。
 
ポケットにしまった折りたたんだものを出して、また朝陽は開いた。

この絵のなかのオレは、くもった顔をしていつつ、希望も持ってるように見える。
同じ皮肉屋でも、天ヶ瀬蓮とこの林じゃ、なんかが大違いだな‥

ふと洋館の二階を見上げると、
左端窓のレースカーテンに、うっすら背の低い影がうつっていた。

ずっと見てたのかな…

影は窓際から遠ざかった。

林の自転車が消えた方向を避けるように、朝陽は遠まわりして帰ることにした。




雨になりそうな、重いくもり空の朝だった。
それでも、いつものように蓮は絵筆を持って石段に座っていた。

「けっこう活躍してるイラストレーターなんじゃないすか」
蓮の背中に朝陽は声をかける。
今日の蓮はクリップで髪をまとめている。
やっぱり、はねている。

「そうでもないよ…」
蓮は抑揚のない声でそう言った。

今日のスケッチブックのなかは、ただの曇った海。
朝陽は、内心がっかりする自分を隠した。

昨夜、アマガセレンを検索した。
ツイッター、Facebookその他どこにもいなかったが、インスタにたくさんの絵が載っていた。
風景画に、なにげない人物画。
気軽なイラストから本格的な絵画まで色々あったが、
そのどれもあっさりしていて、どこかすねているようで、それでいて動きも心も伝わってくるような絵だった。

朝陽も当然インスタは使っていた。自分の部活とバレーボールリーグのファンネタ。
フォロワーは300人ほど。
【いいね】をしてくれる人も、それなりにはいるが多くはない。

天ヶ瀬蓮はというと…

「フォロワーも万いってるし」
蓮は黙って、濃淡だけで海や砂浜を描いていく。
「無名じゃないよこのひときっと、って思って」
「君はそんな【数】で見るの?」
「…」
このひとのいつもの物言いだった。
なんの疑問も持たず見かけのことで判断すると、そうして突っ込んでくる。

あれ、たった3日会っただけで、
そんなことわかるようになったんだオレ…

「大学時代までは、全然別の分野にいたんだ」
その描く蒼灰色の海もやはりうまかったが、ふっと蓮の手は止まった。
「…絵は好きだったんだけどね」
「意外。イラストレーター目指してたわけじゃなかったんだ」
蓮と同じ石段に、朝陽も座った。
「食べてくためには美大目指してもな、って思ってね」
「でも、絵はむかしから描いてたんだよね?」
「そうだね、本格的にやりはじめたのは、二、三年前からだけど」
そんな短期間にこんなうまくなるもんなのか…
朝陽は驚いた。
「大学のあとは、どっかで仕事してたの?」
「知り合いの会社にコネで。でもこの性格だからね、周りとうまくいかなくてすぐ辞めた」
「自分でもわかってるんだ、性格」
「当然」
そう言われてかえって、蓮は楽しそうだった。

コネで、とか、周りとうまくいかなくて、なんてすんなり言える蓮を、悪いひとには思えない。

ひねくれてても純粋で、まわりに合わせない蓮と、
まわりに合わせて、部でもどこでも何も言えない自分。

そんな蛍光グリーンと蛍光オレンジが、同じ石段に並んでいる。

「雨降ってきたね」
石段のうえに、ぽつぽつと灰色の点ができた。
顔の上に手をかざして蓮は言った。
「続きは館で話そうか」

えっ…
朝陽の肩が固まった。
「庭にあるテーブルにパラソルついてるんだ。雨防げるから」
「な、るほど」
庭か、ちょっとほっとした

洋館のまわりは、ひくい白木の柵でおおわれている。
庭には、すかし模様の彫られた白いテーブルとイスがあった。
座ってみると、海のみえる見晴らしのよい高さ。

小雨で曇っているのが残念だ
まあ、その雨のせいで、この庭にはいれたんだけど

蓮はテーブルのパラソルを開いた。
ハマヒルガオのような淡い傘。
二人は雨から守られた。

「バレーが好きなのに、伸びない自分が悪いんだけどね」
朝陽は蓮に、バレー部でのことを話した。
「打てばわりと決まるんだけど、崩れたトス打つのがうまくないし」
「くずれたとかいろいろあるんだね、トスにも」
「あと、ブロックにもうまく当てられない」
「へえ、当てる、とかするもんなんだ」
知り合って三日の、しかも大人の女性にこんな話を洗いざらい言うなんて、朝陽は自分で驚いていた。

「明日も三中と試合なんだけどね。だいたい林と少し交代あるんだけど」
「その林て子は、くずれたトス、とか、ブロックにあてる、とかいうのは、うまいの?」
「んー…あまり。くずれてない時のアタックは林もオレとそう変わらないんだけど。で、ブロックとサーブがオレのほうがいいから、林がスタメンなのちょっと納得できない」
「顧問に言ってはみないんだ?」
「…打つのは林とそう大差ないし、自分を推せない」
「ふうん…」

雨が弱くなってきた。

「高校は、あえて強いとこに入ってみたら?」
蓮の言葉に、朝陽はピクっと止まった。
「…え、いや、ムリだよ、うちの中学に強豪の推薦なんかこないし」
「推薦でなくて、試験で」
「…」
「強豪高だとしても、試験なら入れる高校あるよね」

なんでこのひとは、言い当ててしまうんだろう

「強豪高に行けば必ずいるから、力を引き出してくれるコーチ」
「…でも…」
「あ、成績ってどれくらいなの学年でも」
「顔と同じく、成績もふつう」
蓮は笑った。
「ふつうに見えて、あんたの顔はなかなかきれいで強いよ、大丈夫」
女性、それも10近く年上の、に、ほめられたことなんかなかった。
大丈夫、なんて言われたら、ほんとに受験も大丈夫な気がしてくる。

中二の冬、志望高アンケート用紙を、クラスも同じ林に見られたことがある。

第一志望の県立東高は、県内トップクラスのバレー強豪高。
何年かに一回くらいの割合で、全国大会に出る年もある。

第二志望の私立西高も、強豪高。
私立らしくスポーツ全体どの部も強い。

「お前まさか東高でバレーする気?」
そう聞かれて、あの時とっさに否定してしまった
「いや…、ちょっとがんばれば合格ラインなだけ、うちから近いし」
そして思ったとおり、林はこう返してきた。
「だよな。どうせ東高バレー部入ってもお前が試合出れるわけないし」
それに対して、朝陽は何も言いかえせなかった。

いつか林のやつを追い越せたら、
それぞれ別の高校で

でも…

一瞬盛り上がった自信も、やっぱり下がってくる。
イマイチなバレー部でこんな自分が、
望まれてもないのに強豪高バレー部に?
いろんなひとの目が、怖い。

「わたしの絵、どうおもう」
突然、蓮が聞いてきた。
朝陽は考えごとからハッと戻った。

「おせじじゃなくて、聞かせてほしいんだ」
張りのある眼が、自分を見ている。
あまりにまっすぐで、思わず朝陽は目をそらした。

「…すごくうまいなと思う」
「うまいって、どんなふうに」
「いや、オレ語彙力ないから、表現難しいけど」
「…」
テーブルのうえに、蓮は頬づえをついた。
絵の具がついてないほうの左指でささえる、左の頬がゆがんだ。
「ここしばらく、思うように描けてなくてさ」
ためいきをつく。

…え?あれで?

「フォロワーもそれなりについてくれてる、仕事依頼もそれなりにはある、けど」
「それで、じゅうぶんでは…」
「でも、描けてないんだよ」
「…」
蓮は頭を左右にふった。

「人の目なんか気にしないたちなんだけどね、わたし」
「…うん。そう見える」
「それでも、評価を気にしはじめたら、描けなくなってきた」
「誰かから悪いことでも言われたの?」
「ううん、誰も」

蓮は、つらそうだった。

悪口言われたわけでもなく、こんなにうまいのに描けなくなるもんなのか

ひとの目に左右されるのは、子供の自分だけじゃないんだな

傘の向こうから、波の音が聴こえる。
テーブルのうえの蓮の右指には、絵の具がしみこんでいた。

「でも、描いてもらった絵のオレは、なんか本人より輝いてたけど」
蓮の顔が、頬づえの上から少し浮いた。
「あの絵がヘタなら、感動したオレがバカみたいだ」

雨がやんだ。

雲のあいだから、光がさしてきた。

「……そっか」
蓮の声の暗さが、うすれた。

「…スランプの絵、きみに渡してるなんて、失礼だもんな」
「そうだよ」

蓮が、笑顔になった。
いつもと違って、きれいな弧を描いた唇だった。

朝陽はパッと目をそらした。

とおくで、ハマヒルガオの葉が風にゆれている。

「そうだね。朝陽を描いてると、筆が乗る」
少しだけ高い声で、蓮は言った。

手も顔も、どこに置けばいいのかわからなくなって、朝陽は身を少し庭の外側によじった。

いつのまにか海には、虹がかかっていた。



次の朝、蓮は砂浜にいなかった。
洋館左二階をみあげても、窓と厚いカーテンがきっちり閉まっていた。

まだ、寝てるのかな
今日、試合あるって言ったから遠慮したのかな

試合がんばれ
…くらい言ってくれたっていいのに

でもこのひと、こんな日こそワザと来なさそうだ

「昨日はわかりあえた気がしたのにな」
小さな声で、ひとり朝陽はつぶやいた。



三中戦、
いつものように朝陽は少し試合に出され、いつものように林も多く試合に出され、
もともと強い三中に、一中はストレートで負けた。

「林のヤツ相手が強いとはじめっからヤル気なくねーか?朝陽が出ればいいのに」
試合の帰り道、部員の父兄が運転するワゴンに相乗りしながら、仲間たちが会話している。
「そのわりに負けるとオレらに八つ当たりしてくるしな、あいつ」
「朝陽出たほうチームもまとまるよなぁ」
「でも林が顧問に気に入られてっからな。あいつ先生達や大人に取り入るのうまいから…」
朝陽は一番後ろの席で、黙ってそれを聞いていた。



試合に負けた次の日くらいはランニングさぼろうかなと思いながら、朝陽はジャージを選んでいた。

学校ジャージより、ずっと大人っぽいブラック。
身長もあるし、これ着たら15歳には多分見えない。
…できれば、はたちくらいに見えるといいんだけど。ムリかな。

そしてシューズは変わらずオレンジを履いて、砂浜に朝陽は走っていた。

今日の風は強めで、いつもより空と海がはっきりと分かれている。

「昨日に限って浜にいないとか」
低い座高の後ろ姿は、今日は髪を結んでいない。
朝陽はいつものようにスケッチブックをのぞきこんだ。

蓮というひとには、いつも驚かされる

絵のなかの朝陽が、ボールを打とうとしていた。

「バレー全然わかんないのに、よくそんなうまく描けるね」
すそがはねてない髪が、肩のあたりで風になびく。
「ちょっとネットで画像ひろって参考に」
その横顔は、いつもの皮肉ぽい口だった。

でも朝陽はうれしかった。
バレーを画像検索してくれたことに。
バレーをしてる自分を描いてくれたことに。

蓮と同じ段に、朝陽は座った。
今日の蓮は、手にクレヨンを持っている。

「クレヨンでもこんな上手に描けるんだ」
「なんでも使い方しだいで、描けるんだよ」
「クレヨンなんて幼稚園のお絵描きでしか使ったことない」
「5歳くらいでの?」
二人は、思わず笑った。
「その話だけど、ほんとに迷子だったの?オレ」
「さあ、どうだろうねぇ」

朝陽は思う。

きっと、蓮の作りばなしなんだろうな
でも、5歳のとき会ってたことにしてもいいか

どっちでもいいんだ
このたわいのない時間が、たのしい

波は荒く砂に寄せていたけれど、空は明るい。

きのう試合に負けたことも、相変わらずあまり試合に出れなかったことも、どこかに飛んで消えていくようだった。

が、強い風と、はずむ会話で、
こんなすぐ後ろに近づかれるまで、その足音に朝陽は気づかなかった。

「あーさーひーくん」
振り向かなくても、すぐ後ろにあるのは林の声だった。

「やっぱりその女の描いた絵なんじゃん。なに、彼女なの?」
朝陽はしかたなく立ち上がった。
「そういうんじゃないから」

浜から少し離れたところに、林の自転車が止めてあった。
そっと歩いて近づいてきていたみたいだ。

ゆがんだ左眉毛で、朝陽の顔をのぞきこむ。
「何がそういう、じゃないのかな?」
その眉はそのうえ、今日はシワが寄っている。
試合に負けた後はいつもこうだ。
努力嫌いの負けず嫌いというのは、手におえない。

「このひとは幼稚園のころからの知り合いで、たまたま絵を描いてもらっただけだよ」
「じゃあなんでこの前、知らないひとが描いたって言ったのー?」
「わざわざ林に言うのめんどくさいだろ…」
「えー俺ら仲間でしょー?」

好きでチームメンバーなんじゃないよ、と言おうとして朝陽は言葉をのみこむ。

林は朝陽の肩に腕をまわす。
「あさひくん、試合もボクより出れてないのに、こんなとこでデートとはね」
「だから、そういうんじゃないから」
「こんなゆるんでるのにあの東高行ってバレーするとか笑うわ」
「林」
「第二志望も西高て書いてあったもんねー、どっちも強豪じゃん」
林は、オレのウソを信じてなかったようだ

蓮は、その間も黙って手を動かしている。
林は朝陽の肩ごしに、蓮のほうに顔を向けた。
「ちょっとお姉さん、絵描いてないで教えて下さいよ。朝陽は東高行くんですか?つきあってたらわかるよね?」

まずいな、林が蓮にからみはじめた
うまく止めないと…

朝陽は林の肩を軽く押して、蓮から遠ざけた。
「だから、この年の差でどうやったら、つきあってるって見えるんだよ」
そう言った朝陽の胸に、軽く痛みが走った。
「えー、早朝デートしてるのに?」
「デートじゃないってば」
「いちゃついてるように見えたけどなぁ」
「だから…」
ああ、どうやったらこのからみが止まるんだ

「林君」

蓮の声が、空気を切り裂いた。
その手がスケッチブックをめくった。
「これ、キミだよね」

「…あ…」
画用紙を見た林の顔が、固まった。

三中体育館。
ウォームアップしてるバレー部。
ずらりとならぶ一中部員。
そのなかであきらかに一人、
手足も表情も、なげやりなのがいる。

蓮の指がさした絵の中のそいつは、
朝陽の目の前にいるこいつだった。

さすがの林も、耳まで赤くなった。
こんな林を朝陽ははじめて見た。

そして朝陽も、別の意味で動揺した。

まさか、このひとが観にきてたなんて
父兄達で応援びっしりだったから、わからなかった

「試合前だっていうのになんだろねこれ」
蓮の声がつめたく響く。
スケッチブックから林は目をそらした。
「くらべてみなよ、朝陽のこの顔と」
見ようとしない林のかわりに、朝陽が見た。

ああ…これが、試合まえのオレ
そうなのか

「林君。朝陽が強豪高に行ったら、今よりずっと伸びるかもよ」
「…まさか」
蓮はスケッチブックの次のページをめくり、
林の顔の前に出した。
「見てみ」

サーブのウォームアップの絵だった。
ボールを持ってる朝陽と林が、ちょうど前後に並んでいる。

「朝陽の持ってるボールは、大事にされてるだろ」
ちらりと見て、林は目をそらした。

きみの持ってるのは、ただの道具に見えるよ

蓮は言い足す。

…チッ
林は舌打ちした。

「デート観戦のついでに描かれちゃいましたか」

なんとか林はひとこと皮肉を吐いたが、それ以上何も言えず、朝陽たちに背を向けた。

林の自転車の遠ざかる音。

風は弱くなり、海は静かになった。

朝陽は立ったまま、頭のうしろに手を組んだ。
「ネットでバレー検索、じゃなかったんだ」

蓮は、きまり悪そうにしている。
「もう少し、黙ってようと思ったんだけど」
蛍光グリーンの足先を、石段のうえでぶらぶらさせた。

だまってなくたっていいのに…

蓮は横を向いたままで、朝陽と目をあわせない。

斜めにねじれたハマヒルガオが、蓮のかわりに、砂の上から朝陽を見上げている。
その花びらも蓮の横顔も、薄桃色にそまっている。

さらにその上から、海から昇った朝日のオレンジが色を重ねている。

「蓮さん」
「うん」
「もし林やほかのやつが」
「うん」
「お前高校で強豪バレー部に入るのかってバカにしても、これからは、ごまかさない」
「うん」
「そうだって、公言する」

蓮は、朝陽をふりむいた。
髪に頬に、オレンジ色の光を受けたその笑顔は、
おどろくほどきれいだった。

一瞬、朝陽は息も出来なかった。



次の朝、
朝陽は傘をさして砂浜を歩いてきた。
スニーカーは雨と泥だらけになりそうで、合皮のくつを履いた。

洋館の二階左窓は、厚いカーテンが閉められている。

庭のわきに、今まで見たことのない大きな車が停めてあった。

そういえば、ここは蓮の友達の親が買った家って言ってたっけ
蓮はそれを今借りて住んでるだけ、という感じみたいだったな

ぱっと、カーテンが開いた。

蓮さん

朝陽がそう呼ぼうと思った時、
まったく別の女性が、レースのカーテンと窓を開けた。
ななめに降る雨のむこうにある姿は、蓮より年上に見え、背が高い。

…どういうこと
蓮が借りてた部屋じゃなかったの?

ぼうぜんと見上げる朝陽に、その女性が気づいて声をかけた。
「どしたのキミ?」

朝陽は思いきってきいた。
「あの、その部屋蓮さんの部屋じゃ?」
「れん?ああ、ペンネームのほうね」
「はい」
その人は複雑な顔をした。
「あたしがここの別荘に行くよって電話したら、昨日の夜のうちいなくなってたんだよね」

…え?

「まったく、あたしの別荘借りといて気まぐれだよなーあいつ昔からそうだけど」
「あ、あの、蓮さんどこに行ったんですか」
その人は首をかしげた。
「なんも言ってなかったな。いろんな友達んとこ転々としてるからね、あの子」
「…」

朝陽は家に帰ってもろくにごはんも食べず、また傘さして、同じ浜を学校へ向かった。

洋館の前の、いつもの石段。

オレと毎朝話してるところ、あの友達に見られたくなかったのかな…それとも…

足もとの砂は、雨でにごっている。

…インスタでフォローしてるんだし、コメントでもすればいいんだよな…

とぼとぼと進まない足どりで、その日朝陽は学校に遅刻した。



夜、朝陽は部屋でインスタを開いた。

蓮の絵があたらしく投稿されていた。

白灰色の石段のうえに、
小さなグリーンと、大きなオレンジのシューズが並んでいた。

よくわからない気持ちが、心臓から噴き出してくる。

そして、その下の文字が強烈に目に飛びこんできた。

【じつは、絵をやめようかと悩んでた】

洋館の庭で、あんなに絵の感想を聞いてきたのは、そういうことだったのか。
こんな中学生のオレに、真剣に。

【でも、もういちど本気で修行の旅に出ようと思う】

絵の右下には、アマガセ・レンのサインと、
とてもちいさく、ありがとう、と書かれてあった。

コメント欄は閉じられていた。

朝陽は、【いいね】を押した。

そのハートの形がそのまま、今の自分の気持ちだった。




あれからずっと、
朝陽がなにを投稿しても、何度見ても、蓮のアカウントはうごきがなかった。

朝陽はインスタで別の名前を使わず、【アサヒ】としてある。

でも、蓮からフォローバックされることはなかった。




中三の生徒たちは、季節が寒くなるほど受験の話題一色だった。

しょっちゅう朝陽は聞かれた。
「第一志望東高?あの東でバレーすんの?」
と。
朝陽は毎回答えた。
「するよ」

林も、相変わらずからんでくる。
「オレは北高でたぶんバレーするけど、東高には負けちゃうねーまいったわ」

まあ…北高はバレー弱小だから林でも試合出れるかもな、とは、言えない。

「まあ、あさひくんならきっと東で活躍できるよねー?」
骨ばった腕を朝陽の肩にかけながら、ふと、林の顔は曇った。

朝陽は気づく。

あの時のことは…
半年以上たった今も、あいつにとって思い出したくない出来事のようだ

まあ、やる気のない自分をいいとは思ってないのだろうから、林もそんなに嫌なヤツではないんだろうけど

「高校で試合あたったらお手やわらかに、あさひくん」
「痛って」
朝陽の左肩をギュッとつねり、林は放課後の教室から出ていった。

…やっぱり嫌なヤツだな

朝陽は苦笑した。

結局、あの日の蓮とのことは、クラスにひろまったりはしなかった。
林はそのときのことを、頭の中でぶりかえしたくないんだろう。

それだけ、林をとらえた蓮の画力はすごかった。
と、朝陽も思う。


「…まったくあいつもスジに攻撃すんなよな」
帰り道、さっき林につねられた所はまだヒリヒリしている。
冬の風が身にしみてくる。

林は北高合格ラインにいるようだが、第二志望は朝陽と同じ私立西高のようだ。

もし自分が西高に行くことになったとしても、
林がいてもいなくても、
オレは必ずバレー部に入るけど、
県内でもトップレベルなのは東高だ
西高バレー部も強いけど、やっぱり東高に行きたい

まあ、…ついでに、
林がいない高校生活のほうがいいしな

朝陽はコートの上から左肩をさする。

自分の苗字東本にも入っている東
入れたらきっと、いい高校生活になる
そんな気がする

朝陽は、バッグから単語帳を取り出した。
「against  えーと、…に対抗して」
歩きながら小声で英語を復習した。



三月

朝陽は、無事東高に合格した。

林のほうは北高に受からず、西高に行くらしい。

『第一志望高校に受かりました』

そうインスタに投稿したら、ふだんいいねをくれないフォロワーのひとたちも大勢いいねをしてくれた。

うれしかった。

ここに【蓮のいいね】もあったら。
思わず、その名前を探してしまう。

「わたしのこと探してたよね?」

洋館のレースカーテンからこっそり自分を見ていたあの顔が、
もう一度、そう話しかけてくれないかな




東高校で、最高のコーチに朝陽は出会えた。
OBで、若い頃バレーリーグ選手として活躍した人だ。
もちろんそのコーチがいるとわかっていて、朝陽は東高をのぞんだ。

先輩たちも新入生も、バレーに真剣な部員ばかりだった。

『早朝ランニングする体力残らないくらい、部活ハードです』
朝陽はインスタに投稿する。

『でもコーチが一人一人の癖を見抜いてくれて、一年生にも丁寧に指導してくれるので』

強豪中学出身の他の部員達とちがい、
今までまともな指導を受けていなかった朝陽の伸びしろは、かなり大きかった。

潜んでいた能力が開花した。

いつのまにか、同級生の中でも頭ひとつ抜きんでていた。



その年の秋、私立西高との試合があった。

あの林はやはり、西高でバレー部に入っていた。
試合もベンチも、もちろん選ばれてはいない。応援席に座っている。

試合中、東高エースの先輩がケガをした。

「東本、交代だ」

朝陽ははじめて試合に抜擢された。
同じポジションの先輩たちににらまれても、気にならなかった。

審判の笛が鳴った。

相手チームから飛んでくる強烈なサーブ。

乱れたレシーブ、崩れたトス、
その先に朝陽は走っていた。

敵のコートに朝陽が叩き込んだボールが、相手チームレシーバーの体を吹きとばし、
西高部員たちのかたまりに弾き刺さった。

ジャンプした体が空の高みから降りる瞬間、
林の目と朝陽の目が合った。
眉のシワが遠くから見えた時、朝陽はわかった。

蓮の予想も、自分の望みも、かなっていることに。



『西高との試合、東高が勝ちました。エースの森さんがケガをしてしまって、自分がかわりに出ることに。先輩達のフォローのもと、チームに役立つことが出来ました』
朝陽はインスタに、喜びの結果を書いた。

蓮がこれを見てくれたら、どんなにうれしいだろう…



練習をかさねていくうち朝陽は、アタックはもちろん、もともと苦手でなかったブロックとサーブもさらに上手くなってきた。

ケガの治った二年生花形エースの森と時々交代で打ち、試合に出れた。
その森は、東高史上でもすごい選手だったのだが、
「オレの一年の時より成長早いわ」
そう、朝陽を認めてくれた。
「東本もきっと、森みたいになれる」
コーチもそう朝陽を励ましてくれた。



西高との試合のとき、
いつのまにか林の姿は、みかけなくなった。

あいつはもともと練習嫌いなんだ
強豪の部活についていけるわけない

弱小の北高で楽しくバレーしてるくらいが、ちょうどよかったんだろうけどな…

もう朝陽には、林のことなどどうでもよかった。
ライバルは、県下に、県外にたくさんいた。

「今年は東高全国大会に出れなかったけど、来年こそきっと」
朝陽は希望に燃えていた。



中学のときはしていた色々なSNSも、更新する余裕がなくなっていった。
ただ、インスタだけは時々投稿した。

練習の大変さ
伸びていくうれしさ

でも相変わらず、蓮からのフォロバやいいねはない。

「蓮さんの言ったことがそのとおりだったと、
伝えたいのにな…」

そして、蓮はスランプを抜けたんだろうか
無事にどこかで絵を描いてるんだろうか

いつも気にかけている。
だから忙しくても疲れていても、インスタだけは開けてしまう。

そのゆくえは、わからなかったけれど。




朝陽が二年生になった年

もともと強かった東高は、三年生になったエース森を擁し、すべてのポジションに実力ある選手を備え、
インターハイ、春高バレーと、全国大会二連続出場の快挙をとげた。

「東本、アップしとけ」

大会中、そうして森と何度交代したかわからない。
そのことが、朝陽にとっての自信だった。

毎日遅くまで厳しい練習で、帰ってくるとすぐぶっ倒れる日も多かった。
それでも試合に勝った日だけは、インスタに投稿した。

そして投稿するたび、あのアカウントを見る。

いつもまっさきに出てくる、グリーンとオレンジのシューズの絵。

もう飽きるほど見ているけれど、

それはそれで、蓮とどこかで、つながっている気がした。



二年の冬、
春高を終えて先輩たちが引退した。

「来年からの東高、まかせたぞ」
森は、自分より少し背の高い朝陽の髪をクシャクシャとなでた。

「森さんの分も、オレが頑張ります」
コーチの前で、はっきり朝陽はそう宣言した。

朝陽はついに東高でスタメンに、同時にキャプテンとなった。



三年になる春、

朝陽の身長は、三年前から10センチちかく伸び、190になっていた。
肩の筋肉や腕、太ももなども、かなり強くなった。

西高その他県内の強豪校との練習試合でも、東高は負けなしだった。

「今年もインターハイ出場!」
を合い言葉に、チームは燃えていた。


が、
なんと、県予選で敗退した。


「思うように打てない」

いざ自分が大黒柱になってから、正式な試合、それも上位の相手と戦う試合ほど、朝陽の調子が狂った。

「この三年間で、プレッシャーに強い自分になったと思ってたのに…」

思いがけない壁に朝陽はぶつかった。

自分のトラブルで手いっぱいになり、キャプテンとしての役割もうまく発揮できなくなった。
チームがくずれた。

途中で他の選手にかえられたりもした。
チームの層は厚いものの、好調のときの朝陽ほどよく打てる選手はいなかった。
予選を勝ちきるには今一歩、チームの立て直しがうまくいかなかった。

『森がいないと脆い東高か』

様々なバレー関係の場で、朝陽とチームは厳しく評価された。

 

高校入学以来はじめて、朝陽は思った。

『バレー、やめようかな』

そう、インスタにつぶやいた。




県予選に敗退して、しばらくたったある日。

午後四時、うつろな気持ちで朝陽は校門を出た。

夏になる前の、西日。
額がじんわりと汗をかく。

背後の体育館から、バレー部員のかけ声がかすかに聞こえる。

東高バレー部は、一月の春高バレー出場を目指して、三年生も引退しないで練習している。
同時に、スポーツ推薦を目指すか受験か、三年生が考える頃でもあった。

オレは近くの大学でも行って、
地元で就職しようかな…

今年のインターハイ予選で、
自分がエースになってから、この結果だ

去年の夢のように強い東高

それとまるで違う今
どうやってこんな自分を推せる…

それにもしスポーツ推薦で受かれば、
大学で必ずバレーをしないといけない

受験勉強しないといけないか
今から、まにあうかな

べつに、どんな大学でもいいわ…
てきとうにどっか入って、
てきとうにそのへんの会社につとめれば、それで

スマホが鳴った。

コーチだった。

「…」

着信音サイレントにした。

制服のまま、朝陽はあてどもなく歩いた。

いつも部活の終わる時間にはすでに閉まっている、本屋の前に立ち止まった。

授業のあと、ゲーセンに寄ったり本屋で立ち読みしたり、そんな気楽な楽しみも捨てて、バレーに注ぎ込んできたんだよな…オレ

ふらりと本屋にはいった。

マンガをパラパラとめくり、買う気もない文房具を手にとり、わざとムダな時間を過ごす。

スポーツコーナーで、サッカーの雑誌でも読もうとしたそのとき、
朝陽の目に、それが飛びこんできた。

「うわっ…これ、オレ?」

遠くから店員が、朝陽をふり向いた。

朝陽は左手で口を押さえ、右手でその雑誌を取った。

月刊バレーライフ

いつも選手の写真が載っているその表紙は、
今月は、絵の具で描かれたイラストだった。

男子バレーボーラーが、アタックを打つ瞬間。

バレーリーガーか学生かもわからない、年齢不詳の選手。
どのチームのものかもわからないユニフォーム。

でもその顔は、

朝陽だった。

ものすごいいきおいで朝陽は雑誌をめくった。

表紙の裏、ない

裏表紙の中、

…あった

イラストレーターの名前が書いてあった。

それは、あの名ではなかった。
でも朝陽にはわかった。

【天ヶ瀬蓮】よりも、
【さらに本当のわたし】をみつけたんだ。
あのひとは。

息をつけて、おちついて、
もういちど朝陽は表紙を見た。

【天ヶ瀬蓮】が描いていた【顔骨】が成長した姿と、
ジャンプする足もとに、蛍光オレンジのシューズが見えた。



【海乃辺聨】

月刊バレーライフの裏表紙にあった、
一見して読むことのできなかったそのペンネームは、

ウミノベ・レン
と読むらしい。

そして、海乃辺聨の作品は、なんと一年も前からインスタにあった。

あのひとらしいわ
朝陽は苦笑した。

更新止めたアカウントと同じフィールドに、こっそりいたなんて。

会った頃の、ニヤッとした蓮の笑みを思い浮かべる。

いつのまにか蓮は、有名なイラストレーターとなっていたらしい。
フォロワーは三年前とケタがちがっていた。

漢字は、ふつうは読めないむずかしい字なのに、
音は同じレンだなんて

探してほしくないようで、探してほしい

あのひとらしいわ…

急いで家に帰ってきて、ごはんも食べずネット検索し続けていた朝陽は、いつのまにか外が暗くなっているのに気づいた。

電気をつけ、カーテンを閉めようとした時、
窓ガラスに自分の姿が写った。

苦笑しているつもりだったのに、
おどろくほど、うれしそうな顔をしていた。


海乃辺聨の投稿は、月三回くらいの頻度で更新されていた。
天ヶ瀬蓮のときと同じように、
ほとんどが風景画と、なにげない人物画で、
軽いイラストから本格的な絵画まで、様々だった。

が、そのときと違うのは、
油絵の具とクレヨンをまぜたような、熱気あふれだす画風に変わっていたことだった。

でも、人も景色も動いているように見えるのと、
内面がにじんで見えてくるのは、あの頃と同じ

人の評価も、十万フォロワーの数字などなくても、
その投稿を見れば、
色鉛筆の、クレヨンの、絵の具の、
その合間からみなぎってくる才能が、
さらに増しているのが朝陽にもよくわかる。

『珍しく宣伝みたいな内容を投稿しますが。
今回、バレーボール雑誌の表紙を担当しました』
少し前の日付で、そう投稿してあった。

『正直スポーツなんて全然好きでなかったんだけど、あるバレーボーラーと縁があってから、スケッチするようになって』

ラフなデッサンが載っていた。
ユニフォームはロゴも何もないけれど、
中学の時より締まった、でもベースは同じ顔がそこにあった。

『私が今回自分から、描いた絵を寄稿して。
有名選手を描いたのでもなんでもなく、表紙にすると今月の売り上げに影響するかもしれないけど笑、月刊バレーライフにこころよく載せていただくことが出来ました』

自分から、寄稿

朝陽は目を閉じて、鼻でふうっと息を吸う。

…みんな見てたんだな、このひと

オレの投稿

東高の数々の試合結果
二年の時のインターハイや春高

このまえの県予選
バレーやめようかな、ってつぶやいたこと

なにもかも


朝陽は、スマホをもった左手をベッドの上に置いて、大の字になった。

…これって、なんなんだろうな

十歳ちかくも年上の女のひとが、
ただの学生に、想いをいだくことなんてあるのかな

弟でも、心配するような気持ちなんだろうか

わからないけど…

わからないけど、

はなれてたはずの、
二つのシューズのひもは、

ずっと、むすばれていた


朝陽はまた左手のスマホを持ちあげて、聨、という漢字を調べた。
つながる、という意味だった。

海乃辺聨のプロフィールの最後に、
付け加えてあった。

横浜在住。

「…」

朝陽の頭のなかを、関東にあるスポーツ名門大学の名前が、次々とよぎった。

投稿はこう、しめくくられていた。

『わたし実は、しばらくスランプの時があった。
そのバレーボーラーは、
そこからわたしを救ってくれた。
ただ、モデルにして描いただけ。
相手が、その絵をよろこんでくれただけ。
なのにそれだけで、救われた。
修行の旅に出る気になった。
これって、すごいことじゃないですか?』

相変わらず、コメント欄は閉じてある。

朝陽はかみしめるように、いいねを押した。



 

次の日の放課後、朝陽は体育館に戻っていた。

「お、来たな」
コーチは、ただひとことそう言った。

「春高、今年も行きましょう」
ボールを持ってそう言った朝陽の肩に、ぽんと手を置いてコーチはうなずいた。

この一月春高に出場できても、
もう大学推薦にはかかわりがない

でも、行くんだ

去年、インターハイと春高に出た実績がある
オレも交替でだけど、出た
勝利に貢献してる

自信もって自分を推して、
春高も大学も、もぎとってやる



激しい練習にあけくれる夏
朝陽は、スポーツ推薦の手はずをととのえていた。



秋、いよいよ春高バレーの予選がはじまった。

インターハイのときより心もたくましく成長したエースをかかえた東高は、本来の実力を取りもどし、敵なしで勝ちすすんだ。

もうあと一歩で、春高バレー出場のところまで来ていた。

「……そんな」

最後の最後、今年のインターハイ出場校に、ほんとうにわずかな差で競り負けた。

朝陽たちは、くやし涙を流してくずおれた。

だがそれは、ただ春高に出れなかった事実、という、それだけのこととなった。
インターハイ県予選の負けかたとは、まったくちがった。

『東高バレーボール部、春高バレー出場を逃すも、見事な復活』

もう地元紙もバレー関係者も、朝陽やチームを批判する者は誰もいなかった。



「よし、受かった」

朝陽は、東京のバレー強豪大学へ進学が決まった。

合格したとき、わざとインスタに投稿しなかった。
部屋の窓の前で、スマホを持ったまま朝陽は伸びをした。

「フォロバもいいねもしてこない誰かさんに、わざわざ教えてやる必要はないかな」

まあ、十万フォロワーのひとは
普通フォローバックしてこないだろうけど

でもそれは、相手の十万すべてが
見知らぬひとだからだ

オレのこともいっしょくたにして、
出会ったことのないフリをしている

つながっているはずなのに、
キザにかまえている聨

本棚の前に立ち、月刊バレーライフの唯一イラストで描かれた号をひっぱりだす。

バレーボーラーがアタックする瞬間の絵。
その打たれたボールは必ず点を取るだろう、そう思わせる表紙。

これが発売されたころ、
自分に似ていると、東高バレー部員たちから口々に言われた。

「似てるとかより、これお前だよね?」
と、ダイレクトに聞かれたこともある。
「たしかにうちらインターハイにも春高も出たけど、そこで勝ち進んだわけじゃないし、全国で優勝校のエースとかならわかるけど、なんで?」

「……偶然、バレーリーグや大学にオレと似た選手でもいたのかもな」
とだけ、朝陽は答えた。
オレみたいな顔はよくある顔だし、そう付け加えた。

でも、毎朝鏡を見ると思う。
この三年間で顔の肉が締まり、頬や鼻のコントラストが強くなってきた気がする。

なんとなく気がありそうに見える女子も、ちらほらと増えてきた。

三年前、もてても注目されてもなかったころ、
「きれいな顔骨」
あのひとは、そう言ってくれた。

練習に打ち込んだおかげで、それをもっと磨けたのかなオレ


海乃辺聨の投稿をみつけたあの日、
朝陽がフォローといいねをしてから、いったんその投稿はとまった。

朝陽のインスタでの名前は、変えることなくアサヒのままにしてある。

急に投稿が止まることで、逆に、
あのひとは自分のことを見てるんだ、と
朝陽は信じることができた。

蓮は、そういうひとだ


聨の投稿が止まって一か月ほどした後、
また月二、三回ほど、かんたんなイラストと短文が載るようになった。

バレーも、朝陽のことも、まるでどこ吹く風のように。

でも朝陽はわかっていた。

蓮は、そういうひとだ

ひとから答えをもらわないで、自分の目で見なよ

そう手を振って、
白い洋館に帰っていく後ろ姿を思いだす。


朝陽はふと、思う。

あのひとは、
もともと気まぐれな性格なんだろうけど、

でも、もしかしたら、

逃げているんじゃなくて、
オレが大人になるまで、好きにならないようにしているのかもしれない。

月刊バレーライフ表紙、
唯一絵で描かれた無名選手のその顔は、
年齢不詳だった。

オレが何歳なら、レンと一緒にいていいんだろう

学生のうちは、まだダメだろうか

……いや、答えは自分でみつけるんだ

18ならもう、そばにいてもいいんじゃないか?



『今日は卒業式でした。無事、春から大学生。バレー続けます』

同級生たちとの記念写真。
部の後輩たちから囲まれている写真。
フォロワーからのいいねが、たくさんついた。

でも、大学はどこに受かったのか、
どこに引っこすのか、いっさい書かなかった。



『大学生活、楽しんでます!』
4月からは、どこのキャンパスかわからない、あたりさわりない写真を載せた。

大学の友達には誰にも、インスタのアカウントを教えていない。
見つけられても余計なことを書かれないよう、コメント欄も閉じている。

朝陽は淡々と投稿を続けた。
自分がどこにいるのか、わからないようにしたまま。



聨のそばに行くことが出来たとき、

オレがどこにいるのか、教えよう




大学のゼミや新しいバレー部にも、ひととおり慣れた6月。

JRの混むまえに、
朝早く朝陽はマンションを出てきた。

車内で、スマホを見る。

06:11
6月11日日曜日

ホーム画面の偶然にすこし気分も上がりながら、
朝陽はインスタを開く。

そして、聨の投稿を見る。

『今度、わたしの絵画展があります。

6月11日から
横浜みなとみらい赤レンガ倉庫

ここ何年か、いろんな土地で描いてきた
海の絵だけ集めて展示します』

その下にある、赤レンガ倉庫サイトへのリンクに飛ぶと出てくるタイトルは、

『海乃辺聨絵画展〜つながる海〜』

体はゆられながら、何度もその字を読みかえした。


桜木町駅に降りたち、人もまばらな朝のみなとみらいを朝陽は歩いた。

赤レンガ倉庫のそばを通る。
そのまま海のちかくに行こうとしたとき、
石だたみの上にじかにすわっている、背の低い背中が見えた。
その奥に、スケッチブックをひろげて絵を描いている。

うしろからのぞいてみると、
青みどりの海に浮かぶオレンジの朝日の絵だった。

「いい絵ですね」

むすんだ髪の先が、はねている。そのひとの手は、一瞬ピクリと止まった。

「で、なんでこんなとこにいるんですか」

そのひとは、朝陽をふりむいた。

「今日からここでわたしの絵画展するんだから、いたっておかしくないよね」

四年ぶりに聞いた、そのひねくれた口ぶりは変わってなかった。

「身長ますますでかくなったのに、足のサイズ変わってないの?」
朝陽のあしもとを見ながら、サイズちがいで買い替えたそのシューズをからかうように、彼女は言った。

「レンさんだって四年前と同じシューズだろ、成功してるくせに貧乏なの?」
朝陽も言いかえす。

座った石だたみから、朝陽を見あげている笑顔。

その頬は、砂の上から自分を見あげているハマヒルガオのように、そまっていた。
オレンジの朝日が、そのうえを照らしている。

朝陽は何も言わず、聨のそばに座った。

蛍光グリーンと蛍光オレンジのシューズが、
同じ石だたみのうえに、並んだ。









ものつくりで収入を得るのは大変ですが、サポートいただけたら、今後もずっと励みになります🌟 創作が糧になる日がくるのを願ってがんばります🌾