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日香里個展「BLUCANILLO」 at silent music


 BLUCANILLOはブルカニロ。

 宮沢賢治が四度に渡っておおきく書き換え、未完成のままその死後に草稿として遺された『銀河鉄道の夜』のなかで第三次稿までは登場しながら最終形からは姿を消してしまった「ブルカニロ博士」に捧げられた展示には、そのひとに宛てた手紙のはじまりのように、そのひとの名が冠されていました。

 往復書簡みたいに京都のアスタルテ書房さんで前期が、東京のsilent musicさんで後期が開催されたこの「BLUCANILLO」への案内状がポストに舞いおりて、銀河鉄道の夜のなかでジョバンニだけが持っていた緑いろの切符を模したその葉書を目にして心華いだときから、ブルカニロへの旅ははじまっていたのでした。

 京都と東京、それぞれの場所に異なる絵が配置されたということで、だからブルカニロ博士への想いがこめられたこの展示はそれぞれの場所へ宛てられた手紙のようでもあって、そしてその“手紙”のなかに封じられた星のささやきをsilent musicさんで聴くことができました。

 

 日香里さんの絵のなかで遊ぶように、鉱物アソビさんの星のかけらたちがちりばめられた空間。

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 ジョバンニだけが持っていた緑の切符、結晶化した翠の石、さまざまな秘密と暗示が潜む碧の絵。

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 碧い瞳から透明な涙をながす少年、その涙が月長石となって刻まれたような青い花、研ぎ澄まされた蒼い石。

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 碧という字は「みどり」とも「あお」とも読めて、だからその碧が織りなす銀河鉄道の夜の世界に滞在したひととき。その夜に色があるならこの碧色をしていて、そしてそれが「みどり」とも「あお」とも読めるように、ひとりずつそのひとだけの夜の色を心にしまっていることを感じさせてくれる展示でした。

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 宝石標本とその宝石を象徴とした絵をブック型の額縁におさめたものがいくつかあり、その佇まいのうつくしさと日香里さんのいつもながらの美意識に感銘を受けたこと、印象深く心に残っています。

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 ジョバンニとカンパネルラ。対となるふたりの少年。

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 このたびの展示には二度足を運ぶことができました。

 一度目のあとに忘れ物をしてしまい最終日に再訪したのですが、二度おうかがいできてよかったと染みじみ思っています。一度目のときはひさしぶりにお逢いできたやさしいかたがたと話をかわすことのできる喜びのなかで時間は光のはやさで過ぎ去って、それはとても幸せなことでしたが、再訪したとき一度目には気づかなかったさまざまに目をとめる機会に恵まれたから。


 たとえばテーブルのうえに置かれた金平糖は、銀河鉄道の夜のなかで賢治が“「眼もさめるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球が、輪になってしずかにくるくるとまわっていました。」”と綴ったサファイアとトパーズだったのだ、ということもそのひとつ。

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 それから日香里さんの絵のなかの鉱物が光を纏って現実にあらわれたようなふたつの青を目にしたことも。ブルカニロ博士や宮沢賢治がこの展示を見にきてくれているということなのかもしれないね、などと微笑みをかわしあいながら、ふたつの光がわたしにはジョバンニとカンパネルラのようにも感じられたこと。

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 おみやげに白鳥の羽根を。

 賢治がサファイアとトパーズに喩えたはくちょう座のアルビレオ。はくちょう座からのおとしもの。

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 銀河鉄道の夜は一般に知られている最終形しか読んだことがなく、それにはブルカニロ博士は登場しないので、いくつもの側面をもつ鉱物のごときこの物語を知るため、ブルカニロ博士に逢うために第三次稿を読んでみたいと感じたことも、この展示からいただいた贈り物のひとつです。最終形からは姿を消してしまったけれど、銀河鉄道の夜は宮沢賢治が幾度も書き直して完成しなかったお話なので、賢治が生きていたら「ほんとうの最終形」にはふたたび博士はこの物語に還ってきていたかもしれない、という展示のさいにかわした会話を想い出しながら、その余韻とともに『銀河鉄道の夜から聴こえてくるもの』を字引のようにして。

 

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 詳細はまだわかりませんが、日香里さんの“ブルカニロ”からはじまった銀河鉄道の旅は、京都、東京とつづいてこのあと新小平の草舟あんとす号さんへとむかうようです。おなじ主題をもちながらそのたびに姿を変える作品たちによって三度目の展示を迎えられること、それは賢治が幾度も『銀河鉄道の夜』の推敲を重ねたように日香里さんによる“第三次稿”なのかしらと思ったりしました。そんなふうに考えると、日香里さんが展示のたびにそのときその瞬間の場所における“もっとも美しい宝石の側面”を見せてくれるように、四度にわたっておおきく書き換えられたこの物語にどれが正解でどれが本当か、ということはなく、どれもが本当で正解なのだろう、ともまた感じられるのです。


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 余談ではありますが、ジョバンニの“緑いろの切符”を模したこの展示のご案内をsilent musicさんからは緑色のハートとともに、日香里さんからは緑色の封筒でいただいて、その統一された美に憧憬にも似た心の栄養をいただきました。日香里さんによって描かれた切手のなかのそのかたが誇り高い王女のように神秘的で、このたびの展示のご案内葉書の裏にその切手や封筒をカスタマイズしてわたしだけの“緑いろの切符”をつくったりしました。


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 cygus(はくちょう座)から∞(無限大)へいざなってくれるこの切符を栞にして『銀河鉄道の夜』を読もうと思います。

 このように遊びごころを想い出させてくれることも、美がもっているやさしさなのだと感じながら。




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