見出し画像

地雷だらけのアラサー女子たち

女性はよく喋る。
これは気のせいとか一般論ではなく、実際に育児を経験した結果、紛れもない事実であると確信した。

そもそも言葉を発し始めるのも男子よりも女子の方が早い。そして文章としての言葉を習得し始める2歳半を過ぎた頃から、男女のおしゃべりの差は如実に現れる。

仕事が終わり保育園に子供を迎えに行くと、そのまま裏にある公園に行くことがある。最初はクラスの他の誰かと帰るタイミングが同じにならない限り、公園に行く流れにはならなかった。しかし次第に保育時間内に公園で待ち合わせる約束をするということを覚えるようで「○○ちゃんがいるから!」と言われ、自宅に直帰する術が失われる。

公園に行くと大抵同じクラスの子が3〜4人集まって遊んでいる。驚くべきことに保育園では、若干2歳にして男女でコミュニティがハッキリと分かれている(もちろん混ざって遊ぶ時もある)。それでも公園では男女分け隔てなく、追いかけっこしたりブランコに乗るのだが、その会話量と質が圧倒的に違う。

男の子たちは「なんか見つけたよ〜!」「これできたの見て〜!」「やだ!まだ帰らないの!」の3つだけで完結する。発話は自分の主張を伝える手段なのだ。

一方女の子たちはと言うと「このシャツかわいいでしょ〜?」「こないだ××にお出かけしたんだよ〜」「○○ちゃんはどんなリュックにしたの〜?」と会話のボールをポイポイ投げまくってくる。

もちろん口達者な男の子もいるし、内気で寡黙な女の子だっている。かく言う私も気の置けない友人以外とはそんなに積極的におしゃべりするタイプではない。それでも全体的に見て男女のおしゃべりトレンドの違いは明確にある。

そしておしゃべり好きな女の子たちは、高校生になっても社会人になっても、同性だけで集まってはひたすら喋り続ける女子会なるものを定期的に開催しがちである。私自身の経験を振り返っても、高校・大学の頃まではおしゃべりのネタは無限にあって、いくらあっても時間が足りなかった。

しかし、しかしである。社会に出て、周りがちらほら結婚したり出産を経験し始める頃からそれが一変する。自分の中に話したいことはたくさんあるのだが、それらを無鉄砲に口から放つことが急に非常に危険になるのだ。

運命を感じた翌週には決定的に合わない部分が見つかる無限のトライアンドエラー、プロポーズのプの字も気配もない彼氏、妊活と義母義父からのプレッシャー、枚挙に暇がない。

それらの悩みを共有するために定期的に会うのでは?と思ったあなた、それは甘い。もちろんなんでも相談できるオープンな関係もあるだろうが、切実な悩みだからこそ身近な人に相談できないことは多い。ましてや相手と自分のステータスが異なる場合は、その悩みについておくびにも出さないことだってある。

地雷を踏み合うリスクを冒して会うのが友人か?と問われると、答えはもちろんYESである。地雷が埋まっていることと相性の良し悪しは関係ないし、そもそもそれはその人のせいではない。むしろ地雷がないアラサー女性なんてほとんどいないとさえ言える。

相手を気遣って話すことは相手が老若男女誰であろうと共通のことだとは思う。それでもアラサー女性がトリッキーなのは、気を遣った結果が裏目に出てしまう可能性も多分にあるということだ。

例えば3年前に結婚して子供がいない友人と会う時に真っ先に留意することは、不妊で悩んでいる可能性の有無である。ましてや自分自身に子供がいる場合は、迂闊に自分の子供の話をしてしまわないように意識する。

しかしここで同時に考えなければならないのは、彼女が子供を持たないつもりでいた場合である。もともと旦那さんと2人の人生を予定している人であれば自分の子供の話を避ける必要はないし、むしろ不自然になってしまう。すると「もしかして不妊で悩んでると思われているのでは…?」と逆に不快にさせてしまう可能性が生じる。

「うちは子供は持たない方針だから」という言葉を鵜呑みにしてはいけない(これは女性に限らず男性でも言えることだ)。この言葉には、選択的に子供を持たない場合と、さまざまな理由により子供を持つことを諦めた可能性の2つが含まれるからだ。昔から子供はいらないと言っていたような人でも、ある日不妊が判明し、産まないことと産めないことの差に深く傷ついている場合だってある。

私自身子供を持つべきか持たないべきかを悩んだ結果、結婚してから3年近く選択的に子供がいない状態だった。特に子供が欲しいとも欲しくないとも誰にも話していなかったが、結婚して2年が過ぎたあたりから、なんとなく気を遣われている様子を感じたり、特に求めていないアドバイスをもらうことが増えた。

子供を持つ持たないについての考えは、こちらに詳しく書いています↓


最近はLGBTの浸透も相まって、職場の飲み会などでも「彼女できたの〜?」なんて気軽に聞けない雰囲気である。かと言って「パートナーは?」と言うものまだ不自然さが残るし、気を遣われている感が滲み出すぎていて逆効果にもなりかねない。

独身でいると、彼氏は?結婚式は?と聞かれるし
結婚したら、子供は?仕事は?と圧をかけられる。
そして1人産んだら、2人目は?お受験は?と続く。

お墓の準備まで済ませて初めて、私たちは全ての地雷から解放されるのかもしれない。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?