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ビリギャルと、受験期と、現在と、

「ビリギャル」の映画を久しぶりに見返して当時のことを思い出しました。

映画公開時、受験生でした。
映画の内容で受験時を思い出すのもあるし
当時映画館で母親に連れて行ってもらった時期のことも含めて感慨深かったです。

当時大学受験を頑張ると決めたものの
なんでこんなに受験を頑張っているんだっけ?
頑張ってる今の時間が報われなかったらどうしよう?というプレッシャーで押し潰されていた時に観たなぁと。

私も主人公と同じく、高校2年生からスタートし現状の自分より高い目標の大学を志望していました。
自称進学校の中間くらいでビリギャルではなかったけど、、
地元では頭良いと言われてましたが高校入学時に学年主任から「君たちは地元で頭が良いと言われているかもしれないが、全国的に見たら大したことはない」的なことを言われて衝撃受けた記憶があります。受験始めて数値的に見て納得するワケですが、、

絶対に行きたい大学に合格するために
部活引退後からは平日休日問わず塾へ通い続ける日々、空いてない日は家やカフェや図書館で勉強勉強勉強
塾が開く前に近くのカフェで1時間早く勉強してたり今の社会人生活よりよっぽどプライベート皆無の生活だったっけ

当時は夢中で目標に向かって動いてました。
受験ってなんのため?勉強ってなんのため?
将来いい生活ができるため?色んなことがぐるぐる頭をしてしまう時も勿論ありました。

今振り返ると自分の決めた目標に対してどのようにアプローチしていくのか?改善をするのか?計画と実行の繰り返しを永遠とする訓練の一つかなと思います。

私は元から頭が良いタイプ?ではなく努力型だと自認していたのでやれば結果がついてくると信じて突き進んでました。

自分のやりたいことや目標がある人間は強い、と当時を振り返っても感じます。

憧れの大学へ無事合格し入学後は自分の人生の幅や物の見方を広げたいと思って、留学、インターン、バイト、ゼミ、サークル、大学生として思いつくことは全部挑戦したと思います。

理由は大学入学後平凡な自称進学校出身の私は自分が辿ってきたことがないような経験値を多く積んでいる同級生に劣等感を抱いたからです。

受験も大学生活も頑張ってきたつもりだったけど

結局普通の会社に入社し普通にOLしているわけですが、今まで自分が頑張ってきたのはこういうことのためだったっけ?ということが多く入社後からも事あるごとに悩みます。
幅を広げるだけ広げて無難なところで落ち着いてる、そんな感じです。

ビリギャルの中で
意志あるところに道は開ける
というセリフがありました。

大学時代までの私は意志を持って動いていたと思う。だから充実してたし、自分の選んだ道に後悔は1ミリもなかった。

社会人の私は全然意志がない、と思う。
1会社員の意志など求められないと感じるのに流されてるとも思う。いや、それ以上に自分の人生への意志がない。
希死念慮って言葉で今まで背いてきた自分の人生への意志を小さくてもいいから持たないと
歳を重ねるにつれ、面白くないと感じることが増えそうだと思う。

見つめ直すきっかけとして記録。
おしまいっ

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