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多様な文化が混淆する独特な街並み。ジョージタウン(George Town) / マレーシア・ペナン島④

こんにちは。
今回はペナンの州都であるジョージタウンを歩きます。

2008年に「マラッカ海峡の歴史都市群」としてマラッカと共に世界遺産に登録されたペナン。

マレー語で檳榔の島 Pulau Pinang(Pulau=島、Pinang=檳榔)と呼ばれるペナン。

18世紀、ペナンはケダ王国の支配下にありましたが、シャムの攻撃を恐れたケダは、イギリスの軍事援助と引き換えに1786年、ペナンをイギリス(東インド会社)に租借させてしまいます。

英領植民地時代には「プリンス オブ ウェールズ島」と名付けられ、「東洋の真珠」と称えられてきたペナン島。

実際にシャムの脅威が迫った1791年、ケダ王国はイギリスに援助を求めますが却下されてしまいます。理不尽なイギリスの対応にケダはペナン奪回戦を計画しますが失敗に終わり、ペナンをイギリスに明け渡すことになります。

分断し戦わせ利を得るトップは繋がっている、という構図。いつの時代も。

イギリスにより建設された植民地都市ペナン。自由貿易港として発展してきたこの地には、マレー、中国、インド、アラブなどから様々な民族が集まり、多様な文化が混淆する独特な街並みが形成されていきました。

歴史的建造物が残存する旧市街地のジョージタウンが動き始めたのは、2000年の「家賃統制令」の解除後、そして2008年の世界遺産登録によって。

1966年に制定された家賃統制令とは、住民生活の安定のため家賃の上昇を制限した法令。ですが反面、家主は不動産収益が見込めず、老朽化した建物の修復がままならなかったと言います。

それが撤廃され、家賃が高騰。それまで住んでいた人々の多くは郊外への移住を余儀なくされたそうです。

文化遺産登録後、ジョージタウンの昔ながらのショップハウス(1階が店舗、2階が住居となっている店舗兼住居の建築形態。間口が狭く、奥行きが長いのが特徴)の価値が高まり、カフェやギャラリー、

ヘリテージホテル等に次々と改装されています。

ショップハウスの間口が狭いのは、その幅に応じ課税されていたから。賢い!いいぞ〜

中国風の美しい彫刻を施した木製の扉にイギリスの象嵌タイル、壁面には凹凸のレリーフが施されたマジョリカタイル。

惚れ惚れする色彩感覚。

ネイビー x ゴールドはいつも美しい。
シルバーに黒、窓枠のゴールド。シックで麗し。

歴史的建造物が資本により改修、整備され、経済活動が活発になった反面、家賃の高騰などを理由にそこに暮らしていた人々が他へ移住せざるを得なくなった現実がある。
魂が抜けてしまった容れ物、になってしまう懸念。

打金行(Penang Goldsmith Association)の建物。
蝙蝠カワイイ、エメラルド x ゴールド x 赤茶の色合わせ素敵。

もともとビーチリゾートとして知られたペナン。北部のバトゥ フェリンギ周辺には大型のリゾートホテルが集中しています。

バトゥ フェリンギにあるShangri-La Rasa Sayang, Penang(シャングリ・ラ ラササヤン リゾート&スパ ペナン)。

ほっこり可愛いかったのがこの看板。
「泳ぐのと日向ぼっこが大好きな大トカゲ。悪さしないから優しく見守ってね。」

「スペシャル ゲスト」ってのが優しい。

端正なコに出会えた。

こんにちはー

見上げると「Crown Shyness(クラウン・シャイネス)」。内気な、恥ずかしがり屋の樹冠の意。密集した木々の葉が互いに間を開け、接触しない現象のこと。
私はこの空の運河を見るのが好き。

樹は彼らにしか解らない方法で意思疎通していると思う。

緑の中でいただくご飯はいつも美味しい。

ということでペナンでした。ただいまーKL。

続く。

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