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気配と匂いにする初恋、映画「君の名前で僕を呼んで」

先日、「マティアス&マキシム」を見た(レビューはnoteにて)時に監督がインスパイアを受けたと語っていた映画「君の名前で僕を呼んで」。とても話題になった作品ですので当時見た記憶があったのですが、これを機にもう一度見たくなってアマプラでレンタルしました。

1983年。17歳のエリオは家族とともに北イタリアのとある避暑地にいた。そこへ父親の研究の手伝いと称して、24歳のアメリカの青年オリヴァーがやってくる。体が大きく、自信家のような振る舞いをするオリヴァーに近寄り難いものを感じるエリオだったが退屈な避暑地の生活を刺激するほどに彼の存在がエリオの心に波紋を広げていく

その匂いや思い出に恋をする

父親に似て、賢く知識が深いエリオ。読書が好きで音楽が好きでピアノも嗜む。美しい顔をした少年は徐々に大人になりつつあるのだが、そんな不安定な心の中にとてつもない存在感で色気を放つオリヴァー。

物おじせずに新しい土地に馴染んでいく大人の男オリヴァーに気後れしながらも、反感さえ覚えていたエリオだがともに過ごす時間が多くなってくると徐々に気を許すようになっていく。その微かな気の緩みが少年から青年に移り変わっていく心の変化に絡み合ってしまった。

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エリオは彼と過ごしている間は素気なく振る舞うが、彼が不在の部屋、彼が脱ぎ捨てた服、彼が発した言葉の反芻、そういったものにかつてない感情を覚えてしまう。

そう、恋をしたての頃、学生時代、一緒にいる時はつまらないことで突っかかったり、無視したり、何でもないと自分にも周りにも言い聞かせるのに、家に帰って今日一日を思い出す。目が合ったな、喋ったな、こんな顔してたな、そんなことを思い出すたびに胸がぎゅうっとなったりする。

相手がいない時こそ、自分の気持ちが高まり、恋心が深く濃くなっていく。その過程が描かれていてみずみずしい。

隠されたオリヴァーの想いと迷い

彫刻のように美しいけれど、雄々しくもあり、色気のある造形をしているオリヴァー。その自信に溢れ、女性からはアプローチし慣れているような彼にも秘密があった。

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彼は美しく賢いのに幼いところもあるエリオにちょっかいをかけるように話しかけたりと大人の余裕を見せているのだけれど、内心は緊張していたのだろう。

後に彼を誘い、心が触れ合った途端に弱気な一面を見せてくる。この出来事は、自分のワガママが相手の好奇心を刺激しただけなのか、それとも彼の欲望と呼応しあったからなのか、よくわからなくなっている。

それは時代のせいもあるだろう。まだまだ同性愛について周囲の理解を得られるという環境になく、その中でもゲイと公言している人は少し特異な目を向けられている。

オリヴァーは隠し慣れていた。だから余裕で構えていられたけれど、まだ愛や恋については無垢な気持ちでいるエリオの純真さを、この自分が摘み取ってしまうのではないかと悩んでいた。

自信家のオリヴァーの伺うような視線こそ恋するものの弱味ではないのだろうか。

ヘラクレイトスの断片

オリヴァーが読みかけている本に「ヘラクレイトスの断片」というのがあった。正直よくわからなかったので調べてみたところ、自然哲学者と言われている人で、有名な言葉に「万物は流転する」というものがある。

自然界は絶えず変化している。しかしそこに変化しないものを見せている。

その象徴が「火」で、絶えず変化しているとも言えるが、変化と、一定に炎を保ち合っているもの、それが同時に存在して「火」になっている。

これはもしかして見た目には変化していないだろう大人である自分、そして明らかに絶えず変化し続けるエリオ、この二つが同時に存在しうることを暗喩的に示しているのではないのか。

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そしてこのヘラクレイトスの、「火」にまつわる哲学がラストシーンのエリオの表情に繋がってくる。季節が変わって冬、暖炉の炎を見つめながら静かに現実を受け入れようとするエリオの美しい顔がみるみる成長していく。

純粋な若者らしい表情と、何かをゆっくりと噛み締め乗り越えていく成長、この共存こそが彼が生きている年齢なのだと思う。

君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君をよぶ

表題にもなっているこの言葉は、オリヴァーによって実際に語られる。そして惹かれ合う2人は、お互いの名前を自分の名前で呼び合う。

それが秘密の暗号のように、2人の親密さをより濃くしていく。

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これは同性同士だからこそより深い意味合いを持つものになるのではないだろうか。

付き合いたて、お互いをどう呼ぶか、くすぐったさの残る気持ちでお互いに約束した呼び名を決め合う。それが合図になるよう、親密さの証としてこれまでとは違う呼び方を口にする。その究極の形が、もしかすると「名前の交換」なのかもしれない。

オリヴァーは自信家で、自己肯定感の強い人物であるように思う。そしてエリオも年相応の無知さもありながら頭の良い賢い少年として描かれている。2人とも自分の中に相手を入れてしまうみたいに、自分の名前で相手を呼び合うことに強い愛情を感じる。

この呼びかけはラストのシーンにも切なく描写され、より印象的にお互いの気持ちを表している暗号になっている。

美しい愛の告白

お互い何となく気持ちがあることを意識し始め、それでもまだ距離があるような時、2人で出かけた先で「ピアーヴェ川の戦い」を表したモニュメント前にたどり着く。そこには柵がぐるりと囲んであり、オリヴァーがモニュメントになる程の戦いとは知らなかったと言うと、エリオは淀みなく内容について答える。

君が知らないことはあるのか、と博識のオリヴァーが降参したように呟くと自分は何も知らない、大事なことは知らないのだ、と言うエリオ。

そこからまるで告白のような言葉が交わされるのだけれどお互い柵を反対に巡りながら、顔が見えないところではエリオは繰り返す。一番オリヴァーに言いたいことを。

そしてモニュメントを挟んで半周したところでまた2人は出会う。

2人の距離が離れるほど言葉はどんどんストレートになり、迷いのあるオリヴァーを出会い頭に捉えようとするエリオが正直で羨ましくもある。お互いがお互いを刺激あっているのだと、美しいメロディとともに私たちに語りかけてくる。

親が子供を縛らない

エリオの恋愛を、両親は何となく察知していて10代の幼い迷いだと切り捨てずにじっと見守って手を差し伸べる瞬間を待っている。

きっとこれまで干渉し合うのが当たり前と思われてきた親子関係に、この両親は新しい価値観で向き合おうとしているのだろう。

そのお互いに1人の人間であると認めている雰囲気がすごくいいなと感じた。だからこそ、絶妙なタイミングで父親は息子にじっくりと向き合って話ができたのだろうと思う。

急いで感情にフタをするのではなく、無視するのでもない、感じたことをちゃんと味わう。そして父親は思う、恋愛に呑まれ、誰かに恋しいと思われ、自分も恋しいと思う、そういう瞬間は案外短くてとても大切なものだったのだと自分の経験を交えて思い返している。

キレイゴトではいかないだろうけれど、新しい時代を作っていくのはいつでも若者で、その道を見守っていくのが大人の役目なのだと悟らなければならない。理解できない、話にならない、のではなくて遠くても歩み寄ること。それは一方通行では決してうまくいかない。

続編〜作品の歩き方〜

これは続編が決まっているらしく、主役2人の続投が決まっているような記事を読んだ。今このような状況であるし、こう言う話が頓挫することはよくあることなのでわからないけれど(実際脚本の打ち合わせ含め、多忙を極める俳優や監督のスケジュール調整が難しそう)、原作を書かれた方はこの映画を見て刺激され、続編とも言うべき小説を執筆したらしい。

それだけこの作品の影響力というのは大きかったのだと思う。

実際にこれを見て自身の作品に投影させたという人は、世界中に多くいるだろう。

男性同士の恋愛を描くというと、やおい、BLなどある一定の限られた文化という感じがするが、芸術性がどうのとかいう話は置いといても、それぞれに立場の違いや考えで発信の仕方が多様になっていくのだと思う。

どの分野でもそうだろうけれど、ある文化や芸術には内包する問題点があり、それをどう生かすのか消すのかで、作者の意図がより強く反映されていくものだと思う。そういう意味では、いつの時代も一石を投じるような作品は印象に残るし、歴史に刻まれることになるのだろう。

見返すと新たな視点もあり、色々と気づくところのある作品だった。時を経てまた見返したい名作だと思う。


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