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映画「キャロル」に観る女性性とは

アマプラで観られる映画「キャロル」。

ドラマでも映画でもいわゆるBLと言われるジャンルは作品数も多いし、多彩なストーリー展開があるけれど、あまり見ないのが女性同士の恋愛。その中でどういう内容になっているのか非常に興味があった。

1950年代ニューヨーク。高級百貨店のクリスマス商戦賑わうおもちゃ売り場に配属されたテレーズ。その中でひときわ目を惹かれたのが、ブロンドの髪に赤いルージュ、毛皮をまとった婦人のキャロル。彼女が忘れた手袋を送ったことがきっかけで急速に親しくなる2人。
キャロルは恵まれた裕福な女性に見えたけれど冷え切った夫婦関係は終わろとしていて娘の親権を話し合うような状況。そんな美しくも寂しい女性キャロルに、テレーズは恋人にはない魅力を感じる。

らしさ、から逃れている2人

男性が求めるような女性らしさから、テレーズもキャロルも逃れているような印象を受ける。

テレーズは、百貨店に勤めているけれど華やかな世界にはあまり興味がなさそうで、キャロルからの「あなたが4歳の頃は何が欲しかったか」の質問に「お人形はあまり持っていなかった」「欲しいものは列車のおもちゃ」と答えるなど、子供の頃からどちらかと言うと可愛らしいものに興味がなかったことが伺える。

そして恋人とされるリチャードへの態度は、本当に好きなのか疑わしいほどにそっけない。

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いっぽう、キャロルは外見こそ髪を美しくまとめ、化粧を艶やかに仕上げているけれど真っ赤なルージュは自分を守る壁のようなもので、人を寄せ付けない高圧的なオーラを纏っている。

忘れた手袋を郵送したテレーズをお礼にとランチに誘うのだけれど、行きつけと思われるお店でタバコをふかし、カクテルをオーダーするキャロル。

またある女性のことを話すときのハージの「◯◯の妻」を聞いてすかさず、彼女の名前を口にするキャロル。自分もよく知っている人なのに、彼女を名前でなく誰かの妻とだけ称するハージのことを咎めているように聞こえる。そういうことの積み重ねが自立心のある彼女をじわじわと蝕んでいったことがわかる。

2人の態度や言葉には、自覚があるのかないのか確固たる「自分」があるような様子が伺える。そして自分の理想に無理に当て嵌めようとしているパートナーにうんざりしている。そんな2人が共鳴し合うのは自然なことだ。

それぞれの問題

キャロルは奔放な女性なのだろうと思う。ところが時代が、夫が、自分を貞淑な妻であり、理想的な母であることを強要してくる。逃げ場のない彼女の心の支えは、娘と親友であるアビー。

ハージが疑るように、キャロルとアビーとの関係は親友というには余りある親密なもののようで、その部分でハージは心からキャロルを信用していないのだろうと思う。外見は完璧で美しく、妻として連れ歩くには申し分のないキャロルだったが、ハージは自分の理解を超えた一面を持つ妻をどう扱っていいのかわからなかったに違いない。

テレーズも恋人からの旅行の誘いに気乗りせず、その態度を咎められる。恋人であるリチャードも自分に何の不満があるのかわからないし、結婚を匂わせても飛び込んでくる気配のないテレーズを持て余していたに違いない。

キャロルもテレーズも、恋人や夫から理解されないし、自分でも自分のことがよくわからない。そんな2人だからこそ、お互いのことがよくわかったのではないか。

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キャロルはキュートなのにどこか冷めているテレーズのことを「不思議な子」「天から落ちてきたみたい」と表現する。そんなふうに自分のことを表現してくれるキャロルを、テレーズは信用したのだろう。

2人はキャロルの誘いにより、しばらく何のあてもないドライブ旅行に行くことになり、より親密になっていく。

自分を開示する

写真には興味があるけれど、これまで人は撮ってこなかったテレーズ。そんな彼女が最初に撮った人物こそキャロルだった。

キャロルは夢を持つテレーズに、才能があるかは他人が決めてくれる、自分はただひたすら続けるだけ、とアドバイスを送りテレーズを後押しする。

テレーズにとって、様々な意味でキャロルとの出会いは人生の分岐点になっただろう。そういう人との出会いというのは、後にも印象に残る深い愛情になるし、運命の人だと思わせるには十分だ。

いっぽうキャロルも、若くて素直なテレーズを愛おしく思い、ハージとの関係、アビーとの複雑な事情を包み隠さずテレーズに打ち明ける。

お互いがお互いを一番心地よく思う。それは男性との関係に複雑で釈然としない気持ちを抱えていたから余計にそう思うのだろう。

もともと女性が恋愛対象の人、というよりは、現状に居場所がなくなり、逃げた先にいたのがお互いだった、という展開のような気がする。前を向いて生きていくために、束の間にお互いを癒す関係。

もしかして同性を求めるきっかけがこんな状況だったという人も案外多いのではないかと思った。

女性同士の恋愛、というストーリーにおいては、生きづらい社会に疲れた自立心の強い女性、押し付けられる"らしさ"に疲れている(反発する)人たち、という側面がどうしても付き纏うのかもしれない。甘えたいという受け身な考えではなく、それぞれが自立してお互いの刺激になるような関係。これは恋愛どうこうは関係なく、女性を取り巻く問題が関係してくるのだろう。

得た人、失った人

テレーズはやがて望んだ職につく、そして自分にも時代にも疲れたキャロルは、妻と母に専念さえしていればいい状況を捨てて再出発をする。

そんな2人が再び出会ったところからこの映画はスタートしている。その続きがラストでは描かれ、いっとき激しく求め合った2人の結論が視聴者に提示される。

そう思うと、本作は恋愛ストーリーというよりは女性が世代を超えて自立していく姿を描いた作品である。

運命の出会いは、あなたの思ってる以上に色んな場所・シチュエーションにあるのだ、とそんなことを言ってくれているように思えてくる。

誰かの運命

女性同士の恋愛という期待感で見ると、本作はやや別の印象を受ける作品だった。レトロでゴージャスな世界は見るだけでもいい気分になれるし、主人公2人はキュートで美しく凛々しい。

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余りこういう展開で主人公は可哀想で孤独だからなんです、と主張してくるものは好きではないのだけれど、時代設定が古いためか妙な説得力があった。

何となく現状に満足していない、ただダラダラと生きてしまっている、という時には感じるものがあるかもしれない。

自分も誰かのきっかけや運命になりたい、それは恋人だろうが友達だろうが先輩後輩だろうが構わない。そうすれば自分の生きている理由がよりくっきり明確になっていきやすいだろうにとそんなふうに思う。

実際、この作品には原作があり作者の実体験が元になっているそうだ。ところが出版当時は全く別の名前で発表し、後々になって実はあれは、と告白したという裏話がある。もしかして作者の葛藤もそのままこの映画に反映されているのかもしれない。

個人的な私信

女性同士の恋愛としてもお互い自立した2人、というよりどうしようもない人の面倒見る、などという関係性も見たいなと思う。

女性だから、男性だから、という思想は古いけれど周囲に徹底されるのはもう少し先になるだろう。恋愛のあり方ももっと多様に変化していくかもしれない。

分け隔てなく色んなカップルが描かれるようになってから先、誤解や仲違いもスケールが変わってくるし、フラットになったからこその弊害もあると思う。

それを先んじて描いていく、ということに文学やアートが密接に絡んで予想していくと、また別の展開があるように思う。

テレーズを演じたルーニー・マーラは、「ドラゴンタトゥーの女」では顔中にピアスのミステリアスで孤独な天才ハッカーリスベットを演じた方。全然分からなかったけれど、顔立ちとは印象の違うちょっとクセのある役を器用にこなす俳優さんなのだな・・・

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