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映画「ドライブ・マイ・カー」

先日、日本アカデミー賞の発表がありました。作品賞始め、主演男優賞など話題になった映画「ドライブ・マイ・カー」

本家アカデミー賞にノミネートされたことが日本の賞に多大な影響を及ぼしているんじゃないのか?とややうがった見方をしてしまったので、これは確認せねばとレンタルしました。現在、各配信スタンドで500円程度でレンタル可能です。

ちなみに、村上春樹原作と聞いて題名であまりピンときてなかったのですが、「女のいない男たち」の中に収録されている話とのこと。

読んだ記憶はありましたが、内容までは曖昧でした。が、自分の過去のレビューを確認してみるとかなりあっさりとした感想に終始していました・・・当時の私にはあまりピンと来てなかったようです。男性っぽい話だな、とそういう印象です。

【ストーリー】
舞台の演出家である家福悠介(西島秀俊)は、脚本家である美しい妻音(霧島れいか)と穏やかな夫婦生活を営んでいた。仕事に行く悠介を見送る音が「帰ったら話がある」と言った日、悠介が帰宅すると音は倒れて亡くなっていた。
二年後、広島での演劇公演に演出家として招かれた家福は主催側が用意した女性ドライバー渡利(三浦透子)に愛車の運転を任せることに。毎日往復二時間。彼女と時間を共にするうちに、家福は妻との関係に初めて向き合う決意をするのだった。

物語は冒頭、妻である音が夫婦の営みの後で物語を語るところからスタートする。それはそのままこの映画を貫くトーンとなって、家福と関わる人たちは大いに自分のことを語る。映画鑑賞後、1番に思ったのは「これは映画というよりは小説だな」だった。

家福夫婦はある悲しみを共有していて、それからも支え合い、愛し合い生きていたように見えたけれど、実は取り繕い、隣にいながらも別の方向を向いていた、という虚しさに包まれている。

悠介は2年経っても妻が亡くなった日から前に進めないでいたけれど、車に乗っていることすら忘れさせるような、滑らかで気遣いの届いた渡利の運転に身を任せるうち、心が解けて行くのを感じる。渡利もまた、失った虚しさを抱え、罪の意識に囚われている女性だった。

渡利は若い女性なのだけれど、その見た目はとても簡素で女性らしさというものを一切排除したような物言いや佇まいをしている。仕事に忠実で余計なことには反応しない。
一方、悠介の妻はとても美しく、夫婦二人が絡み合う姿はどこをとっても非の打ちどころのない完璧なものだ。才能ある頭の中は、いつも悦びと背中合わせにフィクションが渦巻いていて、悠介は自分が最初の読者になることに無常の喜びを抱いていたはずである。ただ、その妻から覚悟を決めたような口振りで告白を促された時、悠介に訪れたのは恐怖の気持ち。自分は妻を理解していなかったのではないか、それを認めるのが怖い。

妻が言うと決めた「何か」を聞けないまま、悠介は彼女を永遠に失う。そのストーリーから思い出したのは、映画「永い言い訳」

男性女性と分けてはいけないのかもしれないが、こちらは西川美和監督作品。ストーリーの構築の仕方や、夫婦の在り方、その後の夫の人生についてはかなり違う解釈がなされているように感じた。

私自身の個人的な感想からすると、「ドライブ・イン・カー」は男性のセンチメタルを描いた小説映画だ。まだ思春期の最中にいるように、訥々とした語りで、夫は妻との思い出を振り返る。そして自分の後悔を易々と口にする。同じく罪の意識を感じる女に、抱擁と慰めを与え、同時に自分の傷を癒す。

その悠介が今でも妻の声を聞けるのは、とことん感情を排除し、自分以外の俳優のセリフを淡々と、絶妙なタイミングで録音したテープでのみ。艶っぽいその声とは裏腹に、話すセリフも、トーンも、妻の持っていた世界観を一切残さないもの。ただそれに安らぎを感じているのも事実。彼が作った世界でのみ、彼女は生き続けている。

妻を失って、悠介は彼女が産み出す物語を永遠に失った。自分のものではない罪を背負って、彼は苦しみ、彼女を成立させていたのは自分だけだったと今でも深く信じたいが、その自信は常に揺らいでいる。
知りたいけれど知りたくない、見たいけれど目を覆いたい、矛盾する気持ちを孕んで悠介は二年という月日を過ごし、様々な人たちと出会い別れていく中で、ようやくその苦悩に向き合う準備を整えた。

答えはないのだけれど、悠介が選んで手放したものは彼のこれから生きて生きて、あちらの世界に行けるその時まで、辛さや苦しさとともに過ごした時間をこの世で唯一、証明してくれるものになるかもしれない。

邦画独特の淡々としたトーンは嫌いではないものの、悠介が語る妻の創作風景、自分との関係、罪の意識にはあまりに抑揚がなく、違和感のようなものを少しずつ覚えてきた。とても哲学的に、極めてロマンティックに語られるその口調は、人間らしさが匂ってこず、そんな物語に作り手が酔っているようなやや居心地の悪い感じを抱いてしまった。

評価されるところがあるとすれば、劇中劇と現実世界、演じる役と本当の自分とが複雑に絡み合い、時に突き放されながらも共に進んでいくところだろうか。悠介が作り上げた劇の意味合いをもっと深く理解できれば、また違う見方ができ、主人公にも没入できたかもしれない。

悠介とリンクして、永遠に解けないものを背負わされたような、そんな居心地の悪さが、微かに鑑賞後の心持ちに影響しているのかもしれない。

観たこちらの知識や理解力が問われる、難解な3時間であった。


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