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学校での「多様性」の尊重

勤務先の小学校で、ピアスをする子が増えてきました。
年度始めの4月には、6年生の数人が、片耳だけに、粒型のものをつけていました。最近では人数が相当増えて、穴を3個4個とあける子や、フープ型のピアスをじゃらじゃらさせている子もいます。

以前は、外国籍の子がピアスをつけていても、「ここは日本の学校だから・・・」と教員がやんわり言えば、外して登校するようになりました。

最近では、教員はピアスについては何も言いません。
というか、言えません。
「多様性」尊重が大前提の昨今、「ピアスの何が悪い」と居直られるにきまっているからです。


同様にして、髪の毛を脱色してくる子も増えました。
さすがに頭髪全部を脱色してくる子はまだいませんが、インナーカラーをしている子はふつうにいます。高学年だけでなく低学年の子にもいます。

髪の毛についても、教員は何も言えません。
「子どもが親と同じヘアスタイルにして何が悪い」と言われたら、返す言葉はありません。


昭和の昔には、中学校なんかの校則には髪型や持ち物について「華美でない」「中学生らしい」というぼんやりとした表現のきまりがあり、それなりに守られていました。
「中学生に「華美」はNGだよね」とか「「中学生らしい」のはこんな感じ」、とかいう共通理解があったのですね。保護者・学校・地域に「暗黙の了解」があって、機能していたわけです。

今の時代にこんなぼんやり表現をしたら、
「華美の基準って何ですか?」
「中学生らしいって何ですか?」
「華美のどこがいけないんですか?」
っていう反論が来て、学校側はまともに答えられないでしょう。
頭を全部金髪にして登校する子が現れるのも、時間の問題ですね。


*   *   *

こうなると、ことはピアスや髪、服装の問題だけにとどまりません。

学習の内容や態度についても「多様性」尊重の影響を受けます。

「べつに寝転がって学習してもいい」
「べつに正しい鉛筆の持ち方でなくてもいい(そもそも「正しい」鉛筆の持ち方って何よ?)」
「べつにドリル全部やらなくていい」
「べつに全部の教科、授業に出なくてもいい」

そして究極的には
「べつに毎日学校に来なくてもいい」

となっても、学校側は何も言えないですね・・・。
何しろ、文科省自身が「学びの多様化学校」なるものを打ち出していますし・・。


私はもちろん「多様性」が尊重されることは大切だと思っています。
ただ、公立学校における「多様性」尊重って、オールフリーっていう意味なのでしょうか。
公教育において、全員に保障しなきゃいけない最低ラインの共通項って、何なのでしょうか。
「令和の日本型教育」の議論で圧倒的に足りないのはこの点だと思っています。


あ、ちなみに、勤務校は教員も、髪型・ネイルやまつエクもオールフリーです!!
ド派手(=わたし基準で…)な方もいます。修学旅行を引率した教員の一人は、髪の毛が青かったです。
でも何も言われません〜!
そして、研究授業や所長訪問・学校訪問(合同訪問)では「正装、スーツ着用、男性はネクタイ必須」って言われるんです。不思議〜。笑






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