もの書きの原点をたどってみる
万城目学さんのエッセイが好きです。
旅行記もよく書かれていらっしゃいますが、どちらかというと日常のことや思い出話を綴ったものが面白いと思います。
万城目さん独特の言葉のセンスで、しっかりとオチのついたエピソードは何度読んでも声に出して笑ってしまいます。
そんな万城目さんの最初のエッセイ集『ザ・万歩計』の1番最初の項は、
「『はじめに』にかえて 風が吹けばエッセイを書く」
と題されており、万城目さんが文章を書くようになったきっかけである高校時代のことが綴られています。
noteで、コラムなり小説なり何らかの文章を書いているような方々なら、一度は考えたことがあるのではないかと思います。
ところで自分って、いつから文章を書くことが好きになったんだっけ、と。
小学校に入ってから、日記や絵日記、感想文など、様々な場面で私達は何かしら文章を書く経験をします。
幼い頃の私は、とにかく怠惰でした。というか、今もそうなのですが、前以てやっておくとか、継続して何かを続けるとかが苦手なのです。
だから、日記を毎日書き続けるなんてできませんでしたし、長期休暇中の宿題は期限ギリギリ、ないしは過ぎた頃になって提出するのがデフォルトでした。
ただ、それでも書くことは好きだという自覚はちょっとありました。自分が書いた文章は、日記から作文から手元にきちんと残していて、暇なときにそれを読んだりもしていました。
「文章ナルシスト」という存在がもし認められるのだとしたら、私はまさしく文章ナルシーです。今も、実は完成した自分の文章を読むのは結構好きです。
ただ、それだけでなく、書いたものが「評価された」ということが、プラスの経験価値になってより書くことが好きになれたと思います。
万城目さんの経験も、文章を学校の先生に評価されたことが文章を書くきっかけだったというお話でした。 (あらすじだけだとよくあるお話ですが、このお話がしっかり面白いのはさすが万城目さんです)
自分の経験の中で一番強く記憶に残っているのは、高校時代に、自習課題として50分の授業時間で書くことになったエッセイ。
そのとき教科書で「自分探し」をテーマにした評論を扱っており、「あなたにとっての『自分探し』とは何か」という題で原稿用紙1枚を埋めるというのがその課題でした。
自分で言うのもなんですが、継続性や計画性のない私は、どちらかというとこういった時間制限付きの作文課題が得意でした。
この時も、大体の道筋を思いついたら結末など考えぬまま書き始め、そのまま原稿用紙の最後の行の、ほぼ最後までを埋めて提出しました。
そしてその原稿は紙面いっぱいの花マルとともに返され、その後の授業で出題者である先生が私の作文だけを読み上げてくれるほどの完成度でした。
名無しで読み上げられた分、近くの席の子の「こんなの書けるとかすごい…」というつぶやきが嬉しく、心の中で誇らしかったものです。
さて、そこまで評価されたそのエッセイ、果たしてどんな内容だったのか。今回帰省したときに久方ぶりに読み返してみました。
…うん、なんか大したことなかった。
制限時間の中でここまで書ければまあ大したものか、という程度。おそらく、課題である評論だけでなく、自分の過去の読書体験まで絡めた論である点が評価されたのだと思います。あとは、他の生徒のエッセイがよっぽど似たり寄ったりだったか。
高校時代に学校で書いた文章はひとつのクリアファイルに収めていましたので、ついでに他の原稿も読み返してみました。
教科書に載っていた評論や小説の感想文・評論文が並ぶ中、ひとつだけ異色の原稿がありました。なんと、小説。梶井基次郎の『檸檬』を題材に物語を書いてみよう、という課題だったのではないかと推察します。内容は、こんな感じ。
主人公は、京都の女学生。ある日の学校の帰り道、友人と丸善に立ち寄った彼女は、画集の上にのせられた鮮やかな檸檬を目撃する。友人は気味悪がるが、主人公は不思議な魅力を感じで目が離せない。友人と分かれたあと、ひとり丸善に戻って檸檬を見にくると、同じく檸檬に惹かれたと思しき男子学生に出会う。似たような感性を持つ学生に、主人公である女学生はほのかな初恋をするのだった…。
こんなお話が、原稿用紙3枚にわたって綴られていたのでした。
先生も「この男子学生が有名人だったら面白いかもしれませんね。川端康成?ちょっと無理があるか」とやや悪ノリしたコメントを枠外に書いており、楽しんでいただけたようでした。
なんというかまあ、こんな甘酸っぱい話、今じゃ絶対に書けません。
そもそも、『檸檬』を読んで、なぜこんなサイドストーリーを思いつけたのか疑問でした。梶井基次郎って、若くして亡くなっていて、こんな青春なんか多分送れてないはずなのに、基次郎の買った檸檬に恋のアシストをさせるなんて、当時の自分結構ひどくないか。
待てよ、なぜ私、梶井基次郎の青春が不憫だと思い込んでるんだ。
そこで自分の中で電撃が走りました。
あ、これ「もっちゃん」の影響だ。
「もっちゃん」というのは、『ホルモー六景』という連作短編の中の一編で、梶井基次郎が登場しているお話です。そう、万城目学さんの作品です。