不協和音の残響
4記事にも区切って綴った「親友との不協和音」。こちらは主に去年の出来事で、確か秋頃に下書きしていたものでした。
それから新しい年を迎え、現在までの続きのお話をここにまとめようと思います。
結論から言うと、このお友達とは絶縁状態。
彼女とはその後、クリスマスディズニーに一緒に行き、楽しい時間を過ごしました。当日までは不安もあったものの、この日は天気も良く、また彼女の機嫌も良く、逆に驚いてしまうくらいに順調に物事が進み。
「とても楽しかったね!また来年ね」と挨拶し、翌月がわたしの誕生月だったこともあり、またしてもディズニーに行こうという計画を立てていました。
チケットの値段も高いのでダメ元でお願いしたところ、「お誕生日だし好きなところ行こう!」と言ってくれたことが、とても嬉しかったのです。「こんなコーデで行ったら絶対かわいいね!」なんて盛り上がっていて、年末までしっかりやりとりをしていました。
けれど年明け、ディズニーに行く予定日の十日前くらいに「あけましておめでとう!今年もよろしくね! 予定は変わらずで大丈夫そう?」と連絡を入れると、「ごめん、インフルで寝込んでる」とだけ返事が来て。
「大丈夫?無理しないでね」と返すと、「ゆっくり過ごす感じなら行けそうだけど、全然他の友達誘っていいからね」と言われ。体調悪くても来ようとしてくれてることに感謝しつつ、他の友達と行けばと言われたのは少し悲しかったです。せっかく計画してたのにと。
「さすがに直近だからこの日程で他の子誘うのは難しそうだけど、リスケより白紙にした方がいいかな?」と送ると、「2月1週目以降でもよければ行けるよ!」と。
「2月◯日は?」と聞くと、「ごめん、その日は空いてない涙」とだけ。このあたりからちょっと(あれ?)という気持ちになってきました。これまでなら空いてなくても他の日を提案してくれるタイプだったのに。(行きたくないのかな?)と感じました。
インフルは辛いだろうけど、なら普通に仕事が立て込んでるとか、なんらかの理由で断ってくれた方がいいのに。そう思いました。(こんななあなあな対応する子だったっけ?)とこれまでのすれ違いに加えて違和感を覚えてしまい。
仕方なく、「じゃあ◯日はどうかな?」と送るとそこから未読スルー。これまでは数日後に追撃ラインを送れば、「遅れてごめん!」とすぐ返してくれてたのに、追撃ラインも未読。最終手段として電話をかけるも、応答なし。電話に出てくれなかったのも初めてのことでした。
(もしかしたらものすごく仕事溜まってるのかな…?)とか(彼氏と喧嘩でもしたのかな…?)とも想像力を働かせてみたけれど、それにしてもここまで無視することないんじゃない??という気持ち。むしろ、何かの事件に巻き込まれたり、メンタル病んでるのかなという心配もありましたが。
しかしそうでないとすれば、年末に盛り上がって計画立ててたのは何だったんだろう。何より「誕生日だから」と言ってくれたのに、わたしの誕生日当日はもちろん、ラインの際におめでとうの一言もないのもどうなんだろう。
そんな彼女の行動の節々から、大切に扱われていないんだなあと実感してしまっていましたが。
「なんか気に触ることしちゃったかな? 何かあったならいつでも話聞くからね」みたいなフォローのメッセージも送ろうか迷ったけど、なんかもうそれすらも面倒で。思い返してみても、気を遣ってるのはわたしばかりにしか見えなくて。
そこまで彼女に執着する自分もそろそろちょっと気持ち悪くて。「なんでこんなに執着してるんだろう?」と不思議で。
出会ったタイミングが今だったなら、こんな対応の人のことはそもそも好きにならなかったのでしょうが。
けど何より、積み重ねてきた過去と、これまで彼女がわたしに与えてくれた幸福感が依存の要因になってしまったようで。
それは例えば、話好きなわたしが「いつもお喋りでごめんね」と言うと、「るるちゃんは話すことも好きだけど、ちゃんとこっちの話も聞いてくれるから今のままで問題ないと思う」と言ってくれたこと。
他の子にドタキャンされた早朝、寝起きにダメ元で電話をかけたのにも関わらず、予約してたモーニングに駆けつけてくれたこと。
旅行中、サーティワンアイスが食べたいとか、このカフェに行きたいと言うと、わたしよりも真剣に場所を探してくれたこと。
ディズニーの抽選が当たったり、行きたいカフェの座りたい席が運良く空いた時、目だけで会話して歓喜したこと。
わたし自身、どちらかというと一人が好きで、あまり人に依存するタイプではないのですが。恋愛にもさほど興味がなく、一人でいる時間が欠かせないくらいです。
そんなわたしをも依存させた彼女は、実はすごい人物なのかもしれません。
しかし後になって、ラインをブロックされていたことが明らかになりました。
純粋に優先度が下がったのか、めんどくさくなったのか。それにしても4年も仲良くしてたのに、こんな終わり方ひどくないか…??
一緒に泣きながら話した時には、「わたしの方はどこか直した方がいいところある? わたしは人に指摘されたら改善したいと思ってるから言ってね」と伝えた時には、あっけらかんと「特にないよ」と言っていたので、悶々。
ディズニーの計画がおじゃんになるまでは、彼女に話したいことが沢山ありました。聞きたい話も沢山ありました。けど、誕生日おめでとうもなければ、2月行けると言っておきながら未読スルーの対応。
イライラでもなく、悲しいでもなく、今はただただ虚しくて。未読スルー一週間くらいは胸がザワザワしていたけど、それが過ぎると悟りの境地でどうでもよくなってきました。
この心境の変化は、前に距離を置いた時と似ていて、一定の時間が経つと人は諦めがつくのかなと学びました。
失うなんて無理と思っていても、いざ手離してしまえば案外平気だし、むしろ自分の心をざわつかせるもののことを考えなくなると、すっきりするのです。
依存状態って抜け出し始める時が一番大変で、一度抜けてしまえば呆気ないのかな、なんて。
どうせ一度ヒビが入った関係。
よくここまでもったものだ、とも思いますが。
ついにここから、いつも一緒にいた彼女が「思い出」になっていくんだと。
しかしながら、出会えたことには感謝しています。ここまで本気で向き合った友達もいなかったし、何より彼女と過ごした時間が楽しかった事実は消えないから。
この関係はここで終わってよかったものなら、「たくさんの思い出をありがとう」と素直に伝えられる。
変かもしれないけど、もしも偶然道端で会ったら、割と普通に話しかけちゃうかもしれない。
なんでもかんでもポジティブな締めくくりにする必要はないと思うけど、ちょっぴり人間不信になったわたし。初対面の人や職場の人とニコニコ会話するのは得意だけど、心から誰かを信用することにはかなりの時間がかかりそう。
それは悲しいことでもあるけれど、同じことで傷つきにくくして、自分の心を守るための防衛反応なのだと思います。「期待しなければ傷つかない」。よくある考え方で、冷めているかもしれないけど合理的。
裏切られた時に立ち直れなくなるくらいなら、簡単に信用しない。過度に依存せず、無理に合わせず、居心地のいい関係だけを大切にしていきたいから。
喧嘩やすれ違いなら、時が解決してくれることもあるかもしれないけど、やっぱり一度された嫌なこと、一度言われた嫌なことっていうのは案外付きまとうもので。
その人が与えた印象や感情っていうのは、例えその後に関係が修復されたとしても、消えないものだと信じていて。
一度失った信頼は取り戻せないとはよく言ったもので、必ず傷はどこかに残っていて。だからこそ、自分も一挙一動に気を遣わねばと考えている次第です。
さよなら、わたしの親友だった人。
不協和音の残響を胸に、新しい春を。
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