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娘がRSウィルスで肺炎に

娘が、1歳半の時、RSウィルス細気管支炎で1週間入院した。

水曜日に熱を出し、かかりつけが休みの日だったので、ちがう小児科を受診した。かかりつけ医だったら、血液検査をして、確定診断してくれるのだが、そこは、検査をしてくれなかった。

保育園で、RSウィルスが出ていることを告げると、抗生剤を出されて、RSウィルスかもしれませんと言われ、帰された。

娘は、ごはんも吐いてしまうし、薬をあげても、吐いてしまう。薬を飲ませることができず、疲れて、看病だけしていた。

これが、いけなかった。抗生剤は、飲ませなければいけない薬だったのだ。今でも悔やんでいる。

金曜日、かかりつけに行くと、血液検査で、RSウィルス感染症と分かった。こじらせていることが、問題です。この薬は、頑張って必ず飲ませてくださいと。

家に帰り、薬を何とか飲ませる。でも、熱は高いまま。

土曜日にまた、かかりつけを受診。熱は下がっていたが、血液検査をすると、悪くなってますね、と言われる。すぐ、入院した方がいいと思いますと。

その足で、市立病院へ。レントゲンを撮ると、片方の肺が白くなっていた。

入院手続きに時間がかかったが、やっと、病室へ。感染症のため、個室だった。

娘は、酸素チューブをお顔に貼り付けられ、点滴と酸素飽和度ともうひとつ何かの3つくらい、手につながれ、起きることもできず、コンコンと咳をして、しんどそうに横になったまま。

小児用ベッドは、高い柵で囲われている。その中に、娘と私が寝て、過ごすことになった。

急な入院だったため、必要なものを一旦家に取りに行かなければならない。

娘が眠った隙に、急いで帰宅。必要な品を揃え、また病院へ戻る。

娘は、起きて泣いていたところに看護師さんが訪れていて、病室を開けたときは、泣きやんで座っていた。ドアを開けて、ママとパパが急に現れて、またワーッと泣き出した。

それから、娘とふたりの入院生活が始まった。
娘は、具合いが悪く寝たまま、目が覚めているときも、眠っているときも、24時間ずっと乳首を離さず、チクチクチクチクと少しずつ、おっぱいを飲んでいた。
ごはんは、ほとんど食べられなかったので、今は、おっぱいが娘の栄養だった。
さすがに、乳首が痛くなったが、それより娘に栄養を与えるのが一番だと、痛いのは我慢した。

全く笑わない。おとなしい。本当にしんどいのだと思った。
ずっと寝たきりだったが、少しずつ元気になってくると、座ることができて、おやつのビスケットを食べれたりした。
主治医は、今は、食べられるものを食べれたらいいと、言った。

病院では、小児には、15時のおやつも出る。毎日、おやつのお兄さんが持ってきてくれる。
はじめは、本人食べられなかったので、私がもらう時もあった。

だんだん元気になってくると、立てるようになった。笑顔もやっと見せてくれる。うれしい。
もっと元気になってくると、声も出るし、ごはんも食べれるようになってきた。

食事の時間、娘は、自分に出された病院食よりも、私の食べている病院食堂のお弁当の方が欲しいと「う~う~(そっちをよこせ)」と、柵越しに要求する。
私は、立ったまま、お弁当を食べながら、娘の口にも、お弁当を運び、ふたりでお弁当を食べた。

娘は、私がトイレや洗濯に行く時、「ママ、○○に行ってくるよ。すぐ、帰ってくるから、待っててね」と、短時間離れるたびに大きな声で泣いた。

ずっと付き添っていて、しんどい時は、預かるから、言っていださいね、と看護師さん。
あまり、寝れていなくて疲れていたので、2回くらい、預かってもらった。
ベッドごと預かってもらった部屋から、ずっと娘が泣く声が聞こえてきた。

さらに元気になると、娘は、動きたがった。病室の中を歩かせたりしてあげてくださいと言われたのだが、靴を持ってきていなかった。抱っこして、部屋の中を歩いたり、家から持ってきた本を読んだりした。

そして、8日目に退院できることになった。
点滴と服薬で、ウィルスをやっつけたのだ。

パパが迎えに来て、3人で我が家へ帰る。
「ほら。おうちだよ。帰ってきたよ~。」と、娘を畳の上におろす。
静かだ。久しぶりに帰ってきて、どうしたらいいのかわからない様子。
パパとふたりで笑って、「おうちだから、どこに行ってもいいんだよ。」と。
娘が帰ってきて、また3人一緒だ。肺炎が治って、本当によかった。

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