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余白を持てる大人になりたい

「そもそも」という言葉はビジネスで非常に便利な言葉です。

私は一つのことを考え出したら他のことが考えられないタイプで、サービスのアイデアを考えているうちに「あれも面白いかも!」と、どんどん頭の中で脱線が起こりやすいです。

そんなぐちゃぐちゃのアイデアを相方に話した時に「そもそも、そのアイデアは何を達成するために考えたの?」と質問をされて、ようやくハッと自分の論理の飛躍に気づく訳です。

こんなことは10年前に独立をした時からわかっているはずなのに、今になってもしょっちゅう同じことを繰り返してしまいます。(悔しい!)

こんな便利な「そもそも」という言葉にもデメリットがあると感じます。それは「一見すると無駄なこと」に時間を割けないこと。何をやるにも効率性ばかりを重視してしまうことです。

10代の頃は頻繁にゲームをしていました。特にやりこんだのはファイナルファンタジー10。スフィア版というキャラクターを成長させるボードを書き換えることで、1回の攻撃で99,999という暴力的な数値を叩き出せることができました。(それまでは9,999が最高値だったから、衝撃的でした)

その日も学校から帰って、最強のキャラクターを作るためにスフィア版のいらないマスを消しては、新しいマスを作っていく作業を淡々としていました。

しかし、ふとそこで「あれ、そもそも何でこんなことしてるんだっけ?」という考えが頭によぎり、その日を境にゲームへの熱狂が冷めてしまったのです。

これは何もゲームに限ったことではありません。

コロナ期間で5キロ体重が増えたので、さすがに何かスポーツをやろうと思ったのですがサッカーにしろゴルフにしろ、始める前の段階で「そもそも痩せるためにスポーツをやる必要あるのか?食事量を減らせばいいじゃん」と、結局新しいことに何もチャレンジができていません。(結局食事量も減っていないので体重は変わらないままです。笑)

なんやこんなで35歳。趣味がありません。

ビジネスではいつも忘れてしまう「そもそも」という言葉が、プライベートになるといつもそばから離れず何を始めるのも躊躇してしまいます。これは少しずつビジネス的な思考法が身に付いてきている成長なのか。それとも、人間として面白みがなくなっていく退化なのか。

よくビジネスでは「無駄なことからアイデアが生まれる」ということが言われます。でも、ビジネス的な効率性を重視した思考法から抜け出せないと、無駄なことを楽しむ心の余白がなくなります。

きっと自分はその点が特に不器用で、オンとオフの切り替えができていないのかもしれません。

休日に家族で出掛けていても、ふとしたタイミングで「カウンセリングの連絡がきてるかも」と、頭が上の空になり、妻との会話が蔑ろになってしまうことが良くあります。(決して妻との会話が無駄というわけではないのですが)

目の前のことに全力で向き合う。これをオンとオフで切り替えられるのはいつになるだろうか、はたまた一生このままなのだろうか。できればもっと大人(40歳くらい?)になった時には、目の前のことを楽しめる余白を持てるようになりたいです。

こんなことを考えている間も「どうすれば子どもを効率的に寝かすことができるか」を考えて、ベビーカーを押しながら舗装されていないガタガタ道をウロウロと回っています。こんな時は、本当はもっと子どもと向き合うべきなのか。

考えすぎて、どっちがどうなのか分からなくなりました。


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