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気を許したり、気が緩んだり、他人だからこそ私たち忙しい

久々に会えた!のに、彼が先にいびきをかいて一向に起きない。「気を許す」が「気が緩む」に変わってしまったなあ。ちょっとだけため息をついた。

気を許している、というと聞こえはいいよね。でも気が緩む、は怠慢で、リスペクトがなくて嫌だね。

そう考えていると、(そういえば…)とあることを思い出した。それは、初めて彼に寝落ちされたあの日の感動のことだ。

今の彼と一緒に住み始めて数カ月。
彼は、「ごめん、眠い。」と言って、映画かなにかを見てたのにパタンと寝た。

私はその映画がなにかをそこで止めて、彼の閉じられた目元を見た。
そのとき、なんというんだろう。とにかく、感無量って感じだった。

だって、"映画かなにかを見ていて眠いから寝た人"は、家族以外で初めてだったのだ。(家族以外の場合は、なんか静かになったなと思ってふと横を見ると、細い目で眠気と格闘している。それが「他人」の標準的な姿だと認識していた)

だから、「眠いから寝る」とかいうシンプルなことをされて、私は「あ、この人とはいま、他人以上になったのかも?」と興奮した。変な話、初めて彼が私の中に入ってきた夜より全然強く、そう思った。

☆☆☆

あれからもうすぐ2年。

今の私にわかるのは、
「気を許す」と「気が緩む」って、同じ意味なんだってこと。
つまり、「気を許す」っていう言葉を噛み砕くと、「気が緩むのを許す」って意味になると思うのだ。ここでいう「許す」は、そのことを相手に対して許すことであり、同じくらい、自分に対して許すことである。

「気を許す」も「気が緩む」もなくて、要はどっちも「なあなあになる」みたいなとこなんだと思う。あとは、それをどう捉えるかの問題。プラスにするか、マイナスにするか。

言ってしまえば二人の人間がある程度の親密さで、一定期間以上を過ごせば、なんていうか、なあなあになる。その「なあなあ」を美化できるか、できないか。
それが、「じゃあその先も一緒にいてワクワクするかどうか」を決める。(因みに一番簡単なのは、なあなあでありつつ、まあいいやで暮らすこと。この先にはじんわりした破滅があると私は考えている)

だから私は、「なあなあ」に出くわしたら、頭の中で「彼はひどく他人だ」と唱えるようにしてる。
すると、その「なあなあ」にいちいち感動する。
タバコを取り出すために無言で荷物を渡してくるときとか、襟を直しても御礼の言葉も仕草もないときとか、そういういろんな「なあなあ」がキラッキラするのだ。

☆☆☆

ん?なんかこれ、不自然な愛ってかんじ?

まあいいや。
そうして、今日も寝てしまったこの"他人"の、ワックスのついた髪を撫でる。
確かにひどく他人だ。けれど同時に、地球上の誰よりも他人ではない。

ふふふ。

今日も、たまらなくこの人を気に入っている。

おやすみ。

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