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カウンセリング受けて3年目の驚き体験

最近裁判員裁判の傍聴に行った。
人生2回目の傍聴。
「真実は小説より奇なり」という言葉があるけど、
本当にその通りだと思った。
「誰が善で、誰が悪」と白黒つけられることばかりじゃない。
被害者、加害者、証人それぞれに
人生や背景、恨み、怒り、悲しみ、傷つきがあった。

この前、私の周辺で2つの立場の人達から話を聞くことがあった。
AにはAの言い分が、BにはBの言い分がある。
さらに、その周囲の人たちの複雑な心境も絡みあっていて、
この出来事も「この人が絶対的に正しい!」とはできないなと感じた。

立て続けにあった2つの出来事を通して、
ありきたりな言葉だけど改めて
「人(物事)は一面じゃなく、色んな面を持っている。
 1つの側面だけ見て”こうだ!”ということはできない」
と思った。

話は変わって、
私は毎日瞑想とインナーチャイルドワークをしている。
カウンセラーに習ってずっと続けているワークだ。
今日それをしている時に、
「人って一側面だけでは見れない(わからない)ものだな~。」と
上に書いた出来事が思い出された。
そしたら、急に
「過去も一側面だけで見ることができない」
という言葉がふってきた。

その途端、走馬灯のように、
父や母と楽しく過ごしている幼少期の場面が
たくさん頭の中を流れていった。

私はACで、幼少期にトラウマを抱えている。
そのことは長らく私を苦しめてきたし、
今もそれらは私に対してたくさんの影響を及ぼしている。
その影響の一つが、幼少期の記憶がかなりないということだ。
小学校中学年までは40%の記憶、
中学・高校は60~70%、
全てハッキリしているのは大学からだろうか。

そんな私の頭の中に、忘れ去られていたたくさんの思い出が、
しかも良い一面の部分が思い出されたことが驚きだった。

トラウマに苦しんでると、
「過去=苦しかった」
「過去の私=ダメだった」
というラベル張りをしてしまう。
そこにはグレーやグラデーションがない。
黒か、白か、という考えしかできない。
ただ、今日、実感として、
「苦しい過去は、私の過去の一側面である」ということが感じられた。

以前カウンセラーが
「過去はパズルのピースのようなもので、トラウマがある人はそのピースがバラバラになっている。
苦しさの中で記憶を分断しているから忘れてしまっている。
トラウマ治療を続けることで、
そのピースが1つずつつながっていく。
それによって、自分に何が起きていたか全体をしることができる。
そして全体を知ることで癒されていく、トラウマに脅かされることがなくなる」
といった内容の話をしていた。

これからも治療は進む。
自分の過去の色んな側面を知りたい。
色んな過去の私に出会いたい。
そして、
傷ついている私に、
自分は愛されていないと信じている私に、
自分は独りぼっちだと思っている私に、

「あなたは愛されていたよ」

と言いたい。

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