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仏像の最初


仏像以前

仏教の開祖である釈迦、つまりゴータマ・シッダルダさんは、元来、偶像崇拝を禁じていました。ヒトは目に見えるものに執着してしまう傾向がある。でも、執着=煩悩を捨てることが悟りへの近道だと説くのが仏教なので、仏像を捨てるところからはじまるのが、仏教とも言えるわけです。

とはいえ、ヒトにはシンボルが必要。
やはりカタチとして残さなければ仏教を継承するのは難しいと考えた釈迦の弟子たちが経典をつくり、その経典をビジュアル化した仏像が必要だと考えたわけです。
とはいえ、最初は、釈迦をモデルとしたような、人のかたちをした仏像をつくるのは、さすがに抵抗がありました。

そこで、
仏塔 - 釈迦の遺骨を祀ったもの。
法輪 - 釈迦の教えが煩悩を砕くという、インド古来の武器です。
菩提樹 - 釈迦が悟りを開いた場所が菩提樹の下であったために、仏教では菩提樹が大切にされています。
仏足 - 釈迦は旅をしながら布教したので、その足跡を聖なるものとしたわけです。
などが、偶像としてつくられました。

日本のあちこちにある五重塔や三重塔は、じつは、お釈迦さんの遺骨を祀った建物です。どこにいても拝めるように、高い塔になっているのが、五重塔であり三重塔。

斑鳩の法隆寺の近くには、法起寺の三重塔があります。法隆寺周辺には、法隆寺五重塔、法輪寺三重塔、法起寺三重塔と、斑鳩三塔が並んで建っています。

法起寺の三重塔。斑鳩には、法起寺三重塔、法輪寺三重塔、法隆寺五重塔が並び、斑鳩三塔と呼ばれている。

法輪は、四天王寺さんの南大門である極楽門に据え付けられているものが有名です。回せるので、ぜひ回してみてください。回すと、煩悩が砕け散ると言われています。

回すごとに煩悩が砕け散るといわれる法輪。四天王寺の極楽門に据えられている。

長谷寺の手前にある西国巡礼の札所の番外の法輪寺には、お釈迦さんの仏足があります。
和歌山の粉河寺にもお釈迦さんの仏足があります。粉河寺は西国巡礼の札所です。

法輪寺にある仏足。法輪寺は長谷寺に向かう参道の途中にある西国巡礼の番外札所。

丈六仏

お釈迦さんは、経典によると、身長が約4.8mとされています。
むかしっから偉いヒトはデカく描かれるというのは通例なのですが、それにしてもデカい。ホンマカイナ、と。仏足もデカいです。
この約4.8mとは、1丈6尺、つまり「丈六」と言って、仏像をつくるときの高さの基準になっています。
立像、つまり立った像は約4.8mの丈六が基本で、座っている坐像はその半分の8尺が仏像の高さの基準です。約4.8mの丈六よりも大きいものを「大仏」と言います。

丈六仏。これより大きいものを「大仏」と呼ぶ。

最初の仏像、ガンダーラ仏

そうしたものを偶像として、紀元1世紀ごろに、釈迦の化身として、神聖な偶像として、パキスタンのガンダーラ地方にて仏像がつくられはじめたと言われています。
ガンダーラは、ゴダイゴがむかしTVドラマ『西遊記』で歌った主題歌のタイトルにもなっています。
遥かなる場所。現在のパキスタンの北西部にあります。ガンダーラはかつて、古代ギリシャの王であるアレキサンダー大王が東方遠征をおこない、ギリシャ系民族がたくさん流入し、ギリシャ文化が伝えられた場所です。いわゆるシルクロードの交易地点です。そこでギリシャ彫刻がつくられるようなかたちで、仏像がつくられたのではないかと言われています。

ガンダーラ仏を見てください。
螺髪(髪)が波打っていて、長髪です。目の隈取りが深く、両足が肩幅程度に開いていて、まるで西洋人です。この像は東京国立博物館にあるので、機会があればご覧ください。

東京国立博物館所蔵のガンダーラ仏。ギリシャ彫刻の影響が見られ、姿も西洋人のよう。

アフガニスタンでは、アレクサンダー大王を従えたアレクサンダーブッダが見つかっています。粘土でできた仏像です。おそらく、紀元1世紀のころのものと言われています。最も古い部類の仏像です。仏像の左に見えるのが、アレクサンダー3世と言われています。ブッダに従っているかのようです。非常に珍しいケースやと思いますが、残念ながら、1992年に、イスラム原理主義のタリバンによって破壊されました。偶像崇拝を認めないイスラム原理主義のタリバンは、バーミヤンの巨大石仏をはじめ、たくさんの仏像を破壊しました。悲しいことですが。

左手にアレクサンダー3世をしたがえたアレクサンダーブッダ
イスラム原理主義のタリバンによって破壊されたバーミヤンの石仏。この石仏が破壊され、木っ端微塵にされた。

僕はむかし、ガンダーラに行ったことがあります。パキスタン北西部からアフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタンにかけては、青い目や栗毛の人がたくさんいます。それでいて、着ている服はアジアっぽいし、仕草や言葉の響きなんかがアジアの香りがします。食べるものの味付けもアジア風です。だから、不思議な感じがします。

法隆寺の釈迦三尊像と飛鳥寺の飛鳥大仏

仏像は初期の頃から、単体ではなく、脇に誰かを置くというスタイルが多く見られました。
アレキサンダー大王がお釈迦さんの隣にいて従っているという図も、なかなかスケールの大きなものです。単体ではなく、誰かを脇に置くというスタイルです。

こうした誰かを脇に置くというスタイルが、シルクロードを経て、日本に入ってきたときには、釈迦三尊像となりました。
日本の初期の仏像で一番多かったのは、この釈迦三尊像です。
法隆寺の金堂に鎮座しているもので、鞍作止利(くらつくりのとり)という、日本で最初の仏師がつくりました。秦氏という、渡来人の仲間で、推古天皇や聖徳太子、蘇我氏とともに仏教を推し進めたひとりです。法隆寺の釈迦三尊像は、中央が釈迦如来です。
両脇には、薬王菩薩と薬上菩薩という珍しい菩薩さんがいますが、この人たちのことは役割も含めて、よく分かっていません。ここ以外で聞いたことがないお方です。
あと、光背を見てください。ここにいらっしゃるのは、まんま聖徳太子と言われています。

法隆寺金堂に鎮座している釈迦三尊像。中央が釈迦如来、両脇は薬王菩薩と薬上菩薩。

飛鳥寺の飛鳥大仏も、鞍作止利の作です。飛鳥大仏はアーモンドアイが有名です。これも釈迦如来です。当初は三尊像だったと言われていますが、両脇のお方は、焼けて残っていません。残ってないのですが、この飛鳥大仏は、つくられてから1400年の間、一度も動くことなく、今も建立時の台座の上に鎮座していると言われています。そういうものって、この飛鳥大仏くらいしかないんじゃないかと思います。法隆寺よりも古いですからね。
ただし、飛鳥大仏のいる飛鳥寺は寺の名前が何度も変わっています。今は奈良市内にある元興寺も、もともとはこの飛鳥寺の寺名でした。法興寺と呼ばれたこともありました。

飛鳥寺に鎮座する飛鳥大仏。制作されてから現在までの1400年間、この場所から動いたことがないと言われている。
飛鳥大仏が鎮座する飛鳥大仏。周辺には明日香の美しい田園地帯がひろがる。

さて、先ほど登場した鞍作止利は、山岸涼子のマンガ『日出処の天子』に登場します、このマンガのせいで、僕は、鞍作止利といえばこの少年の姿以外に思う浮かべることができません。
聖徳太子と蘇我毛人のボーイズラブを描いたマンガですが、飛鳥時代の様子や当時の人々の仏教観が、とても説得力を持って描かれています。僕はこのマンガから得たものは大きいです。80年代少女マンガの金字塔だと思います。マンガ評論家の夏目房之介は「戦後マンガ史に残る傑作」と評しました。ご存じの方も多いと思いますが、未読の方はぜひ。

山岸涼子の傑作マンガ『日出処の天子』に描かれる鞍作止利

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