見出し画像

常識と照らし合わせて原因を解明し、答えにたどり着く

【 自己紹介 】

プロフィールページはこちら
このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:常識と照らし合わせる 】

僕は、今、児童相談所という役所の部署で働いています。

児童相談所に限りませんが、多くの人が、役所の世話にならずに一生を終えると思います。

うーんと、むしろ、一生に1回くらいは役所の世話になって死んでいく人が多いのかもしれません。

とはいえ、児童相談所の世話になる人は、かなり稀です。児童相談所の世話にならずに一生を終える人は、かなり多いでしょう。

言い方が悪いかもしれませんが、児童相談所に関わるのは、普通じゃありません。

まあ、「普通の人」という人が、本当に実在しているのかどうかという難しい問題は置いておいて、児童相談所が関わっているということは、それなりの理由があるはずです。

その「理由」に気づくのが、本当に大切なんですが、「どうして?」とか「なんで?」とか漠然と聞いても、何にもなりません。

例えば、40歳の母親が、10歳の長男のほっぺたに2発ビンタした、という虐待が起きたとしましょう。

翌日長男が登校し、担任の先生が左ほっぺたが腫れていることに気づいて、教頭へ報告し、教頭が市町村役場へ通告した、という事案を考えてみます。

(ちなみに、虐待を発見した場合、基本的に市町村役場へ通告することになっています。児童相談所が関わるのは、あくまで、専門的な知見が必要とされる虐待事案のみで、それ以外の虐待事案は、市町村役場が対応します)

この場合、市町村役場の職員は、親と面談して、「なんでビンタしたんですか?」と、当然、ビンタした理由について聞きます。

母親は、「なんでって言われても」と言うかもしれません。「なんで?」と漠然と聞かれても、答えにくいですからね。

他にも、「言うことを聞かなかったから」と返答するかもしれません。しかし、そう返答されたとしても、それだけで、理由の聴取が終わるわけもありません。

母親がどれくらい話してくれるかとか、時間がどれくらいあるかにもよりますが、「言うことを聞かなかった」って、どういうこと?という疑問が次に浮かびます。

こういう感じで、次々と疑問が浮かんでくることで、事情聴取というのは深まっていくのですが、疑問を浮かばせる原動力は、「常識」です。

「言うことを聞かなかったから」という理由でビンタした、と母親は説明しているわけですが、言うことを聞かないときに、親全員がビンタして言うことを聞かせようとするもんじゃありません。

言うことを聞かないからといって、子どもにビンタすることが正当化できるはずもありません。

例えば、従業員が社長の言うことを聞かないからといって、社長が従業員のほっぺたをビンタできませんよね。

(雇用関係と親子関係は違うと反論する人は、かなりマズイ感覚をお持ちなので、自分のマズさを速やかに自覚されたほうがいいと思います。)

従業員も子どもも1人の人間ですから、暴力被害が正当化されるはずがないのです。

だから、「言うことを聞かないから叩いた」というのは、「常識」に照らして説明がつかないので、さらに質問が浮かびます。

「言うことを聞かないから叩いた」というのは、どうしてですか?という疑問です。

そこで、「言うことを聞かないから叩くことの何がおかしいんですか?」と返答されれば、その感覚から変えなきゃいけない、ということになります。

そうではなく、「いくら注意しても、部屋の中でテンション高く動き回ってしまっていて、そうしていたら、揚げ物しているガスコンロに長男が近づいてきたので、危険を回避するためにとっさに子どもを押したら、そこがほっぺたで、それでも動き回るから、我慢ならずにもう1発ほっぺたをビンタしてしまった」という話なら、ビンタしてしまったことは確かに責められるべきですが、それよりも、危険に気づかず動き回る子どもの発達にもフォーカスをあてるべきでしょう(あと、動き回る子どもがいるところで揚げ物しようとするのも、改善しなきゃいけないポイントでしょう)。

こんな感じで、事情聴取を深めることで、今後の方針が決まってきます。

一にも二にも、事情聴取です。表面的な事実を確かめるだけでなく、表面に現れた事実がどうして起きたのか。そこに答えが隠されていて、その答えを引き出すのは、こっちが繰り出す質問です。

その質問を頭に思い浮かばせてくれるのが、自分の中の「常識」だと僕は思っています。

ただ、凝り固まった「常識」は不要で、むしろ、自分の常識が壊されるのを楽しむくらいの気概が必要だとも思っています。

自分の了見なんて、めちゃくちゃせまくて、だからこそ、楽しい。

自分の常識が壊されることを楽しむために、常識をぶつける。そういう姿勢で臨むと、本質が見えてきて楽しいなと思いながら、日々仕事に取り組んでいます。

それではまた明日!・・・↓

*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*:;;;:*

昨日のブログはこちら↓

僕に興味を持っていただいた方はこちらからいろいろとご覧ください。

━━━━━━━━━━━━

※内容に共感いただけたら、記事のシェアをお願いします。
毎日記事を更新しています。フォローの上、毎日ご覧くださると嬉しいです。

サポートしてくださると,めちゃくちゃ嬉しいです!いただいたサポートは,書籍購入費などの活動資金に使わせていただきます!