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あの戦争について考えてみた

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:あの戦争について考えてみた 】

大日本帝国政府は、昭和20年8月14日、ポツダム宣言を受諾しました。これによって、日本は、アメリカと、中国国民党・中国共産党連合軍に敗戦することが確定しました。

正式な停戦は、9月2日に戦艦ミズーリで降伏文書に、日本の政府と大本営(軍部)の代表がサインするまで待たなければなりません。

まあ、大日本帝国政府は、昭和20年8月14日まで、戦争をやめることができませんでした。「ポツダム宣言」とは、昭和20年7月26日、アメリカ・イギリス・フランス・中国国民党という「連合国」の名義で、日本に対して突きつけられました。

この「ポツダム宣言」は、「カイロ宣言」にさかのぼります。カイロ宣言は、昭和18年12月1日、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、中国国民党の蒋介石の名義で発表されました。

「カイロ宣言」は、日本に対して無条件降伏を求めていました。この「無条件降伏」というのが、とにかく曲者でした。

「無条件降伏」は、文字通りに解釈すれば、「どんな条件であっても受け入れて、降伏します」という意味です。

で、当時の大日本帝国政府が最もおそれたのが、「皇室の廃止」です。

「日本」という国は、世界で最も古い王朝です。「王朝」という言葉が生まれる前から、ずっと、万世一系の天皇家が、「スメラミコト(国を治める人)」「帝(みかど)」として君臨してきました。

(日本は、間違いなく「王朝」ですが、天皇は「king」とは英訳されておらず、「Emperor」と英訳されています。)

明治維新は、「近代国家=中央集権国家」を作り上げる作業でしたが、その際に、「天皇」という存在が利用されました。

ヨーロッパでは、イギリスが「立憲君主制」という政治システムを作り上げ、ドイツも「立憲君主制」でした(フランスは、フランス革命によって王制がなくなり、その後、ナポレオンが「皇帝」を名乗った時期もありましたが、結局は、共和制となったので、明治維新当時、立憲君主制ではありませんでした。)

当時、ヨーロッパが世界を征服できていたのは、「近代」というシステムのおかげでした。

この「近代」というシステムを、明治維新の立役者たちは、とにかく輸入しまくりました。日本の隣で、清が、ヨーロッパの草刈り場となっていたことを目の当たりにしていたからです。

日本という国を守るためには、「近代国家」「中央集権国家」「国民国家」を作り上げ、経済発展を成し遂げるとともに、「国民国家」の名の下に、「国家」のために命を捧げる「国民軍」を作り上げなければなりませんでした。

「国民軍」の強さは、ナポレオン率いるフランス革命軍によって、明治維新当時は、すでに常識となっていました。

「国民軍」を作るために、明治維新の立役者たちは、「天皇」を利用しました。

徳川幕府を倒幕しようとする薩長同盟軍と、それに抵抗して、なんとか生き残りを図ろうとする、徳川慶喜の策略の数々は、調べれば調べるほど非常におもしろいですが、最終的には、鳥羽・伏見の戦いで、薩長同盟軍に軍配が上がりました。

実は、「大政奉還」も、徳川慶喜が生き残りをかけた、最後の切り札だったようです。しかし、鳥羽・伏見の戦いで、薩長同盟軍の勝利が確定し、その後、「戊辰戦争」という内戦を経て、新政府軍は、日本列島を支配下に置きます。

不平等条約は、幕府(=旧政府)が結んだものでしたが、幕府から薩長同盟軍へ政権交代した後も、受け継がれました。というか、旧政府の受け継ぐほかなかったのです。

で、日清戦争を経て、治外法権を回復し、日露戦争後に、関税自主権も回復しました。

不平等条約の改正には、陸奥宗光と小村寿太郎という、日本史上屈指の名官僚による外交がありました。

日清日露戦争に勝てたのは、「国民国家」を作り、「国民軍」を作ることができたからです。天皇を中心とした、「大日本帝国」という中央集権国家を、見事に作り上げたからこそ、日清日露戦争に勝利し、不平等条約の改正を実現できました。

これらの輝かしい成功の土台に「皇室」がありました。「皇室」という存在がなければ、大日本帝国は成功できませんでした。

この「皇室」という、大日本帝国にとって、欠くことのできない価値・プライドを消し去ってしまう可能性を、「無条件降伏」という言葉は孕んでいたのです。

だから、日本は、負けることができませんでした。「皇室」を葬る可能性のある「無条件降伏」を、呑むわけにはいかなかったのです。

だから、戦闘を続けました。

でも、結局、「無条件降伏」を受け入れました。そして、皇室も(めちゃくちゃ弱体化されましたが)、廃止されませんでした。

GHQが、皇室を弱体化させた(多くの皇室在籍者を皇室から離脱させ、その結果、現在は、現陛下の弟である秋篠宮殿下とそのご子息である悠仁親王殿下のみが唯一の男系男子となっています。GHQの作戦は、見事に奏功しています。)のは間違いないですが、皇室は廃止されず、「無条件降伏=皇室廃止」は杞憂に終わりました。

というか、「無条件降伏」なんて言葉を、目の当たりにするほうがバカだと思います。民主政(デモクラシー)というのは、たくさん票を集めた人が、国会議員になり、そして、国会議員が徒党を組んだ「政党」というのがあって、そのリーダーは、最も票を集めてくれる人が選ばれるのです。

本当にクソみたいなシステムですが、人類はまだ、デモクラシーよりもマシな政治システムを構築できていません。

だから、デモクラシーというルールに基づいて選出された政治家は、構造的に、大衆を惹きつける言動を要求されるのです。「無条件降伏」というワードも、パフォーマンスの要素があったに決まっています。

まあ、当時のアメリカ大統領「フランクリン・ルーズベルト」は、かなりあたまおかCので、本気で「無条件降伏」と思っていたかもしれませんが、でも、「無条件降伏」なんて言葉を使ってしまって、本気で日本が降伏しないとなると、日本との戦争に最終的に勝利するためには、日本本土で地上戦を繰り広げなければなりません。

確かに、昭和20年8月当時の日本は、東京大空襲をはじめとする各地の大空襲でものすごい被害を受けていましたし、広島長崎で原子爆弾が投下され、その被害者の数もすさまじかったです。

とはいえ、日本人の大半は生き残っていました。空襲や原子爆弾で、日本人の大多数を殲滅できるはずもありません。政府機能も残っていました。

相手国が降伏しない場合に、相手国政府を掌握することがどれだけ大変なのかは、現在のロシア・ウクライナ戦争を見れば明らかでしょう。GHQが日本の政府機能を掌握できたのは、日本政府・日本軍が降伏していたからです。

降伏しない国家を無理やり降伏させるには、地上戦が必須です。当時の日本も、「竹やり」による地上戦・ゲリラ戦を覚悟していたようです。

そんなことしたら、日本人もたくさん死にますが、米軍兵士もたくさん死にます。

「無条件降伏」なんてワードは、誰も幸せにしないのです。なのに、フランクリン・ルーズベルトは、この言葉を持ち出した。

そして、日本政府も、真に受けてしまった。

おそらく、真に受けた人だけではなかったでしょう。パフォーマンス性を理解して、なんとか外交努力で停戦・講和に持っていこうと思っていた人もいたはずです。

なのに、どうして、外交で停戦に持っていけなかったでしょうか。どうして、どうして、どうして・・・。

まあ、「無条件降伏」受諾後も、結局、皇室は維持されていたので、ここにも何らかの外交努力があったはずです。それは評価するべきですが、もっともっと、できることがあったはずです。

中国大陸での戦闘も、あそこまで拡大する必要はありませんでした。アメリカとも、開戦する必要はありませんでした。

結局、「デモクラシー」のせいなのかもしれません。戦争を駆り立てる報道は、大衆にとって、とても耳障りが良いからです。耳障りのよい政治家が、票を集め、大衆の煽るままに国を動かします。

デモクラシーを採用し続ける限り、この悪夢は繰り返されるでしょう。仕方ありません。僕も含め、バカな大衆で政治家を選ぶのが、今のところ最も正当とされているので。

明治維新によって作られた「大日本帝国」という栄光は、建国60年ほど(1931年の満洲国建国)でピークを迎え、1945年のポツダム宣言受諾によって失われました。

デモクラシー・立憲君主制・富国強兵など、日本を近代化した功績は消えませんが、1945年以降、大日本帝国は、米軍の占領を受け入れ続けています。

もしかしたら、明治維新から満洲国建国までの期間が異常だったのかもしれません。グローバル化が進む中で、日本という国は、最初から自主独立できるような国ではなかったのかもしれません。

考えたくもありませんが、米軍による占領は必然だったのでしょう。

こうやって、親分にヘコヘコして生きるのも、日本人らしくていいのかもしれません。はあ。

米軍の占領+平和憲法、という構造は日本国民に隅々まで染み付いていて、回復不能でしょう。

ロシアや中国の進軍、そして、何よりも米軍による攻撃などで日本の領土はバラバラになる未来も予想できます。

北海道はロシア領、本州はアメリカ領、沖縄九州四国は中国領。

日本人は団結しませんし、優しいので、こういったこともあり得るでしょう。僕が生きているうちに、こうなるかもしれません。

「日本っていうヘンな国があったんだよ」と、いつかどこかの教科書に載るかもしれません。

なんか、過度な愛国者のように思われるかもしれませんが、国の支配者が変わるということは、大切な人との大切な時間が奪われてしまうことを意味します。

支配者が、支配される多数派を弾圧するのは歴史の常です。支配者に有利な法律で、支配される側を搾取・弾圧します。

しかし、「今も人生最悪なんだから、どうでもいい」と思う人もいるでしょう。これは本当に、日本の豊かさに気づけていません。

中国共産党に支配されたら、自由に発言するだけで、病院に送られるのです。問答無用です。

支配者が変わるということは、これまでの当たり前が通用しなくなることを意味します。

大切な人との時間、そして、かけがえのない自分の時間を守るために、国を守らなければいけないと思います。

「おれの人生、いいことなんて何もない。最悪だ。」なんて思っていても、それは間違いです。あなたよりも最悪な人生は、いくらでも世界にあります。

最悪が、さらに最悪にならないよう、国を守ったほうがいいと僕は思っています。

それではまた次回!・・・↓

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