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弁護士の僕ならこうやって離婚を進めます-6(面会交流と親権)

【 自己紹介 】

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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。

僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。

ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。

あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。

ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:離婚 】

さて、今日で6日目ですが、今日も今日とて僕が離婚すると想定して話を進めていきます。

昨日のブログでは、離婚調停まで提起して妻に対して離婚を説得したものの、妻が離婚に応じてくれない僕の姿が描かれていました。

「無様」と表現したくもなりますが、そんなことを気にしている場合ではありません。他人に「無様」と評価されたくらいで、離婚したいという僕の気持ちが収まるくらいなら、最初から離婚を決意していません。

昨日のブログでも書きましたが、何度も何度も悩みました。僕が我慢するだけで、それだけですべてが丸く収まるなら、離婚しなくてもいいのかも、と何度も何度も考えました。

それでもやっぱり、離婚するしかないという結論に至ったのです。その結果、離婚調停まで提起していますから、離婚したいという思いは強まるばかりです。

しかし、離婚調停でも、妻は離婚に応じてくれませんでした。

そうすると、次のステップとしては、離婚「訴訟」を提起することになりますが、その前に、今日は面会交流について話をしたいと思います。

「面会交流」とは、子どもと同居していない親が、子どもと会うことです。

離婚後の面会交流については有名ですが、離婚前の別居状態でも、面会交流は認められます。

だから、家を離れて別居を始めた僕も、自宅に残っている子どもたちと会う(面会する)ことができます。

ただ、妻の立場になって考えてみると、自分だけで勝手に離婚を決意して自宅を離れて別居を始めたような夫に、子どもを会わせたくはないでしょう。

夫がいきなり別居を始めたせいで、子育てはより一層大変になっているはずです。

全然役に立たたないと思っていた夫も、いざ物理的にいなくなってしまうと、役に立たない夫もいないよりはいたほうがマシだということに妻が気づいているかもしれません。

だからこそ、子育てを自分に押し付けた夫に子どもを会わせるなんて、腸が煮えくり返る思いでしょう。

僕は僕で、離婚してくれない妻に婚姻費用を支払うのは腸が煮えくり返りますが、逆に、妻は妻で、子育てを押し付けた夫に子どもを会わせるのは腸が煮えくり返るでしょう。

でも、妻の腸(はらわた)とは裏腹に、妻が法的に面会交流を拒むのは難しいです。

まあ、妻としては、子どもを僕に渡すのはぜったいにイヤなので、子どもを自分の代わりに僕に育ててもらうという決断はしないでしょう

僕としては、妻はぜったいに親権を譲らないだろうから、最初から子どもを連れていかなかったのです。正直に言えば、離婚後に自分が親権者になるのはかなり難しいです(子どもが8歳と6歳でまだ幼いので、「母親優先の原則」によって妻が親権者と指定されてしまうでしょう)。

だから、仮に自分が子どもを連れて別居したら、子どもの生活場所を別居の時点で変えてしまうだけでなく、離婚の際にまた生活場所が変わってしまうという不都合を子どもに押し付けてしまうことになります。だから、子どものことを最優先に考えたあげく、子どもを連れて行かない別居を始めました。

妻が、離婚後の親権にこだわらないようであれば、子どもを連れて別居してもよかったのですが、そんな妻ではありません(という設定です)。

だから、僕が子どもを連れて別居してしまうと、先ほど書いたように、子どもの生活場所が2回変わってしまい、子どもが振り回されてしまいます。

僕が別居しただけで、子どもは十分「振り回されている」のですが、これ以上、子どもに不利益を与えたくないのです。

だから、本当に苦渋の決断でしたが、子どもを連れて別居はしませんでした。

妻は、こんな僕の思いを知ってか知らずか、「子育てを押し付けられた」ということしか見えてないようで、僕を子どもに会わせようとしてくれません。

そうすると、僕としては、子どもとの面会交流を実現するため、面会交流の調停を申し立てます。

「面会交流の調停」では、子どもに会う方法や時期について、裁判所で話し合います。

「調停」はあくまで話し合いなので、妻が拒めばそれで終わりですが、ただ、面会交流は、調停の後に「審判」が待ち受けます。

僕は、子どもに暴力を振るったりしているわけではないので、面会交流を実施せよという審判が出るでしょう。

この審判も妻が無視するという可能性もありますが、ただ、無視すると、「間接強制」といって、会わせるまでお金を払えと裁判所から命じられる可能性があります。

だから、妻は、こういった将来のことを見据えて、調停の段階で、面会交流に応じてくれました。

その結果、調停で、面会交流について↓の内容で話をつけることができました。よかったです。

・毎月第2・4土曜日に

・午前11時~午後2時まで

子どもの受け渡しは、僕が妻の元へ子どもを受け取りに行き、午後2時までに妻の元へ子どもを返します。

もちろん、子どもを返さずに連れ去る、なんてことはしません。そんなことしても、自分が親権者になれるわけではないからです。

そんなことしたら、より一層、妻が強情になって、離婚が遠のきます。

面会交流をきちんと実施して、子どもとの交流を継続しながら、離婚調停で話し合いを進めます。

最終的に、離婚調停が不成立となっても、子どもとの面会交流の調停だけでも成立させることができたら、とりあえず及第点です。

僕が面会交流にこだわる理由があって、というのも、僕は、子どもに「親父は自分たちのことを捨てたんだ」とはぜったいに思わせたくないんです。

これは、自分のためじゃありません。子どものためです。

男女の問題で、夫婦は離れ離れになってしまうけど、それと子どもの問題は別で、子どもへの愛情は全く変わっていないということを、子どもには伝えたい。

「お前らは、親父である僕から、めちゃくちゃ愛されていたんだよ」ということを、面会交流で伝えたいのです。

高価なプレゼントを購入してあげたり、母親(妻)の情報を引き出したり、妻をけなすような発言をしたりするために面会交流を利用したくはありません。

僕だったら、別居後の僕が人生を楽しんでいることを子どもに見せてあげたいんです。

離婚しても、人生終わりじゃないし、子どもへの愛情は変わらない。

一緒に話して、くだらないことで一緒に笑って、子どもが悪いことしたらきちんと注意して。

限られた時間で、父親を見せてあげたい。それが、面会交流する理由です。

「父親から捨てられた」という思いだけは、抱いてほしくないんです。

それは、身勝手かもしれません。別居したということは、子どもから見れば、「父親から捨てられた」と感じてしまう可能性が高いですし、妻がそのように子どもに言い聞かせているかもしれません。

面会交流で子どもと過ごせる時間は限られますが、その限られた時間を最大限に活用して、父親からの愛情を感じてほしい。

だから、また明日書きますが、親権も、僕は最後の最後まで争うと思います。

調停までの話し合いの段階なら、親権を諦めて早期解決するという選択肢もありますが、離婚訴訟になってしまったら、長期化は不可避です。

そうなると、「親権を諦めた」という事実は残したくありません。

親権を諦めてしまうと、「父親に捨てられた」と子どもに思われかねません。離婚訴訟までなったら、僕なら、最後の最後まで親権を争って、「僕は最後の最後まで親権を諦めなかったよ」と子どもに言いたい。

今日はこれくらいにします。

それではまた明日!・・・↓

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