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31歳が老後を考えてみた
【 自己紹介 】
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。
【 今日のトピック:老後 】
今日のテーマは「老後」ですが、当初僕は、「生きる意味」について書こうとしていました。
「生きる意味」とは、なんなのでしょうか。
そもそも、人類(ホモ・サピエンス)は、最初の1頭が生まれた約20万年前から現代までずっと、自分の生を守り、子孫を残そうとしてきました。
人類は、その2点に最適化されています。
最適化されなかった(生を守ろうとしなかったり、子孫を残そうとしなかった)個体は、進化の過程で既に滅びました。
その結果、生を守り、子孫を残そうとした個体が生き残り、その子孫たちが現代を生きています。
だから、進化論的には、生きる意味は、
・自分の生を守り
・子孫を残すこと
です。
ただ、人類は、子孫を残して(生殖して)すぐに死ぬわけではありません。生殖してすぐ死ぬ動物もいますが、人類は、そうではありません。
生殖した後も、生を守ったほうが、人類という種全体の生き残りにとっては最適だったようです。
そうすると、人類は、
・自分の身体を守り、
・生殖して子孫を残し、
・生殖した後は生まれてきた子どもを守るために生き、
こうやって、人類の一生は終わってきました。だから、これに関係することだけを考えていれよかったのです。
50歳とか60歳くらいで死ぬまで、こんなことだけを考えていました。
我が子が、一人前(親が世話しなくても生きていける状態)になったら、親は役目を終えて死んでいました。
孫の顔を見るまで生きてもいいでしょうが、孫には親がいるわけですから、祖父母が生きていなくても生きていけます。
各人が生きる意味なんて、こんなもんなんです。めちゃくちゃわかりやすい笑。
でも、現代社会では、「生きる意味」が非常に難しくなってしまいました。
まず第1に、生を守る必要がなくなりました。現代社会はめちゃくちゃ安全なので、わざわざ命を守ろうとしなくても、生きていけます。
そして、長生きになりました。
その結果、生まれた子どもがひとり立ちした後も、かなりの長期間にわたって、人生が続くようになりました。
そんなの、進化の過程では想定されていませんでした。
進化の過程では、人類というのは、
・自分の身体を守る
・生殖
・子どもの成長を見守る
これで必死だったわけです。これだけ考えてきたんです。そして、これだけ考えていたら、ぽっくり死んでしまっていました。
しかし、現代社会では、自分の身体を守る必要はなくなりましたし、子どもの成長を見守った後の人生が何十年も続くということが当たり前になりました。
こういった進化の過程では想定されていなかった出来事への対処法は、僕らの身体にインプット(標準装備)されていないので、何をしたらいいかわかりません。
進化の過程では想定されていなかった事態に、ほぼすべての人たちが直面し、何をしたらいいかわからないパニックに陥っています。
年をとると、生殖に適した年齢ではなくなりますし、子どもはとっくに大人になっていますから、成長を見守る必要もありません。
そうすると、自分の身体を守る、という本能だけ残っちゃう状態です。
どれだけ年をとろうとも、自分の身体を守る本能は残り続けます。
しかし、子どもの成長を見守らずに何十年も過ごすことは、本能にインプットされていないので、
・死にたくはない
・けれども、何をしたらいいかわからない
という悩みに年寄りは襲われます。
「死にたくはない」という感情は、進化の過程で脳みそにインプットされているので、理屈は不要ですが、進化の過程で脳みそにインプットされていない(標準装備されていない)「老後の過ごし方」は、自分で考え出すしかありません。
「老後の過ごし方」は、検索すれば、いろいろな案をインターネット先生が教えてくれますが、しかし、結局実行するのは自分です。
難しいですよね。ほんとうに、老後の過ごし方は難しい。
身体的にも精神的にも衰えてきますから。
僕だったら、おそらく、毎日たくさん本を読んで、考えたことを発信すると思います。
今とあまり変わらない生活ですが、これが軸になると思います。
そして、友だちや家族との交流は欠かせません。
正直なところ、心身が元気で、屈強な理性が機能していれば、「さみしい」という感情は理性で抑え込むことができます。
しかし、心身が年老いていくと、理性も衰えてしまい、その結果、「さみしい」という感情を理性で抑え込むことができなくなると思います。
僕も、お酒を飲んで理性が緩くなってくると、「さみしい」という感情が表出してきます笑。
心身が元気なら、感情は抑え込めるので、一匹狼でも生きていけます。しかし、人間は年老います。必ず、年老います。
若くして死ぬのは、現代社会では非常に難しいです。必ず、年老いた時間を何十年も過ごさなきゃいけません。
年老いると、理性の抑え込みが弱まるので、感情が表出してきます。いちばんに表出する感情は「さみしい」です。
怒っている老人が多いですが、あれって、「さみしい」の裏返しだと僕は思っています。自分の意見が否定されると、人は怒りますが、それは、自分が否定されたことによって、関係が断ち切られてさみしいからだと僕は思います。
で、元気だと、さみしくてもへっちゃらなんです。
年老いて、元気がなくなってくると、さみしさに耐えられなくなるんです。それは、老化現象なので、避けられません。
筋肉が衰えてくるのと同じように、理性も衰えてきます。その結果、感情を抑え込めなくなります。
年老いた後こそ、感情を吐き出せる相手が必要です。一匹狼で暮らせるのは、心身が元気なうちだけです。
結局、僕は、
・毎日本を読んで発信する
・家族や友だちと話す
こんな老後を過ごしたいなと思いました。
老後は、残された時間が少ないので、貯蓄を切り崩すことにも躊躇がなくなってイイですよね。貯蓄を切り崩し、年金をもらいながら、生活費を心配せず毎日本を読めるというのは、幸せです。
若いうちは、やっぱり、働いて生活費を手に入れる必要がありますから、働き口が少しでも増えるよう、スキルアップしたくなります。
そんな生き方を、75歳~80歳くらいまでは続けたいですが、その先は、もう、毎日読書しときたいです。
80歳になったら、もう、残された時間はだいぶ少ないでしょうから、生活費の心配は無用でしょう。
働かなくても死ぬまでの生活費は確保できているので、スキルアップなんかしなくていいです。毎日毎日、死ぬまでに1冊でも多く、本を読み漁り、知識を手に入れたいです。
知識が完成することは一生ないでしょうが、最後まで世界の知識をしゃぶり続けられたらいいなと思います。
それではまた明日!・・・↓
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