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親権は、いつか必ずなくなります。

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:親権は消滅する 】

最近、離婚後の共同親権を認める民法改正案を法制審議会に提案するとの方針を法務省内で固めたというニュースが報道されました。

これから改正案を作成する段階で、離婚後の共同親権が実現するかどうかはまだまだ不確定です。

法制審議会が、共同親権についてどう意見するか注目ですし、実際に国会で審議される際にどんな議論となるかも着目したいです。

さて、親権、親権とよく言われていますが、「親権」を誤解している人も多いような気がします。

そもそも、「親権」を「親子関係」とイコールに思っている人がいらっしゃるようんが気がしますが、それは大きな誤解です。

親権者は親だけど、親権者じゃない親は親じゃない。そんなことを思っている人、いませんか?

なわけないです。

そもそも、親権は、子どもが未成年のうちだけ存在します。子どもが成人になる(=18歳になる)と、その瞬間に消滅して、二度と復活しません。

親権は、最初から期限付きの権利なのです。

しかし、親子関係は、一生消えません。

当たり前ですが、親権が消滅した後も、親子関係は続きます。

親権がなくなると、親子関係がなくなるなんて、そんなめちゃくちゃなことはありません。

50歳のおじさんが、85歳で死んだ父親の遺産を相続できるのは、親子だからです。50歳のおじさんは、とっくの昔に親権に服さなくなっているのですが、親子関係は続いているので、父親の遺産を相続することができます。

親権なんて、その程度の権利です。

というか、「権利」と呼ぶのも間違いだと思います。

そもそも、親権者が、子どもを支配できるわけありません。

僕らは、フランス革命以降の近代に生きているので、子どもも、1人の人間として尊重されます。

近代より前は、子どもは親の所有物で、子どもは親の仕事に従事させられていましたが、近代は、自由と平等が大原則ですから、子どもだからといって、(親を含め)別人から所有されることはあり得ません。

近代は、所有権の対象として人間を除外しているのです。

だから、親権者が子どもを所有したり、支配することはできません。

むしろ、親権は、子どもに対する責任と考えられています。

親権を持っていると、子どもが健全に成長できるよう、身の回りの世話をしたり、きちんと教育を受けさせたりしなきゃいけなくなります。

そういった責任が「親権者」にはあって、逆に親権者ではない親には、こういった責任はないことになります。

ただ、親権がなくても、扶養義務はあるので、養育費という形で扶養義務を履行することになります。

しかし、養育費を支払っているとはいえ、親権者ではないので、子どもの成長についての責任は、最終的には、養育費を支払う親ではなく、親権者にあることになります。

だから、愛情を抜きにしてめちゃくちゃ経済合理的に考えると、親権者になることは損です。責任を背負うわけですから。

子どもは、身体的にも精神的にも未熟で、これから何をしでかすかわかりません。そんな子どもの成長について責任を背負うのは、非常に大きなリスクです。

純粋に経済合理的に考えると、このリスクは回避したほうがいいのかもしれません。

この経済合理性を知ってか知らずか、親権者としての責任を果たそうとしない親権者もいます。

しかし、だからといって、親がみな、子どもに対する責任を果たそうとしないなら、子どもはどうなるのでしょう。

子どもは、身体的にも精神的にも未熟で、大人を頼らないと生きていけません。

そして何より、親から愛情を注いでもらうことが、子どもの健全な成長に不可欠です。

実際に、「愛情遮断症候群」といって、愛情不足が、子どものメンタル面だけでなく、フィジカル面の成長も阻害させてしまう現象が医学的に確認されています。

だから、子どものためには、誰かが子どもの成長に責任を負う必要があります。

その責任の負わせ方について、今の制度では、父母の婚姻時は両親の共同親権で、離婚したら夫婦どちらかの単独親権としています。

この制度を、離婚後も共同親権にするのも、アリだと思います。実際に、離婚後の共同親権を定めている国(中国など)もあります。

子どもの成長についての責任を、誰に担わせるか。

この視点でどう制度を設計するべきか、という文脈で議論が深まるのは非常に好ましいですが、「離婚後も親権が欲しい」という人の要望に応えようとして法改正に向かうのであれば、それは誤解があるなと思います。

親権を持とうが持たまいが、親子関係は維持されます。

(むしろ、親権は、養子縁組によって、実親以外の人が持つことも結構ありますが、実親との親子関係が、他の人で代替できません)

親権は、いつか必ずなくなる「権利」で、そもそも、「権利」というよりは「子どもに対する責任」です。

親同士が離婚することになったとしたら、親同士は別居することになるでしょう。

そうなると、子どもも、どちらかの家に住まざるを得ません。

「子どもと一緒に住みたい!」という、親の素朴な感情が原因で、親権が激しく争われることもありますが、やっぱり、それは親のエゴです。

結婚したら、離婚することもあり得るわけで、離婚という結果は、結婚という原因を自ら作り出した当初から予測されていた事態です。

そういった「予想の範囲内」の出来事である離婚によって、両親が一緒に住んでいてほしいという子どもの素朴な願いを打ち砕いてしまうのは、やっぱり、子どもとの関係では正当化しづらいでしょう。

子どもは、基本的に、両親と仲良く一緒に住んでいたいと考えています。

「両親と仲良く一緒に暮らしていたい」という子どもの願いを叶えてあげないまま、「子どもと離れたくない」と親権を争うのは、親として無責任でしょう。

親権を誰にするか、というのは、子どもの責任者を誰にするか、という問題です。

離婚後も、両親共々、子どもに対して責任を持ちましょう、というのは素晴らしいことだと思います。

ただ、「おれも親権者だ!」と、親権を振りかざすのは、親権を誤解しています。親権を振りかざすような態度は、たいてい、子どもにとって不利益となって、親権者の振る舞いとして不適切です。

親権者になる、ということは、子どもの責任者になる、ということです。

で、その責任も、子どもが18歳になったら終わります(責任から解放されます)。

18歳になったら、子ども自身が自分に対して責任を負うことになります。

もちろん、成人した後に、子どもは親にいろいろ相談してもいいですが、相談するかどうかも、子どもが自分の責任で決めることになります。

「親権がほしい」とか「あなたは親権者じゃないから」とか言う人たちが、やっぱりたくさんいるのですが、その人たちはどうも、「親権」の意味をはき違えている気がしたので、今日はこんな記事を書いてみました。

(ま、僕も児童相談所で働くまでは、ここまでしっかりと「親権」について理解していなかったことは、ここだけのハナシです・・・汗)

それではまた明日!・・・↓

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