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「子どもの権利」とは

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:子どもの権利 】

僕は今、児童相談所で働いているんですが、弁護士だからと、研修を頼まれることがあります。

普通に弁護士をしていると、研修を受けることはあっても、研修の講師側になることはまずないので、貴重な体験と思っていろいろと一生懸命準備しています。

もちろん、研修実施するのは法律に関する分野なのですが、その中で、「子どもの権利」なるものについて研修をしてほしいと頼まれました。

「子どもの権利」なんて、なんともまあ、大きく出た話なんですが、この「子どもの権利」なる概念は、児童相談所が金科玉条のように扱う「児童相談所運営指針」にも、頻繁に出てきます。

ただ、「じゃあ、子どもの権利って何なの?」という疑問に答えてくれる文章は児童相談所運営指針をくまなく見ても、書かれていません。

「子どもの権利を守りましょう」とか「子どもの権利を擁護しましょう」とか、そんなことが書かれているばかりで、「子どもの権利」の意味に肉薄する記述がないんです。

厚労省でさえ、意図的に記述を避けようとしているテーマについて研修をしろと言われても無理難題なんですが、それはきっと、「子どもの権利」について書こうとすると、「権利」から書かなきゃいけなくなるからだと思います。

子どもだろうが大人だろうが、「権利」に変わりはありません。

人間であることに変わりはないので、原則として、保障される権利が異なるわけないんです。

だから、例えば、「子どもには表現の自由はない」、なんて理屈は立たないんです。

大人がTwitterで自由に意見を発信できるのと同じように、子どもだって、Twitterで自由に表現を発信することができます。

国家権力が、大人のTwitterは規制しないのに、子どものTwitterは規制できるなんてことはないんです。

こんな感じで、大人の権利も子どもの権利も大差ない、ということを踏まえると、「子どもの権利」について解説しようとしたら、「権利」そのものから解説しなきゃいけなくて、それはもう、本当に大変です。

ひとりの研究者が、一生かけても書き表せないでしょう。「権利」について全部全部説明しようとしたら。

そうすると、たった1時間の研修で「権利」について説明することが求められているのではありません。

僕が思うに、「子どもの権利」というのは、子どもが「弱い立場」にある、という文脈で用いられていると思います。

「子ども」って一口に言っても、年齢の幅が非常に大きいです。児童福祉法でいうところの「児童」は、0歳~17歳です。

この期間に、人間は、身体的に人生で最も成長するのは僕が言うまでもありませんが、それだけでなく、精神的にも大きく成長します。

それぞれの子どもの状態は、年齢や成長の度合いによって、本当に様々ですが、しかし、「弱い立場にある」という点では共通しています。

例えば、子どもは自分だけでは衣食住を用意できません。

0歳の子どもであれば、誰かに生かしてもらわなければ、生きることすらできません。

0歳だと、子どもの生存に「救いの手」が必要不可欠なのはイメージしやすいですが、大きくなった後も、同じように「救いの手」が必要です。

自分だけでは生きていけない。

それが、子ども全員に共通しています。身体的にも精神的にも発展途上で、自分だけでは自分の身を守れないのが子どもです。

その結果、子どもって、知らずしらずのうち、不利益や被害を被りやすいんです。

その最たる例は「虐待」です。子どもは、仮に虐待を受けようが、その家庭で生きるしかない(と思ってしまう)のです。

先ほど、子どもはひとりで生きていけないと書きましたが、子ども本人も、そのことを理解しています。意識的ではないでしょうが、本能的に、目の前の親に生かされていることは知っています。

そうすると、虐待を受けたとしても、その親に衣食住を確保してもらうほかに生きていくすべがないのですから、虐待から逃げようとはしないんです。

本当は、親から離れても何の不自由なく生きていけるのですが(衣食住は税金で確保してくれます)、しかし、子どもは身体的にも精神的にも発展途上ですから、そんなことは知りません。

発展途上だからこそ、自分で自分の身を守りにくいのです。これが、「弱い立場」の意味です。

そして、自分で自分の身を守りにくいのほかにもう一つ、「弱い立場」が表面化することがあって、それは、自分の意思を表明する場面です。

例えば、0歳の子どもは、言葉も話せませんから、自分の意思を言葉で表現することは不可能です。

しかし、言葉で表現できないからといって、その子の意思をないがしろにしていいかというと、そうではありません。

発展途上だから言葉で表現できないだけで、何も感じていないわけではありません。

既に、ひとりの人間として存在しているのですから、その人の考えを無視していいわけありません。

しかし、成長の途上なので、自分の考えを大人のようにきちんと説明できないんです。

ここが、もう一つの「弱い立場」の意味するところで、この場合は、大人が、子どもの考えを汲み取ってあげて代弁してあげる必要があります。

0歳の子どもであっても、表現方法や発達に関する知識があれば、ある程度のことは理解できます。

何歳だろうが子どもの考えを汲み取ってあげられるだけの知識を児童相談所は蓄えておく必要があります。

・自分で自分の身を守れない
・自分で自分の意見を表明できない

この2点で、子どもは「弱い立場」にあるからこそ、子ども本人に代わって身を守ってあげたり、子ども本人に代わって代弁してあげたりする。

これが「子どもの権利」が取り沙汰される文脈です。したがって、この文脈に沿って、子どもが「弱い立場」にあることによって生じる弊害と、その対処法について説明するべきで、「子どもの権利」をいろいろと抽象的に議論する意味はないと思います。

子どもだって、大人と同じ人間なんですよ。

大人と同じように、身の安全が保障されなきゃいけないですし、意見を表明できなきゃいけません。

ただ、成長の途上だから、どうしても、大人と同じようにはいきません。そこをどうやってカバーするかが児童相談所には求められていて、「子どもの権利」という研修では、こんなふうに説明すればいいような気がしてきました。

頭の中が少しは整理されてよかったです。

それではまた明日!・・・↓

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