遺言を残そうと思ったら-2(変わらないお年寄りとそれを反面教師にしない僕ら)
【 自己紹介 】
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このブログでは、弁護士である僕が、もし仮に自分が紛争・トラブルの「当事者」となった場合に、「自分だったこうするだろうな」ということをお伝えしてしています。
僕自身、これまでの人生で大きな紛争・トラブルの当事者となったことがなく、今この瞬間、紛争・トラブルに直面されている方の苦しみや不安を代弁できるような立場にはないのかもしれません。
ただ、自分が紛争の当事者となった際の対処法を弁護士目線でお伝えできれば、それが、ご覧になった皆様のお役に立てるかもしれないと考えています。
あくまで、「僕だったらこうするだろうな」ということですから、ご覧になっている方々に必ずしも当てはまらないとは思いますが、僕のやり方をヒントに、自分なりに応用していただけたら、とても嬉しいです。
ご覧になっている皆様のお顔も名前も残念ながら知ることができませんが、アクセスしてくださり、ありがとうございます。本当に励みになっています。
【 今日のトピック:遺言を残す 】
昨日からテーマを変えて、遺言について書いています。
昨日は、かなり辛らつな言葉が続きましたが、僕は、そういう風に思っています。
要は、「人生に後悔がある、または苦痛が続いてきたと思っている年寄りによって、遺言を残す作業はイヤでイヤで仕方ない」ということです。
全然人生に満足していないのに、自分が死んだ後に財産をどう分配するかなんて決めたくないんです。
だから、遺言なんて残したくありません。
残したくないというか、「自分がいつか死んでしまう」という現実を意識させてほしくない、ということだと思います。
で、今日もう少し補足させていただきたくって、というのも、こういった、死を意識したくない年寄りは、今後一生、死ぬまでずっと、死を意識したくない状態が続く、ということです。
年寄りは、体力も落ちていて、できることが限られています。
できることが限られているにもかかわらず、「あの頃ああしとけばよかった」と思っているわけです。
「あの頃」の体力なんて、とっくの昔に消し去られているのに、「あの頃」のことが心残りなんです。
めちゃくちゃ冷徹に言えば、「あの頃」ですらできなかったことが、何十年も経った今になってできるわけないんです。
だから、「やりたかったこと」は、死ぬまでずっと「やれずに(成し遂げられずに)」終わります。残念ながら。
冷静に考えれば、後悔を抱くのではなく、現状を受け入れて、できる範囲で人生を楽しむしかありません。
しかし、こういう考え方は、理性を必要とします。
理性を使うのって、めちゃくちゃ体力が必要で、なおかつ、脳の機能も良好な状態がキープされていなきゃいけません。
だから、年を取ればとるほど、理性を使って合理的に考えることができなくなってきます。
理性的な思考ができなくなってきちゃうんです。これは老化現象なので、どうしようもありません。
そして、理性的な思考ができなくなると、それはつまり、理性によって感情を抑えることも難しくなるので、結局、感情がむき出しになってしまいます。
感情がむき出しになった状態では、「ああしとけばよかった」という感情が、「現状を受け入れて可能な範囲で楽しむしかない」という理性的な考え方に変わりません。
残念!
脳の機能が老化してしまっていて、これ以降も時間は止まらず進んでいくので、老化もどんどん進みます。そうすると、既に感情がむき出しの状態が改善されることもありません。
もちろん、脳の機能が訓練によって改善されることもあるでしょうから、希望を完全に断つべきではないでしょうけど、「時間は止まらない」という事実を直視すれば、脳の機能が低下し続けることは否定しづらいと僕は思います。
で、もう少し補足を続けると、このことを、僕ら若い世代は反面教師にしなきゃいけません。
「いつまでも若くない」なんてセリフがありますが、これは、「僕はまだ若いけどね」という浅はかな思いがウラに潜んでいる気がします。
「いつまでも若くない」なんて言わなくていいから、「本当に時間は一時も止まらず進んでいる」ことを理解したほうがいいと思います。
残念ながら、40歳の人は、30歳から40歳になるまでのスピードと全く同じスピードで50歳になります。
50歳の人は、30歳から50歳になるまでのスピードと全く同じスピードで70歳になります。
僕は現在31歳ですが、20歳から31歳までと全く同じスピードで42歳になりますし、生まれてから今日までと全く同じスピードで62歳になります。
こういう時間の流れを意識しないまま年をとって、後悔にさいなまれている人が、今の世の中にはたくさんいます。
年をとったらできることが少なくなってしまうことなんて、誰でも知っているのに、多くの人が、年をとった後に「若いうちにあれをしとけばよかった」と思っています。
そういう年寄りたちの姿を見ている僕たちも、おそらく、「若いうちにああしとけばよかった」と思うでしょう。
なんという、愚かな無限ループなんでしょうか(笑)
「愚か」ですが、たぶん、僕らもそうなります。
だって、「若いうちにああしとけばよかった」と今思っている年寄りたちも、若い頃に、年寄りたちが「若いうちにああしとけばよかった」と思っていることを目の当たりにしていたはずだからです。
えっと、今の年寄りたちのメインは団塊の世代ですが、団塊の世代が目の当たりにしていた「年寄り」は、19世紀生まれです。明治30年頃の生まれでしょうか。
この世代は、大人になった頃に昭和が始まり、昭和恐慌で経済的に苦しみ、鬱憤がたまっていました。
このさらに上の親世代や爺さん婆さん世代は、日清日露戦争を知っているので、その人たちから、日本帝国陸軍・海軍の強さを聞かされてきたと思われます。
そういう世代が、世間への鬱憤を、軍事へ向けました。満州事変も成功していましたし、とにかく戦争したくて仕方がなかった世代です。
その結果、泥沼の日中戦争を続け、全く不必要なアメリカとの開戦に踏み切りました。
その結果、文字通り、我が帝国の本土が「焦土」と化し、我が国始まって以来初めて、外国軍による占領を経験しました。
神風が吹くことはなく、何の言い訳も通用しない「完敗」を喫しました。日本は「終戦」したのではなく、「敗戦」しました。
「軍部の暴走」ではなく、国民全体が戦争を推し進め、その結果、負けたのです。
この現実を突きつけられた当時の大人たちは、きっと、「戦争なんてやらなきゃよかった」「戦争がなければ、もっと楽しかったのに」と思っていたはずです。
団塊の世代は、こんな「年寄り」たちを見て育ちました。
団塊の世代は、「戦争ダメ」というバカの一つ覚えだけは本当にバカみたいに実践してきましたが、戦争を経験した明治生まれたちが、自ら世論を形成して戦争を推し進めたことは知らないままです。
自ら戦争を推し進めておきながら、「戦争なんてしなきゃよかった」と後悔している年寄りたちを団塊の世代は見ていたにもかかわらず、団塊の世代は、将来後悔しそうなことを自ら引き起こし、年寄りとなった今、後悔にさいなまれているのです。
完全に、愚かなループです。
本当は、今の後悔って回避可能だったはずです。そもそも、回避可能だったからこそ、「後悔」なんです。
「あのときああしとけばよかった」という思いは、「あのときああすることが可能」じゃなきゃ成り立ちません。
後悔って、自ら引き起こしているんです。
自ら後悔のタネを蒔き、それが実った今になって後悔している。
団塊の世代は、「戦争」という、国民全体が後悔を抱いた様子を、親世代やじいちゃんばあちゃん世代で目の当たりにしていたのに、今になって、人生に後悔しちゃっている。
ここまで考えて、反面教師にしなきゃいけないと僕は思います。
こういう無限ループを踏まえると、おそらく僕も、年をとったら「あのときああしとけばよかった」と思うんでしょう。
それでも、なるべく反面教師を実践しようと思います。
ええと、今日もめちゃくちゃ脱線してしまいましたが、明日はきちんと遺言について書こうと思います(汗)。
「遺言を残したほうがいい理由」から話を始める予定です。
それではまた明日!・・・↓
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