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体力ない人の戦い方

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけにその年の12月からブログを始めました。しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

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【 今日のトピック:体力ない人 】

ちょっと前置きから書きますが、18世紀にイギリスで始まった産業革命以降、人類は、とても豊かな時代を謳歌するようになりました。

産業革命によって、産業革命前とは比べ物にならないほどの富を生み出すことができるようになりました。その結果なにが置きたかというと、庶民にも富が分配されるようになりました。

まあ、簡単にいえば、「庶民の生活が格段によくなった」のです。

ここで、時代は現代に移ります。現代では、庶民であっても、スマートフォンを所持しています。常時インターネットに接続されたパーソナルコンピューターを、庶民が所持しているなんて、人類の歴史上、聞いたことありません。

これほどに、富が庶民にも分配されるようになっているのが、現代です。

産業革命前は、富は、貴族や王族が独占するものでした。

庶民は、貴族や王族に納税した残りの食料で、なんとか食いついないでいました。ろくに貯蓄もなく、その日暮らしを送っていました。

そんな状態だったところから、産業革命をきっかけに、富の総量が爆増し続け、最終的に、庶民がスマートフォンを持つまでになりました。

スマホだけでなく、食料品も、おいしいものがあふれています。食料品が豊かになるのは、スマホなどのデジタル面よりもかなり早く進みました。

日本を例に出せば、昭和20年(1945年)頃までは、とにかくたくさん食べることが重視されていましたが、その後、高度経済成長に伴い、飽食の時代が訪れ、遅くとも昭和45年(1970年)頃には、人々は、「ダイエット」するようになりました。

たった25年で、「たくさん食べなきゃ!」から「たくさん食べちゃダメ!」へ、方針が大転換されました。これほど急速に、食が豊かになりました。

本当に前置きが長いですが、本題はここからです。

このように、世界史的に言えば産業革命以降、日本史的に言えば昭和20年の敗戦以降、富の総量が爆増し続けた結果、庶民も豊かになりました。その結果、庶民であっても、「自己実現」を目指すようになりました。

富の総量が限られていれば、庶民なんて、その日暮らししているうちに死んでしまうのですが、現代日本ほどに富の総量が増えると、その日暮らししているうちに死ぬことはありません。

庶民が、自分の人生について考えることができるようになっているのが現代日本です。「庶民みんな」が、人生を考えられるようになり、「自己実現」できるようになったということは、自分だけでなく、自分と同じ「庶民」である、周囲の友だちも、人生について考え、自己実現できるようになっています。

いやはや、大変な時代です。みんながみんな、人生について考えたり、自己実現できる時代なんて、本当に大変です。

だって、自分も、人生について考えたり、自己実現したりしなきゃけないからです。そもそも、人類は、人生について考えたり、自己実現したりするスキルは持ち合わせていません。そんなの、進化に不要だったからです。

毎日の食べ物を確保して、毎日眠って疲労を回復して、子作りして。そんなことしていたら、人生が終わっていたのが人類です。

しかし、進化の過程で、人類は、「理性」を発達させました。本能(感情)とは別の、理性という能力が人類には備わっています。

「理性」は、コミュニティの維持に非常に役立ち、人類の生き残りに大きく貢献しましたが、「理性」のせいで、僕らは、人生について考えたり、自己実現できる能力も持ち合わせてしまいました。

ただ、産業革命前のように、人生について考えたり、自己実現したりするのが、富裕層の特権であれば、僕ら庶民が悩むことはありませんでした。

貧しい庶民は、みんな、貧しくその日暮らししていればよかったからです。みんな、人生について考えたり、自己実現しようとしたりすることなんてありませんでしたから、自分も、みんなと同じように、貧しくその日暮らししているだけでよかったのです。

でも、現代社会は、庶民を豊かにしました。その結果、富裕層の「特権」が、庶民に降りてきてしまいました。

この「特権」は、確かに特権なんでしょうが、同時に、苦しみももたらします。特権を特権として享受し、人生を謳歌する人がいる横で、特権を特権として享受できない人が必ず現れます。

簡単にいえば、みんながみんな、成功できるわけではないのです。にもかかわらず、成功に至るチャンスだけは、全員に平等に配られて「しまって」います。

これは、成功できない人にとっては、大きな大きな苦しみです。

さて、ここまでの前置きを踏まえて、今日のテーマです。「体力ない人の戦い方」です。

庶民が豊かになった(豊かにさせられた)結果、庶民であっても、成功を手にすることができるようになりました。

ただ、「成功」は空から降ってくるわけではありません。自分で努力しないと、つかみとることはできません。

努力したからといって、成功できるわけではありませんが、しかし、努力せずに成功することもできません。

その結果、現代社会では、努力を強要されることになります。

しかし、誰しも努力できるわけではありません。やる気の問題もありますが、僕みたいに、体力が足りなくて、努力する時間が限られる人もいます。

僕は、体力がないので、疲労回復の時間が必要です。毎日午後11時には布団に入らなければいけません。週2日の休日は、ゆっくり休まないと、体が動かなくなります。

「戦い方」と書きましたが、僕としては、こういった「体力ない」を受けとめることが、戦うための第一歩だと思います。

体力ないことを受けとめ、それを前提に、休む時間をきちんと確保する。それこそ、「戦い方」だと思います。

あがいても、体力はつきません。多少は、体力が増えるかもしれませんが、才能がない方向に努力しても、コスパ悪いです。

体力がないのなら、体力を増やす方向に努力するのではなく、体力ないことを受け入れて、疲労回復の時間を確保する方向へ動くべきです。

そして、体力ない人は、疲労回復に時間を使う結果、体力ある人よりも、1日あたりの使える時間が減ってしまいます。だから、より少ない時間で、やるべきことをやらなきゃいけません。

・疲労回復に時間が必要なことを自覚する。
・使える時間が少ないから、効率よくやるべきことをやる。

いろいろと考えてくると、体力ない人は、こういった「戦い方」になるのかな、と思った次第です。

それではまた次回!・・・↓

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