見出し画像

施設を転々とさせられる子どもたち

 自分のなかでショックであった。親と一緒に暮らせない、親戚も頼れない、受け入れ先の児童福祉施設もなく、一時保護所と施設を転々とさせられる子どもがいる。こんなことがあって良いのだろうか。社会的養護とは何なんだろうかとも思った。

 子どもは、関係性と声掛け一つで反応が大きく変わる。同じ言葉を言っても、人が変われば、反応も変わる。だからこそ、子どもと関わるうえで、発する言葉は気を付けなければいけない(自戒を込めて)し、その子との関係性がどのようなものなのかも意識する必要がある。ただ1つの誤った発言によって、子どもが感情を爆発して暴れたとき、こちら側のミスではなく、子どものこの場への「不適応」として判断され、受け入れ先をさらに狭めることがある。それが積み重なっていくと、受け入れ先がどんどんなくなっていく。だから、発する言葉1つ1つが重要な意味を持つ。

「指導」となると、格段に難しい。自分自身指導という立場をとることはないけど、児童養護施設や児童自立支援施設など、他の子どもがいて共同生活をする場ではそのような立場をとることもあり、子どもとの関わりが難しいのが想像がつく。

ある職員さんが言っていた。

一時保護所内でずっと暮らすわけではないので、子どもに担当の職員がつくわけでもない。だから、とても不安定な状況となっているし、我々(職員)の位置づけも、子どもにとっても一時的な場所にいる人に過ぎない。だから、指導ということは、施設ほどしないし、するときは細心の注意を払い、言葉を選びながら発するようにしている。

「そこで暮らす」という前提条件があることによって、関わりが変わる。その前提条件があるからこそ、子ども自身も言われたことをしっかりと受けとめようという意識が生まれるし、自分の「担当職員」に対しても、頼ろうという気持ちもわいてくるのではないか。言われてみれば当たり前のなのかもしれないが、自分はそう考えることがなかったので、話を聞いてハッとした。社会的養護には、児童養護施設や児童心理治療施設、自立援助ホーム、児童自立支援施設等のいくつかの種類の施設がある。一時保護所も含めて、それぞれの位置づけや施設方針によって、上記の「前提」が変わってくるだろう。私たちも当然施設職員とは異なる。

 子どもたちにとって、私たちは「学習の時にやってくる人」からスタートする。一時保護所での関わりは確かに一時的に過ぎないけど、家庭に戻ったとしても、施設や里親、ファミリーホームに措置されたとしても、子どもが必要とすれば、一緒に学習することができる存在となることを目指して、関わっている。私たちのポル(一時保護所での学習支援)での立ち位置は、子どもに学びの機会を提供しながら、つながり続けること。つながること自体に意味があると考えている。そういった意味で、伴走支援ともつながる。伴走支援は、課題解決することよりも、つながり続けることを重視する。

 施設を転々とする子どもの現状は変えなければならない。それを前提として、私たちはどんなに色々な施設に移動することになっても、変わらずにともに学ぶ存在として、安全基地となり得る存在として、つながり続けること。それが今の自分たちにできることだと思っている。


NPOの運営や子どもとの関わりなどを中心に記事を投稿します。サポートしていただいたお金は、認定NPO法人Kacotamに寄付をして、子どもの学びの場づくりに活用します。