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震えた一冊「JR高田馬場駅戸山口」


娘の食物アレルギーと「戦った」日々は、封印したい私の黒歴史 
ポンコツなうえに、はた迷惑な母親をやってました
今は「戦う」をやめて「受け入れる」をやっているつもりですが

柳美里さん著『JR高田馬場駅戸山口』
偶然 手に取った本でしたが
主人公の女性が 十数年前の私と重なって ぞくぞくしました
美里さん、どうしてこんな「ヤバい人」の心情を書けたのですか?
いつか聞いてみたい 、と思いながら読み進めていたら

新装版あとがき にあった美里さんの言葉
「死ぬことよりも、生きることがずっと怖かった」

― もしかしたら美里さんも 
     私と同じような気持ちを持っていたのかもしれない

都会で暮らす 孤独な母「ゆみ」と 幼稚園へ通う息子「ゆたか」
夫は単身赴任
ゆみの父親は亡くなっている
母親と妹は小2のころ別れたきり連絡先も知らない
夫の母とは疎遠

主人公のゆみは
愛する息子を守り育てる その責務を果たすべく
すべてにおいて 最善を尽くす
そして いつもやりすぎる
生きづらさ を抱えながら
社会から孤立していく 孤独な母親の日々 


食物アレルギーと戦った日々

15年前になりますが
小麦アレルギーの娘(2才)に誤食させたことがあります
誤って食べてはいけないものを 食べさせました
それ以来、日に3回の「食事」と2回の「おやつ」
合わせて5回 必ずやってくる恐怖の時間を
ギリギリの精神状態で踏ん張っていました


毎朝 起きるとすぐに 、不安と恐怖で こみ上げる吐き気
下半身に力が入らず ふわふわとキッチンに立つ
今日いちにち、娘を守り切れるだろうか
また失敗したら こんどこそ死なせてしまうかもしれない…




調理前の「原材料の確認」
使用する食品 すべての 原材料表示を
「理解できるまで」 なんどでも読み返しました
それが何なのか わからない原材料が多かったから
携帯で調べたり
直接 製造元に電話で問い合わせたり

この作業が苦手で かなり疲弊していました
店頭で大丈夫だと思って購入した加工品でも
自宅で あらためて原材料の確認をすると あやしくなってくる
病んでますから もう何でもかんでも怖いわけです

安心できない食品は たとえ卵や小麦が入っていなくても「×」の判定
娘だけでなく、私も息子もそれを食べないと決めていました

そんなことをしているうちに 使える素材が
米と塩と野菜だけ  になった時期もありました
苦しかったですね

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食事が出来上がっても
食べ物を口にする娘の姿をみて また吐き気が襲う
もちろん自分は食べない
食後30分間は 娘に変わった様子がないか
アレルギー症状が出ていないか
緊張しながら 凝視する
食事ノートに 皮膚症状を書き込み
胸と背中に 聴診器を当て 喘鳴(ゼイゼイ)がないことを確認
生きた心地のしない時間
そしてまた 次の食事の準備 不安が襲う


「ねるねるねるね、食べてみたい」と娘が言った

「ダメ!卵入ってるよ!死ぬよ!」
 ヒステリックに怒鳴った
 CMを見て 言ってみただけなのに・・・
ひとりで口をモグモグさせていた娘を発見した
 「何食べたの!出して!」「死ぬよ!」「早くっ!」
  泣き叫ぶ彼女の舌先には 自身の鼻くそ・・・
  
 毎日が こんな風だった
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主人公のゆみも 息子への愛から
その やりすぎる行動がエスカレートしていく
愚痴や悩みを聞いてくれる 夫ではなかったし
幼稚園に対する不満を共有してくれる ママ友を作ろうとはしなかった
偏った考えを諭してくれる 親もいなかった
つまるところ、ストッパーになってくれる大人が近くにいなかった



当時の私も長い間ひとりで戦っていると感じていました
事実 夫は 毎日出される除去食と ピリピリした空気に耐えられず
二世帯で暮らす 母と食事をするようになりました

それほど離れていない私の実家へは
年に1度、短い時間だけ帰省することにしました
隠れて娘に食べ物を与えるのをやめてほしいと
泣いて訴えること数回、やめてもらえなかったことが原因でした

幼稚園や小学校教育委員会にも
ずいぶん噛みつきましたし
小児科のドクターには何度も泣きつきました
助けてくださいと


常軌を逸した私の行動は12年くらい続きました
気持ちが変わり始めたのは2年前
娘が高校生になり 自分で稼いだバイト代で 
コンビニ食品を あれこれ試していることを知ったのがきっかけ
私が過敏に反応しないよう
慎重に顔色を見ながら
「食べても大丈夫だった」と教えてくれました
私を救ってくれたのは 娘でした



今でも 悩みや不安の種はそれなりにあります
食物アレルギーの症状は相変わらずですから
それでも 毎日が「ありがたくて幸せだ」と思えるようになったのは
暗くて険しい あの日々があったからだと確信しています
よく耐えてくれました、わが娘
そして食物アレルギーのない息子
夫や両親、たくさんの人にごめんなさい

 

美里さんのあとがきには
「独りならば怖くもなんともない様々な事や物や人が、
親になった途端に 恐怖や不安を帯びて押し寄せてきて―」

とあります


美里さん

恐怖と不安しかなかった
あの頃の私を肯定してもいいですか?


忍法! 自分に都合よく解釈するの術!ニンニン!
拙者 この本を読んで救われたでござるよ!ニンニンニン!



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『JR高田馬場駅戸山口』
全米図書賞受賞のベストセラー『JR上野駅公園口』と同じ
「山手線シリーズ」として書かれた
河出文庫『グッドバイ・ママ』2012/11刊行を 新装版で刊行



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