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跳ねろ 犬捜査線(第1話)

【あらすじ】
「ワンワンワワン!(オレは、おしゃべり好きなママのカエデと冷静なナオキに飼われている鼻ペチャ犬の大福。そんなオレが一目で恋に堕ちたチワプーのモモ。彼女は行方不明者などを探し出す優秀な嘱託警察犬だった。最近、彼女は3か月連続で同じ日に行方不明になっている高齢女性を発見している。彼女は本当に認知症なのか。何か目的があって家を出ているのか。オレの華麗な推理が冴えわたるハードボイルドミステリーだぜ! 今度は一緒に警察からの感謝状と高級ドッグフードをもらおうな)」
「キャン! (いや、あなたマジで何の役にも立ってませんから。ライトなミステリーですから)」

278文字

オレも歩けば恋に堕ちる

【犬も歩けば棒に当たる】
1 何かをしようとすれば、何かと災難に遭うことも多いというたとえ。
2 出歩けば思わぬ幸運に出会うことのたとえ。

「デジタル大辞泉」より

犬には「赤色」が識別できないって誰が言った?

彼女のツンと澄ました口元から、うっすら覗く潤った舌も、高級そうな品の良い革製の首輪も、オレの目には深紅の薔薇と同じ色に映って見えたよ。
ぼやけていた視界がそこだけフォーカスされたように、まるでスポットライトを浴びたように、光り輝いて見えたんだ。
ああ。
彼女はなんて美しいんだ。キラキラ輝いて……

「……行くよ。ほら、大福ちゃん」
キラキラ……。
「早く。もう帰るよ」
うちゅくし……。
「……オラッ! 大福、いい加減にせぃ」

はッ。

オレは先っちょからダラダラ何かが垂れていたベロをしまい、ママの顔を見上げた。イタタタ、リードを強く引っ張るなって。分かった分かったと、仕方なくママの足元に寄る。
ああ、彼女とはこんなに早くお別れか。だが運命ならば、またどこかできっと会えるだろう。
最後に彼女をもう一度見つめると、彼女もチラリとこちらを振り返った。

「ワン!(I'll be back!)」

チャンスとばかりにオレが飛び切りの美声で吠えると、彼女はうんざりしたような顔をしてぷいと去って行った。



10月に入ったというのに今日は馬鹿みたいに気温が高い。
思えばオレは、家を出た時からハァハァとベロを出しっぱなしだった。彼女に見惚れていた時間も、ベロンと出たままだったかもしれない。かなり恥ずかしいが、まあ、今さらどうしようもない。

彼女は凛として美しかったが、散歩にしてはどこか違和感があったな。彼女はあそこで何をしていたんだろう。ママも彼女の飼い主をジロジロ見ていた。彼女を連れていたのは、青色のツナギを着て、髪をひとつに結んだ、ママより若そうな女性だった。冬でもないのにブーツをはいていたように思う。
彼女の飼い主なのだろうか。

家に戻ると冷たい水で肉球を拭いてもらってスッキリしたし、皿の水も冷たくてオレは大満足だ。
「大福、今日は暑かったね。鼻ペチャさんは暑いの苦手だもんね。さて、ごはんにしますか」

やった! ごはん、ごはん!
オレは嬉しいアピールでクルクル飛び跳ね回り、キッチンの定位置につく。
だがしかし、音から察するにママがお皿に入れたのは、いつものカリカリご飯。
ちぇ。缶詰じゃないのか。

「はい。お座り!」
でもオレは反射的に座る。
「おて!」
またかよと思いながら反射的に右足をママの手に乗せる。
「あご!」
はいはいと思いながら、最近覚えたアゴをママの手に乗せてやる。
アイタッ。ベロ噛んだ。
「じょうず。いい子だね」
ママは満足げにオレの頭をわしゃわしゃして「よし!」と言う。
たいして美味しくないと分かっているカリカリだけど、「よし」と言われればとりあえず飛びつく。

はぐはぐむしゃむしゃしていると、ナオキが隣の部屋から入ってきた。
「おはよう」
「おはよ、直樹。ねぇねぇ。聞いて。さっき散歩行ってたらさ、犬の散歩みたいな人がいたんだけど」
「うん。散歩だ」
「違うの、聞いて」
「うん。聞いてる」
オレも聞いてる。
むしゃむしゃしながらママの話に聞き耳を立てる。いや、オレの耳はペタンと寝ているタイプだが、聞き耳は立てている。

ナオキはコーヒー用のお湯をケトルで沸かし始める。そして次はコーヒー豆をガリガリするんだ。いつものナオキの仕事だ。
「それがさ、警察犬なんだ。たぶん」
「へー。警察犬の散歩なんだ。たぶん」
「散歩じゃなくて、捜査だと思う。たぶん」
「へー。捜査なの。たぶん。いや、きっとそうさ・・・
「そういうのいいから」
ママはちょっとムッとしながら冷蔵庫を開けて食材を取り出そうとする。
おっ。オレの皿のカリカリの上にも何かトッピングしてくれるんじゃないか? いいぞ。ハァハァ。

「話はここから。すごいの。なんだと思う?」
ママのいつものクイズが始まった。嬉しそうに話てるけど、オレの追加トッピングはまだですか。ハァハァ。
「わかった。犬の散歩じゃなくて、よく見たら囚人の散歩だったんだな。鎖の首輪でつながれて」
「わー。シュール。直樹のそういうとこ……」
「わかった。犬の散歩のフリして、注射の日だったんだな」
「あ、そうだ。今日は狂犬病の注射に行かなくちゃ」
「ところで、楓ちゃん。それは何を作っているの」
「うん。納豆が余ってたからパンに乗せてみた。どう。チーズも、ほら」
「うーん……余ってたっていうか賞味期限キレてたよね」
「うん。でも直樹はお腹強いから大丈夫」
「あ、やっぱりそれは僕が食べるわけね」
「チワワだったのよ」
「僕の前世が? チワワはお腹強いのかな。パグなら何でも食べそうだけど。ねぇ?」
ナオキはトッピング待ちのオレを見た。オレだって好き嫌いくらいはあるぞ。何でも食べるってわけじゃない。アレは嫌いだ。アレ、ほら。なんて食べ物だったっけ……えっと。
「違うよ、散歩してた犬がチワワだったの。すごくない?」
「おお! チワワが散歩してたの。すごいね。チワワが散歩するのは珍しいんだね。知らなかったー」
「警察犬だよ?」
「おっと、そうだった」
オレはハァハァをとめた。さっきの「彼女」の話をしているのだとやっと気づいた。

警察犬……だと?

「チワワの警察犬? まっさかぁ。アハハ」
ナオキは笑いながら湧いたお湯でコーヒーを淹れ始めた。ぷんと香りが漂ってくる。このニオイはそんなに好きじゃない。でも毎朝のニオイだ。慣れた。
「違うかなぁ。でもなんかそんな雰囲気だったんだよな」
ママがちょっとくちを尖らせて言うと チン! という音とともに納豆の焼けたニオイがぷんぷん漂った。
意外とイケそうなニオイだぞ、ナオキ。オレにもひとくちくれ。

オレは拗ねていた。
ママが嘘をついたからだ。
「いいところに連れていく」なんて言って、何度も行ったことのある嫌なニオイのする建物に連れていかれた。
抵抗したけど無駄だった。持ち上げられて、台の上に乗せられて、おじさんにチクっとされて。そしてまた車で帰ってきた。
なぜオレはいつも同じ手で騙されるのだ。イヤになる。
だが晩ごはんのカリカリはボイコットだ。缶詰もってこい。

「あれ。大福さんは食欲ないのかな。珍しいね」
仕事から帰ってきたナオキがオレの頭を撫でながら言った。
「昼間、注射してからずっと拗ねてるのよ。病院に着いてもなかなか車から降りないし。座り込んでテコでも動かないの。ま、いつもだけど。やれやれだよ」
「がるるるる」
オレは精一杯、反抗的な目でママを睨む。あそこに行くときに毎回うそをつくママにもやれやれだよ。
「でもさ、ほら、このメール見て」
ママはオレの睨みには全く怯まず、ウキウキしながら話を変える。

「今朝、市の防犯メールに書いてあったの。お年寄りが行方不明ですって。『10月7日、午前7時頃からP市寿町にお住いの山本幸惠さん73歳が徒歩で外出したまま帰宅していません。行方不明者の特徴は……』」
メールを棒読みするママをナオキがとめた。
「うん。うん。それで?」
「うん? それでね、お昼には見つかったらしいのよ。無事発見されましたっていうメールも来てたの」
ママが目をキラキラさせて言うけど、ナオキは意味が分からないという顔をしてまた聞き返す。
「うん。それはよかったね。知り合いなの?」
「やだなぁ、もう!」
ママは、ヤダなと言いながらも嬉しそうな口調で言った。

「朝の、あのチワワだよ。きっと、あのチワワが見つけたと思うの!」
「ああ。散歩って言ってたチワワ?」
ナオキは「そーかなー?」とにやけた顔で、ソファを背にして床にあぐらをかいて座った。目の前のテーブルにはママが出した缶ビールと枝豆が置かれている。
オレがちょこんとパパの太ももに前足を乗せると、いつものように枝豆をひとつぶ、ポンと口に入れてくれる。

ナオキ大好き! 豆も大好き!

ナオキは満足そうに笑顔でオレを撫でる。
ナオキがテレビのスイッチを入れるとローカルニュースがちょうど流れていた。ママが「ほらほら、見て!」と指を差して叫ぶので、オレも前足をナオキの太腿に乗せたまま首を伸ばして画面を見た。

彼女だ!

大画面に、今朝みかけた彼女が大きく映し出されているではないか!
枝豆うましで振りまくっていた尾っぽが、その驚きでピタリと止まった。

――行方不明になっていた高齢女性の保護に貢献した警察犬に、昨日、警察から感謝状が贈られました。
――これは昨日の贈呈式の様子です。嘱託警察犬の「モモちゃん」と指導手の三上さんに感謝状とペットフードが贈られています。モモちゃんと三上さんは先月7日、自宅を出たまま行方が分からなくなった高齢女性の枕のにおいを手掛かりに捜索、およそ1時間後に無事発見したということです。

「ほら、嘱託警察犬だって。かわいいねー。チワワじゃない?」

――昨日の贈呈式の様子をご覧いただきましたが、実は、このモモちゃん、今日も大活躍だったらしいですね。
――そうなんです。今日も行方不明だった高齢女性を探すために朝早くから出動して、あっという間に見つけたということなんです。

「ほら、やっぱり」
画面を見ていたママが自慢げな顔をナオキに向けた。ナオキも納得したようにうなずいた。

――すごいですね。モモちゃん。
――ちなみにこのモモちゃんは、チワワとトイプードルのミックス犬で、年齢は6歳。1歳半からトレーニングを積み、3年前から嘱託警察犬の試験を受けて毎年合格しているんです。
――優秀なんですね。
――頼りになる、P市の見張り番の話題でした。では次は天気予報です。

軽快な音楽が流れて他のお姉さんが映し出される。
もう「彼女」はとっくに写ってないが、オレはまだテレビ画面にくぎ付けだった。「ショクタク警察犬」「優秀」という言葉が耳の中に張り付いて離れない。6歳。ひとつ年上だ。ちょうどいい。
尖った鼻。ぴんと立った尾。スレンダーなボディ。凛とした顔。

……どれもオレに備わってないものだ。

テレビから目を逸らすと、夜の窓ガラスに映った自分の姿が目に入る。
オレは慌ててベロをしまった。
ぺちゃんこの鼻。丸まった尾。食べ過ぎでボテっとしてしまったボディ。そして、皺だらけの顔。

ああ、なんて彼女は美しいんだ。

モモちゃん。もう一度……会いたい。

モモは三日飼えば三年恩を忘れぬ

【犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ】
犬は三日養っただけで、三年もの間その恩を忘れない。犬が飼い主になつきやすく、よく従うことをいったもの。

「ことわざを知る辞典」より

少し天気の悪い日だった。
「いつもと違うコース、行ってみようか。ダイエット、ダイエット」
ママの気まぐれでお散歩コースが変わった。絶対いつもと同じ道がいいとは言わないが、知らない道は少し怖いものに出会う時もある。
側溝のアミアミの隙間から落ちてしまいそうで怖くて進めず、抱っこしてもらってるところを大型犬に見られて恥ずかしかったり。
道路の反対側から小型犬に(オメェダレだよッ。二度とこっち来んなよ。この×××野郎!)ってめっちゃ罵倒されたり。
オレはそのたびに結構プライドが傷つくんだぞ。

そんなことを思い出してちょっと嫌だなと小股で歩いていたが、結果的に、今日ほどママの気まぐれに感謝したことはないだろう。
初めての道をおそるおそる曲がると……

彼女だ!
フェンス越しに「彼女」がいるじゃあないか!
夢か? 幻影か? 
いや、ホンモノにちがいない!

「ワン!(Hi!)ワン!(Hey girl!)」

オレはフェンスに飛びつき、その隙間から彼女のニオイをくんくんした。ああ、やっぱり。なんて美しい。
「こら。大福、落ち着いて。しっぽがはち切れそうだよ」
ママにひっぱられても、今日だけは譲れない。

彼女のニオイ。彼女のニオイ。いいにおいだぁぁぁ。モモちゃぁぁぁん。

最初のオレの美声で、庭に水を撒いていた飼い主らしき人間がモモに近寄って抱き上げ、オレたちに向かって言った。
「こんにちは」
慌てて去ろうとしていたママも仕方なくオレを引っ張るのを止め、「こんにちは」と飼い主さんに挨拶を返した。
そして抱き上げた彼女をママに見せつけるかのようにフェンスに近寄る。ママはじいっとモモを見つめて「あれ?」と小首をかしげた。
「あれ。もしかして……昨日テレビに出てた警察犬じゃないですよね?」
「あら、やだ、見ました? うふふ」
飼い主さんは口元に手をあてがい、大げさに恥ずかしがった。
「わぁ、すごい!」などとママと飼い主の楽し気な会話が始まった。
チャンスだ。オレは抱き上げられた彼女のにおいを必死で嗅いだ。

だが、抱かれたモモはずっと白けた顔つきをしている。
(なに喜んでるのかしら。ひとつもキョウコさんの手柄じゃないのに)
飼い主、キョウコさんとやらに対する辛辣な言葉が聞こえて、オレは思わず嗅ぐのをピタと止めた。
(おまえ、飼い主にそんなこと言って……いいのか?)
モモはオレをジロリと見下ろした。
(おまえって何よ。モモちゃんって呼びなさいよ)
(失礼。モモ……ちゃん)
(ワタシ、指導手の三上さんが大好きなの。キョウコさんは何してほしいのかサッパリわからないから)
飼い主が好きじゃない犬がいるのか。知らなかった。
(シドウシュ、って何だ)
(ワタシを1歳のころからずっと躾けてくれた人よ。命令が的確で分かりやすくて、ご褒美も必ずくれるし、ワタシ、あの人の言うことなら何でも聞くわ。あの人のために生きてるの)

「モモちゃん、でしたっけ。賢そうな顔ですねぇ」
「いえ、そんなでも。そちら……ブルドックじゃなくて……」
「パグです」
「あー、そうそう。パグちゃん。かわいいわねぇ。うふふ」
そう言ってモモを地面におろし、オレの顔をじっと見て笑った。

「グルルル。グルル」
オレの顔みてカワイイと言う人間は「ペチャンコのしわしわなお顔で気の毒」って感情も脳内に浮かんでいて、でもそれがオレに聞こえてるってことに、いつになったら気づくのか。

「あら、ご挨拶してるのかしら。グルグル言って、かわいいお顔ねぇ」
キョウコさんはオレの言うことが分からないみたいに、また「お気の毒」という眉尻で微笑んだ。

(ごめんなさいね。キョウコさんは、だいたいに於いて失礼なのよ)
(モモ。君が謝ることではない。オレは平気さ。他の人間になんて思われようと、ママはオレのことが大好きなのだから)
オレは当たり前のことをそのままモモに伝えた。
(そう。よかったわね)
モモが少し寂しそうな顔をしてうつむいた時にちょうどママがオレのリードを軽くひいた。別れの時間か。

(また……会えるか?)
リードで引かれながらも訊ねると、モモはチラっと顔を上げた。
(あなたの運がよければ、ね)
そう言ってくるりと踵を返した。

オレは、ぶしゃんとひとつクシャミをした。

次の日のお散歩も「気まぐれコース」に無理やり持ち込んだ。ママは「いつものコース」を行こうとしたがオレが絶対にいつものコースへ進まなかったのでママが諦めた。

家を出てすぐウンコを済ませ、最初の角でオシッコも済ませ、あとはちょこちょこマーキングするだけだ。
さて、彼女の家はどの辺だったか。近くになれば匂うだろうか。
この近く……微かに……彼女の匂いが……流れてきている……気がする……が、気のせいかもしれない。
自慢じゃないがオレは鼻が詰まり気味だ。いびきがうるさいといつもナオキに怒られる。
見覚えのある道を曲がると、フェンスの隙間からモモちゃんが目に飛び込んできた。

モモちゃん! モモちゃん! こんな近くにいたなんて! モモちゃん! 嗅がせて、匂い、匂い。こっちカモン! ハァハァ。

「大福、モモちゃん好きだねぇ。しっぽがはち切れそうだよ」
モモちゃん! モモちゃん! 

「ワン!(カモン!)」

オレの必死の咆哮で、やれやれという顔つきをしたモモがフェンスにゆっくり寄ってきた。飼い主は見当たらない。ひとりで庭で遊んでいたんだろう。
モモはフェンスの隙間から、尖った鼻をツンと突き出す。

かわぇぇ。かわぇぇ。モモちゃぁぁぁん。
オレはくんくんが止まらない。

(しつこい男ね。ワタシ、訓練から戻ったばかりでちょっと疲れてるのよ)
(……そうなのか。悪かった)
オレのしっぽがちょっと垂れ下がった。
(訓練、つらいのか?)
(集中力がいるから疲れるけど……)
モモは一瞬、家の中を振り返ってから言った。
(ここにいるよりは楽しいわ。この家はつまらなくて。ワタシが頻繁に訓練に出るようになったらキョウコさんは他の犬を飼い始めて……おっとりしたトイプーのマロン。彼女とばかり遊んでるわ)
(そうか)
モモは話を続けた。
(この前の朝、発見したおばあさんね、先月も行方不明になったの。その時にワタシがあっさり見つけたものだから、今回もすぐ要請がきたの。優秀だから忙しくて困るわ)
(あ、あぁ。モモは優秀な犬だ)
(? ちょっとトゲのある言い方ね)
(いや、自分で言う犬も珍しいなと)
(そうかしら。キョウコさんはワタシのことカワイイとは言うけど優秀だなんて言わないから、この家にいるときは自分で言い聞かせてモチベーションをあげるの。ワタシは優秀な警察犬。三上さんの犬。ワタシはできる女)
(お、おぅ。そうか。なによりだ)
モモは少し強がっているようにも見えたが、何より優秀だと言われるのが嬉しい事なのだろう。オレは言われたことがないので分からない。

(行方不明だったおばあさん、きっとまた出て行くわ。そうね、来月7日)
確信を持った言い方に、オレはちょっと疑問を持った。
(なんでそんなこと分かるんだ)
聞き返すと、意外にもびっくりした顔をした。
(さあ。なんでかしら)
優秀な彼女でも適当に言うことがあるのだな。
彼女は少し周囲を伺うようにして考え込んでしまった。

「大福、そろそろ行こう」
ママがオレのリードを軽くひっぱる。
いやだ! ぜったいにいやだ! ぜっ・たい・に!
「もう。こうなると大福は頑固なんだよな。直樹に似て」
ママは立ったままスマホを見始めた。よし。まだゆっくりできそうだ。

(で、何の話だったか)
オレはモモに向き直った。
(忘れたわ。同じ訓練所のラブって子が、迷子の子供を発見した話だったかしら)
(ラブ? かわいいのか。いや、ラブラドールレトリバーのラブだな?)
(テリアのナイスガイよ。彼はあの訓練所で一番優秀だと言われているわ)
モモが少しうっとりしたような表情を浮かべる。

「ぐるるるぅ(ボストンテリアが警察犬になれるのか? オレと同じ鼻ぺちゃ犬じゃないか。なぜだ)」
(違うわ。エアデール・テリアよ)
「ワン!(しらん!)」

オレの声を聞いて、彼女はニヤリと笑った。
ちくしょう。からかわれたのか? なんだか見たこともない男に負けた気分だ。ママが吠えたオレをちらりと見たが、あまり気にしていないようだ。モモの話は続く。

(今日、訓練所でラブと話をしたの。その迷子の親が少しおかしいって)
(おかしいとは何だ。お前の飼い主のキョウコさんみたいな変な顔ってことか)
(あら。あなた根に持つタイプね。違うわよ。逆に顔は綺麗で、化粧のニオイがきつくて。だけど子供のニオイが薄くて困ったって。親が持ってくる子供の荷物は、子供の靴だって、ほとんどニオイがしないって)
(どういうことだ?)
(よく分からないわ。でも、それでも子供を発見したの。すごいでしょ)
彼女はなぜか、自分の手柄のように顎をあげて言った。

ふん。
もういい。帰るぞ、ママ。

オレはママを見上げた。でもママはスマホに夢中だ。
どうせ、人気フレンチブルドッグのSNSを見ているんだ。ママは鼻ペチャ犬が大好きだ。ほら。にやけてる。あの目尻を下げた笑い方は絶対そうだ。

(あのおばあさん、昨日は花を摘んでいたわ)
(花? おばあさんって、モモが発見したおばあさんか?)
突然話を続けたモモを振り返った。
(そう。小高い丘に小さな菊の花がたくさん生えているの。それをいくつも摘んで手に持っていたところを見つけた。だけど……)
そこでママがオレのリードを軽く引いた。
「いこうか」

(タイムアップだわ。またね)
モモはあっさり話をやめ、オレが去るより先に家の中へと消えていった。
つれないなぁ。

迷子の養い

【犬馬の養い(けんばのやしない)】
《「論語」為政から》犬や馬にえさを与えるのと同じように、父母を養うのに、ただ衣食を与えるだけで敬意が伴わないこと。

「デジタル大辞泉」より

今日のローカルニュースも嘱託警察犬のお手柄について紹介していた。平和な地域だ。あんまりネタがないのだろう。
ところが犬は一瞬しか映らなかった。犬の表彰とはちょっと違う話のようだ。ママとナオキはテーブルの上でタコ焼きをクルクル焼きながらテレビを見ている。オレは熱くて食べられないやつだ。残念。

「やだ見て。あのアパート、知ってる。駅の向こう側。事件かな。ナンタラ神社の近く。なんかさ、あの近所50年くらい前にも事件があったんだよね。不気味な地域」
ママはくちを「へ」の字に曲げながらそう言って、たこ焼きをクルクルする。

――先月末に迷子になり、嘱託警察犬によって発見された鈴木キラトくんの件の続報です。当初、母親が目を離した僅かな時間に家の鍵を開けて一人で出て行ったと見られていましたが、その後の警察の調べによりますと、前日からベランダに出されて家に入れない状態だったということが明らかになりました。

――よくベランダの窓を叩いて、ごめんなさい、ごめんなさいって。
――明るいお母さんでしたよ。まさか、そんなことする人には、ねぇ。

テレビ画面には、その家のベランダと思われる映像が映っている。干したままの洗濯物。子供用のボールやバケツ。お菓子のゴミも乱雑に置かれて風になびいている。

――今月になって、毎日のように子供の大きな泣き声が聞こえる、夜に1人で歩いているキラト君を見かけるなど、近所の人からの通報により児童相談所が聞き取り調査を行ったところ今回の件が発覚しました。警察の調べによりますと、前日の夜からベランダに出され、翌朝になって部屋に入れようとしたらいなくなっていることに母親が気付き、昼過ぎに警察に連絡をしたということです。警察は保護責任者遺棄罪の疑いで調べを続けています。

いつの間にか、ママのたこ焼クルクルの手は止まっていた。いつもより地球の重力がかかっているみたいに、への字だった口だけじゃなく、腕も、肩も、ずっしりと落ちている。ママ……。
「迷子が見つかって良かったって思ってたけど、違ったんだ。ね、直樹覚えてる? ワンちゃんが発見しましたって言ってたニュース」
ママは一生懸命ナオキに話しかけるが、ナオキはキュウリをボリボリ噛みながら、ひたすらタコ焼きをクルクルつんつんしている。

「夜はもう寒いよ。毛布も一緒にベランダに出したって言ってるみたいだけどさ」
ボリボリが終わると、次のキュウリを口に入れてまたボリボリ噛む。ボリボリクルクル、ボリボリつんつん。
「なんであんな家に子供が産まれて、うちは……」
そこでおしゃべりなママも黙ってしまった。

ナオキは突然顔を上げて言った。
「このチワワきゅうり、うまいね! どこで買ったの。めっちゃうまいよ。ビールにあう」

チワワきゅうり?

オレもママも一瞬ぽかんとした。
「やだ直樹。チワワじゃなくて、チクワでしょ」
「え? 僕、チワワって言ってた? まちがえちゃった」
ナオキが目をくりくりしてそう言うと、ふたりはクスクスと笑い出した。

ナオキ、ないす間違いだ。あと一押しで、ママのいつもの笑顔が見れそうだ。

オレはそっとママに近寄り、ペタンと座っているママの膝の上にアゴを乗せてママを見あげた。ママはそぉっとオレの頭をなでる。
「ごめんね。いつまでもグチグチ言って。私には大福もいるし。もう、とっくに諦めてるのに」
「ぐるぅぅ(ママ……)」
ナオキもオレの背中を撫ではじめた。
「いや。僕もあんな親は許せないよ。ぐちぐち言ったら止まりそうにないから何も言い出せなかった。でも、楓ちゃんと同じ気持ちだ」
ママは手を止めてナオキを見た。
「ありがとう、直樹」
ママはそっと笑った。

オレがこの家に引き取られた2年前。
ママはよくオレのそばで泣きながら眠っていた。
「私もママになりたかった。一度でいいからママって呼ばれたかった」
そう言って頬をつたうママの涙を、オレは必死で舐めたものだ。

ママにオレの言葉が届いているといいが。
「ぐるぅぅ」

꒰ ՞•ﻌ•՞ ꒱ 第1わん 第2わん 第3わん 第4わん U´•ﻌ•`U


創作大賞2023の審査終了後、稚拙だった表現や説明不足だった点など、ところどころ改稿しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。