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いかのおすし⑤ 【2時間目】

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《美桜ママ》

「最近、友香ちゃんのおうちに行くとき、自転車乗って行ってるの?」

毎日のようにおねだりされる「ガツン弁当」の唐揚げをひとつつまんで美桜のご飯の上に乗せながら尋ねた。
代わりに高野豆腐と人参の煮物が乗ったおかずをアルミ箔ごともらう。
 
「え?」
 
驚いたような反応をみせた美桜に、逆に驚く。
「あれ? このおかず嫌いでしょ。もらっちゃダメだった?」
「ああ。うん、嫌い。ママにあげる」
「え、じゃなに、どした?」
 
「いや。あの……自転車。なんで分かった? だめ?」
美桜が麦茶を飲みながら上目づかいで聞いてきた。
 
美桜が今日何をしたか。
何をしていないか。

今日は自転車に乗って出かけたとか、先週はプールさぼったとか。なんだって母親は気づいてる。
微妙に物の位置が違うとか、洗濯機に放り込まれたタオルのあの畳みかたは使ってない証拠だとか。美桜はバレてないと思ってるけど実は分かってる。
 
「だめじゃないけど。ヘルメットちゃんとかぶってる?」
「かぶってるよ」
 
見逃せる範囲のことは、いちいち聞いて確認したりしない。自転車だって何となく会話にしてみただけだった。
 
学校の交通安全教室で細かい交通ルールも教わった。だから自転車に乗って遊ぶことは問題ないんだけど。
なんか反応がおかしいと「ヘルメットかぶってないな」とか「まさか駐車中の車にこすって傷つけたりしたんじゃないか」とか。余計な詮索をしたくなってしまう。
 
「友香ちゃんと遊んだんだよね」
「そだよ」
「あんまり友香ちゃんのおうちばっかりだと悪いからさ、今度お菓子でも持っていかないとね」
そう言うと美桜がさっきあげた唐揚げを箸でつまんで返してきた。
「やっぱ、いい。お腹あんま空いてない」
「あ。友香ちゃんちでおやついっぱい食べた?」
「あー。うん。ジュース飲んだかな」
「ふーん」
 
さっきから美桜は私のほうをあまり見ない。
なんか隠してるな、と思ったけど友香ちゃんの家でジュースやおやつを食べ過ぎたくらいなら怒ることではない。
 
テレビのバラエティではバズった動画を流している。可愛らしい猫ちゃんの意外にどんくさいジャンプ。賢そうな犬が全く反応してくれないフリスビー。動物好きの美桜にしては、反応がいまいち。
「あ、あれ友香ちゃんちと同じ犬じゃない? なんていうんだっけ、チワワじゃなくて」
「うん」
やっぱり変だ。絶対何か隠しているぞと、こっそり顔を伺う。
「今日、見たでしょ? ワンちゃん」
「ううん」
「え? いっつも遊びに行くとキャンキャン吠えるって言ってたでしょ」
美桜は小首をかしげ、無表情で「お散歩かな」とテレビを見ながら言う。
 
ちょっとした嘘をつくとき、美桜は私の目を見ない。緊張したように固まって違う一点を見つめる。
 
今、美桜は何かの嘘をついている。

猫が数匹、音楽に合わせて一斉に首を振る映像になると「かわいいー。ママ、みて」と満面の笑みを見せた。
まあ……いいか。嘘だとしても大したことではないでしょ。
 
「あのさ、ママ。明日も友香ちゃんと公園で遊んでいい?」
「公園? 全然いいよ。約束したの?」
「うん。今日と同じ、三時に」
「三時? 明日はプールの日じゃないし、公園は暑いから遊ぶのは午前中がいいんじゃない? 友香ちゃんのママに電話してあげようか」
「あ。いや……」
歯切れの悪い返事に猜疑心がよぎる。
「明日はママの仕事も早く終わるかもよ」
「うん……」
「もし早く終わったら、公園寄って友香ちゃんにジュースでも渡そうかな」

「え、いいよっ」
 
美桜の勢いある言い方に目を見開いた。
いや、さすがに変でしょ。
さっきまで心ここにあらずという感じで生返事を繰り返していたのに、こんなに拒否するなんて。
 
……いや。
ははーん。思い出したぞ。

私は、美桜の横顔を見つめてニヤリとした。
3年生の終わりころ、遊びに行った美桜がなかなか帰らず心配で迎えに行こうかと思ったとき。
やまと公園から美桜の大きな笑い声が聞こえてきて、声を掛けようとしたけど、できなかった。隣にいたのがいつもの友香ちゃんではなく、痩せぎすの知らない男の子だったから。
後ろ姿しか見えなかったけど、ちょうど「ばいばい」と元気に手を振り、逆方向へ走って行った。
その日の晩に「ねぇ。美桜は好きな男の子いないの?」「彼氏できた子とかいるの?」なんて聞いてみたけど、眉間に皺をよせて「そんなのいないよ」という返事が跳ね返ってきただけだった。
 
ソレだ。きっとそういうことだ。

「明日やっぱり公園で遊ぶのやめようかな」
しばらく考え込んでいた美桜がしんみりと言った。
「え。なんで」
「うーん」
「二人ともゲームじゃなくて公園がいいよ。外で遊びな」
美桜はちょっと怪訝そうな表情を浮かべてから「うん、じゃあそうする」と軽くほほ笑んだ。

明日、早く仕事を切り上げてこっそり公園の様子をのぞいてみよう、という母親のたくらみに美桜は気づいていないみたいだった。
 

 
翌日、残り少ないサンドイッチを並べ直しているとお客さんがガラス戸を開けて入ってきた。
「たまごサンドある? あれっ、もうないの?」
「たまごはお昼に売り切れちゃうことが多いですねぇ。すみません。この時間はフルーツサンドがお得ですよ」
お客さんは、そうかじゃあ、いちごと、ツナと…と、3つほど購入して店を出た。

対面販売の手作りサンドイッチ屋で働き始めて8年目。
離婚後、生活のためにとりあえず雇ってくれればどこでもいいと思ったけど店長が理解のある人で本当に助かっている。
テイクアウト専門なのが功を奏しコロナ禍で逆に繁盛。その勢いで店長がもう一店舗を開業し、私も社員として契約し直してもらえ、少し安定した生活が送れるようになった。土日のアルバイト要員もいるから特別なことがない限り休める。
 
美桜を保育園に預け始めた当初、あんなに泣くなんてと、こんなに胸が張り裂ける思いになるなんて、と思ったけど、そんなのもすぐに慣れた。
美桜は健康そのものだったし、遅れていた離乳食も泥だらけになる外遊びも、保育園で経験してきてくれて正直ずいぶんと助かった。

小学校でも、そう。
近所のママさんに支えられながら、いろんなこと教わって。このまま美桜は公立の、中学、高校と通って。大学は、どうだろうか。結婚は……。

あ、そうだ。
今日は美桜の「彼氏と公園デートの日」だ。
 
早く帰らせてもらおうと思っていたことを思い出し、時計を見ながらそわそわしているとキッチンにいる店長の奥さんと目が合った。
「塩谷さん、今日なにか用事でもあるん?」
「あー、いえ。えっと」
「あがってもいいよ」
「ほんとですか!」
「店長もそろそろ銀行から戻るし。夏休みだから、お子さん大変でしょ。何年生だっけ」
 「4年です。今年から学童に入れてなくて」
「あら、じゃあ、帰ったほうがいいわね」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
私はそそくさとエプロンを外しながら片付けにとりかかった。

何回か美桜を店長ご夫婦に会わせたことがあるけれど、美桜はいつも私の後ろに隠れてしまうから、もっと小さい子だと思われてたかもしれない。
「いつもお世話になってる人なんだからちゃんと挨拶して」って毎回叱るハメになるけど、美桜からすると体格の良い白髪の店長は威圧感あるらしい。
そんな美桜のことを「躾がなってない」なんて嫌味も言わないし、こうやって気を使ってくれるし。店長ご夫婦は理想の舅と姑みたいな存在。

よし。今から公園に行こう。娘の彼氏の顔を見に。あの時は後ろ姿だったから。いや、そもそも彼氏とかじゃないだろうけど。もっと言えば、今日一緒に遊んでいるとも限らないけど。

我ながらちょっと笑える。
でも母の勘は大抵当たるんだから。

好きな子ができた。友達とケンカした。先生に叱られた。直接見ていなくても、親ならなんとなく分かる。
 

 
公園に到着すると、日陰のベンチに座っている美桜が目に入った。道路わきに車を停め、窓を開けて「おーい」といつもの声で呼びかける。
「あ、ママ!」
美桜が気づいて手を振り返す。
声を掛けたのは、隣に座っているのが友香ちゃんだと遠目で見ても分かったから。どう見ても公園には二人しかいない。
なんだ。デートじゃなかったのか。「ちぇ」と思う一方で、ちょっと安心している自分もいる。
 
公園入口に2台の自転車がお行儀よく並べられていた。
「こんな近くなのに、ふたりとも自転車なの?」
「うん」
友香ちゃんはリュックの他にバドミントンのラケット袋を担いでいる。
「あれ。バドミントンして遊んだの」
「はい。めっちゃ楽しかったです」
私の質問に友香ちゃんが答え、美桜に向かって笑って「ねー?」と言った。
「ねー!」
美桜も友香ちゃんの顔をみて、笑いながら同意した。
ぶなしめじみたいなヘルメット頭の仲良しさんたちが可愛らしくて、私も自然と大きな笑みがこぼれる。
 
友香ちゃんとはそのまま公園で別れ、美桜は私の車を追うように自転車を漕ぐ。二人でアパートの階段をのぼり、「今日は汗だくダー」という美桜にシャワーを浴びるように促した。
 
ソファの上に無造作に置いた美桜のリュック。外側の網ポケットに草が入っていたので捨てようと思ったら、それは四つ葉のクローバーだった。
何本も。全部。
 
校庭のように整備されたやまと公園の、どこにこんなに生えてるんだろう。というか、美桜は四つ葉のクローバーを見つけるの天才的じゃない?
ティッシュを一枚広げ、クローバーをひとつずつ丁寧に並べる。全部で7本あった。
 
押し花にでもするかな。
 
不揃いな長さの四つ葉のクローバーたちを眺めていると、これから美桜の願い事がたくさん叶うような気がして、なんだか嬉しくなった。

「あっ」

そっと広げたつもりの葉っぱが1枚、ちぎれてしまった。

「ま、いっか」

その1本は、リビングのゴミ箱に投げ捨てた。

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