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エッセイ/機嫌のいい認知症ハハと親不孝ムスメ

夏休みに帰省した。父は10年以上前に他界していて、母が一人で暮らしている家だ。

今回、実姉と日程を合わせて帰ったのは、以前から気になっていた「物忘れ外来」のような科に母を連れて行くつもりだったからだ。

母はそれなりの年齢なので、最終的な「脳委縮による認知機能の低下」という医師の結論は、思った通りというより寧ろ、思ったよりは程度の軽い結果であったと思う。

問診のなかに、テストのようなものがある。
「今日は何月何日ですか」
「今から言う3つの言葉を覚えてください」
「ここは、何県? 何地方?」など。
時折、「あれ? なんだっけ。助けてよぉ」と困ったような顔で姉を見つめる母。「テストなんだから教えないよ」と冷静に微笑む姉。
考えることをすぐに諦めてしまう母も、そのうち「それじゃダメなんだ。がんばって考えよう」と思い始めたころだった。
「100から7を繰り返し引いてください」という問題を母の背後で聞いている私は、「93」でスイッチがオフになる。母よりオフが早かった。言っておくが、あくまで母の応援に集中するためだ。

その後、MRIを受けるため移動する。
母が途中で怖いと言い出さないか少し不安に思いながら、姉と二人で廊下で待つ。
「さっきの問題、難しいよね」
「普段ナニ地方とか質問されないからね」
「掛け算の、かける数・かけられる数、どっちがどっち、みたいな」
「問題の意味がわかりませんってやつ」
などと話しながら、思い出したように人差し指を宙で動かして「87……80……」と呟くと姉に再計算を求められる。

MRIの検査時間は、思ったよりも長かった。
やりなおして「79」まで答えて満足していたころに、母が検査室から笑顔で出てきた。

「楽しかった~。キラキラでね、もう、すごいキラキラキラ~✨って。踊りたくなった。ほら、アレ、あれみたい」
母は、いわゆる「ゴーゴー」の手つきでご機嫌だった。
「ディスコだね」と言おうとしたが、若い検査技師に「クラブですね」と言い直されそうで黙っておいた。
「目の前がキラキラなの?」と聞くと
「目はつむってるけどね」と言う。

私も一度ゴーゴーを踊りたい。
「脳ドッグ」とよく聞くけれど、えらくお高そうなので躊躇している。
その前に安価な計算ドリルで我慢しようと思う。

ともあれ。
問診でのテストも、MRIも、一度は病院に行くのを拒んだ母が、とても楽しそうに受けて「楽しかった」「すっきりした」と言ってくれて、本当によかった。


けれど、検査の途中で母の発したある言葉が、今も私の心に焼き付いて離れない。

私は、我が子がまだ幼い頃、自宅で通信教育の添削指導をしていた。
中学コースの国語教材として使用された、角田光代さんのエッセイが印象に残っている。

タイトルは忘れてしまったが、検索してみると「何も持たず存在するということ」という一冊に収録されているエッセイだと思う。

角田さんは子供の頃から作文を書くのが好きだったが、いつしかそれは「人に見せるための文章に変わった」という。

そして、学生だった角田さんの父親が入院したとき。
日に日に死に近づいていく父を見舞いながら、彼女は心の中で作文に何と書こうか考える。そして亡くなった後、父の死をテーマに作文を書いて周囲から高い評価を受ける。

作家になった角田さんが、「死を理解したような気になって書いた当時の自分」を振り返り、「目の前の死に向き合うべきだった」「もっと泣き叫べばよかった」と苦い気持ちを綴る。そんなエッセイだったと思う。
(文章を明確には記憶していません。すみません)



私の母の話に戻る。
母の健康状態は、良い。まだまだ長生きするはずだ。
心に焼き付いて離れない「検査の途中で母の発した言葉」が何であったか、今は書かない。

でも近い将来、書くと思う。
母の健康状態にかかわらず、自分のタイミングで。

「今は書かない」のは、ちょっとしたエッセイや短編で書いて終わりにしたくないからだ。
軽々に扱いたくないと言えば聞こえはいいかもしれないが、何らかの賞レースに関わるような、あるいは人様のお金をいただくような、納得いくまで推敲して書き上げた、そんな小説に組み込みたいと考えている。母から出た言葉の背景にあるものを受け取って、自分なりに咀嚼して、大切な言葉として扱い、あくまでフィクションとして世に送り出したい。

それは、誰かに見せるための、私が褒められるための文章だ。

そんなことを目論んでいる私は、親不孝者なんだろう。
母の話を書きたいわけではなく、母の言葉を「小説のネタとして使う」つもりなのだから。
そんなことをずっと考えているのだから。


それはそれ、これはこれ。
ひとり暮らしを続ける母を、今後はもっと頻繁に気にかけ、サポートしていかなければいけないと気づいた貴重な夏休み。
今後の行動でプラマイゼロにできるかな。
ついでに他にもネタが落ちてないかな、なんて考える私はやはり親不孝寄りだ。

タイトルの「機嫌のいい認知症」は、「すまスパPRO」でおだんごさんが使われていた言葉です。

「機嫌のいい認知症の人ほど、周りを幸せにする人はいない」

母が、そんなタイプに思えて。
いつもと同じ、そんな感じの笑顔で一緒に過ごせたので。
とても楽しい夏休みになりました。
これからも、前向きに考えられそうです。
素敵な言葉を、ありがとうございました。

姉ひとりに任せず、今回病院にいけたのも、「すまスパPRO」の皆さんに背中を押してもらえたように思います。

重要なことが書かれていますので、未読の方は是非に。
(おだんごさんの記事はないですよね? あったら貼ります)


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。