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話が通じない人ほど「論破へのこだわり」があると感じる話

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思うのですが、

話が通じない人ほど「論破へのこだわり」があるように感じます

「相手を言い負かす」

「自分が負かされる」

みたいなとこにずっと気にしてしまう、こだわってしまうし、行動自体が

「論破されないことを前提に動く」

みたいなことになりがちで、

話は逸らすし

自分の正当性をあげるために都合の良い論理を有難がる

客観的にみれば一番執着しているようにみえます


「自分は論破とかそういうものに興味ないんでしないんで」みたいなスタンスだけど

一番興味あって一番抜け出せなくなってるのはその人本人だったりする

こういう人は

「相手よりも自分が優れている、知識がある、的を射たことが言えるポジション」

「相手と会話して自分が不条理な論破、言いがかりにあった」

「正しいことを主張しているから攻撃もやむなし」

という自分を成立させたい特徴があると思っています

「会話が成り立ってない、キャッチボールができていないことを指摘される」

などの自分への不利を感じとると

「優れた自分を成立させるにはどうすればいいか」みたいな思考から話が逸れていく

そうしないと自分を維持できない

みたいなことがとても多いのです

「自分の会話が成り立たないこと」も「優れている自分が間違っていることはあり得ない」という性質から 堂々巡りに入ることが多いのではないでしょうか


この話はもちろん私自身にも跳ね返ってきます

ただ、私自身は他者より上に立とうとか、攻撃のためにSNSをしようとは思っていません

激しい主張をする際は、自分も叱咤される、評価が落ちる覚悟でやっています

何だったら顔もだしています

結局のところこういう発信はSNSでもリアルでも

「この人はそういうことを言わないだろう、思っていないだろう」

「なんか意図があってやってるんだろう」

という信頼感で評価されます

主観ではなく、俯瞰で自分を見て、他者にどう映っているのかを省みる

これはとても必要な過程です

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