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パワハラ、セクハラ、モラハラ暴力に対して「研修」で済まそうとすることは無理があると思っている話

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職場でのパワハラやセクハラ、モラハラ、不適切な関わり、言動に対して「研修」を行うことで解決しようする流れがよく見られます

私個人の意見ですが、「そんなもので人権意識が変わるとは思えない」というのが正直な気持ちではあります

実際パワハラを受けた身としては、実際にそれを行う人間は

「自身がそれをしている自覚がない」

「自分が糾弾されていることにも納得していない」

「相手を一人の人間として尊重していない」

ことが多いと思います

一体どんな気持ちで研修をうけているのか想像もできません

そして、被害にあった人が求めるのは「研修でその人が変わる」ことはもちろん

「自身と関わってほしくない」

「償いをしてほしい」

という思いなのではないでしょうか。それぐらい関係性は修復不能なのだと思います

何だったら別にいまさらその人が変わることなんて求めていないのではないでしょうか

また、これも大きな問題だとおもうのが、パワハラ、セクハラをした人間がその職場に残り、被害者はそこを去らなければならない

というケースが多いと感じています

これはいじめ加害者、被害者の構図によく似ています

パワハラ、セクハラ、不適切な関わりはしていけません、していません と言いつつ、実際には就業規則で何も決まっていなかったり、実際に起こっていても体制側が大事にしたくない一心でもみ消すケースも確認されます 

上司、管理職が加害者の場合が多いのです

「研修」もその「大事にしたくない」一つの方便みたいな印象を受けます

福祉的な視点で見ると、自己愛性パーソナリティ障害の一つとも言えます

・共感性が著しくかけている

・態度が傲慢だったり、偉そうにしている

・他人への妬心および、自身への妬心と受け取る思考

そういった特徴があるのです

多くの場合、「そういう行動、思考でで人と関わってきた積み重ね」があるのだと考えます

「パワハラだと言われるから指導ができない」

「セクハラと言われるから仲良くもできない」

とは言いますがその裏には

「一生懸命やっている自分を守ること」が優先されることになり

「相手が苦しんでいること」には想像が及ばないのです

支援上ではこのパワハラ、セクハラ、モラハラ、いじめなどを行う人は

ある意味

「支援が必要だけど支援を受けられる様相を呈していない人」

という問題も発生していると考えます

この考え方についても人によってさまざまなので、別の機会に記述したいと思います


以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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