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【ミケ子さんの台所】第三話『東雲君とサンドイッチ』

大学生、東雲 優(しののめ まさる)は、
白い暖簾の前に立っていた。
時間は12時。
思い切って引き戸を開ける。

「こんにちは。」

恐る恐る中を覗くと、割烹着を着けた年配の女性が
こちらを振り向いた。

「こんにちは。」

女性が微笑みながらやって来た。

「…あの、食事できますか?」

東雲優がそう言うと、女性は一瞬だけ考えて、
笑顔で言った。

「ええ、出来ますよ。
サンドイッチですけど、いいですか?」

「はい、お願いします。」

女性に促されて、椅子に座る。
大きなテーブルが、一つだけ。
メニューらしきものは見当たらない。
ここは土間のようだ。
竈門がある。

「ミャオ」

何かが足に触った。

「うゎっ!」

驚いて下を見ると、三毛猫がこちらを見ている。

「猫、大丈夫ですか?」

女性が聞く。

「あっ、はい。大丈夫です。」

「良かった。この子は、ミケゾウで、
私はミケ子って言います。」

「そ…そうなんですか、(変わった名前…)
僕は東雲と言います。」

東雲はペコリと頭を下げた。

「東雲さん?素敵なお名前ですねぇ。
しののめさん、しののめさん…。
何回も呼びたくなっちゃうわ。
『しののめさん』、
お飲み物は何になさいますか?」

ミケ子さんは楽しそうな顔をしている。

「じゃあ…コーヒーをお願いします。」

ミケ子さんがコーヒーを入れる間、
東雲はボッーとしていた。
台所には、使い込まれた台所用品が、
整然と並べられている。
部屋の所々には、
無造作に生けられた花や緑があり、
猫は窓辺でゴロゴロしている。
コーヒーの良い香りが漂って来る。
東雲の前にコーヒーのマグカップが置かれた。

「ありがとうございます…。」

東雲が飲もうとすると、
ミケゾウが、テーブルの上に座ってこちらをじっと見ている。

見つめ合う二人

東雲とミケゾウが見つめ合っていると、
ガラガラと戸が開き、
大きくて、野太い声が静寂を破った。

「おじゃましま~す。」

ワンピースを着た、大柄な女性が入って来た。

「キティさん、いらっしゃい。
ちょうどコーヒーが入ったところよ。」

「ミケ子さーん、今日はキティのわがまま
聞いてくれてありがとう。
本当にごめんね~。これ、ワイン。
お客さんにもらったの。ミケ子さん飲んで…」

キティさんと呼ばれた女性(?)は、
東雲優に気が付くと、片手でササッと髪を整え、
恥ずかしそうに頭を下げた。

「あら、お客様がいらしたのね。
私、【ラピスラズリ】っていう、
ゲイバーのママしてます、キティと申します。」

キティは名刺を差し出した。
東雲は立ち上がって名刺を受け取った。

「僕、東雲と言います。」

「まぁ、東の雲と書いてしののめさん?
良い名前〜。たくさん呼びたくなっちゃうわ。」

ミケ子さんが、キティにコーヒーを持って来た。

「ミケ子さん、私、手伝う。」

「いいから、いいから。
キティさんは、東雲さんとコーヒー飲んで
待ってて。」

それから東雲はキティとコーヒーを飲んでいる。

『まさか、相席になるなんて。』

東雲は落ち着かない。

「ねぇ、東雲さんは、学生さん?」

キティが聞いた。

「はい、大学三年です。」

「いいわね〜。若いわね〜。
でも、三年てことは、20歳過ぎてるのよね。
じゃあ、うちのバーに今度いらして。」

「は、はぁ。」

東雲が会話に困っていると、キティが優雅に
コーヒーを飲みながら言った。

「昔、私ここで、サンドイッチ食べたのよね。
もう、倒れそうな空腹で。
無銭飲食でもいい、最後に何か食べようって。
そんな時、白い暖簾を見つけて。
ふらふらしながら入ったの。
そしたら、ミケ子さんが、サンドイッチ
出してくれて。
でも、全部平らげた後に気づいちゃったのよね。
ここがお店じゃないって事。
そして、サンドイッチはミケ子さんのお昼ごはんだったって。
今でも時々食べたくなって、今日はミケ子さんに
おねだりしちゃった。」

キティは笑いながら言った。

東雲は青い顔で立ち上がる。

「すみません。
僕、お店だと思ってました。
お店じゃないんですね。帰ります。
あっ、でもコーヒー代を…」

慌ててお金を出そうとする東雲を、
キティが立ち上がって止める。

「いいじゃない。一緒に食べましょうよ!
ミケゾウだってそう言ってるわよ。」

キティに抱えられたミケゾウは、
迷惑そうな顔をしている。
ミケ子さんも走り寄って来た。

「ごめんなさい東雲さん、私が言わなかったから。
食べていって下さいな、東雲さん。
だってこんなにあるのよ。」

ミケ子さんの持っている大皿には、
大量のサンドイッチがのっている。
そして、四角と三角のサンドイッチが、
きれいに盛られている。

「美味しそうですね。」

東雲の口から思わず漏れた。

「でしょでしょ!美味しいのよー。
さぁ、食べましょう。」

東雲は、キティの物凄い腕力で、
椅子に強引に座らされた。

ミケ子さんが、サンドイッチの説明をする。

「これが卵で、これがハムときゅうりとチーズ、
これは、ポテトサラダ。」

「もう、ぜーんぶ好き。」

キティはそう言うと、
東雲の皿にいくつか取り分ける。

三人と一匹は、椅子に落ち着くと、食事を始めた。
東雲は、恐縮している。

「なんか、本当にすみません。」

「大丈夫ですよ。東雲さん。
気にしないで。東雲さん。」

ミケ子さんが言うと、キティが吹き出した。

「やだぁ、ミケ子さん。
『しののめさん』って言いたいだけじゃない!」

「あら、キティさん。分かる?」

二人が和気あいあいと話す中、東雲は、
卵のサンドイッチを一口食べた。
トロトロのスクランブルエッグは、
ほんのり甘くて優しい味がする。
ハムサンド、ポテトサンド、
どれも懐かしい味だ。

「でも、東雲さんも、
看板の無いお店に入ろうなんて、
チャレンジャーねぇ。」

キティが言う。

「なぜだか、ネットとか見ずに、
知らないお店に飛び込んでみたくなりまして。」

「せっかく思い切ったのに、
家のサンドイッチじゃ、
ちょっと可哀想だったわね。」

ミケ子さんが申し訳なさそうに言った。

「いえ、そんな事ないです。
僕、サンドイッチ好きなんです。
母親がよく作ってくれたので。」

「素敵なお母さんねぇ。」

キティがサンドイッチをほおばりながら言う。

「血の繋がらない母なんです。
本当の母親は、僕が5歳の時に亡くなって。
僕が13歳の時に、父親が再婚したんですけど、
本当に良い人で、優しい人で。」

東雲はもくもくとサンドイッチを食べながら言う。

「でも僕、お母さんって呼べなかったんです。
呼んでいいものか、どうなのか分からなくて。
母は、僕が勉強していると、
よく夜食を作ってくれました。
なかでもサンドイッチが僕、好きで。
子供の頃から勉強が大好きだったんですけど、
いつからか、母の夜食が楽しみで勉強してたのかなって、最近思ったりして。
でも、やっぱり、
お母さんって呼んでいいのか分からなくて。
呼べないまま、先月亡くなりました。
…すみません、僕、何でこんな話し、」

東雲が顔を上げると、
ミケ子さんが目尻を拭いていた。

「ズズズズズッ!」

大きな音にビクッとすると、
キティが思いっきり鼻をすすっていた。
目から涙が流れている。

「やだぁ、私。
花粉症かしら、よく目から鼻水出るのよね。」

キティは、ハンカチで目を押えながらミケ子に言った。

「ねぇねぇ、飲まない?
私、ミケ子さんの梅酒飲む!」

キティは、そう言うやいなや、
勝手に梅酒の瓶を戸棚から出すと、勝手にグラスに注いでいる。

「私はロック、ミケ子さんもロック、
東雲ちゃんもロック。」

「えっ?」

東雲がつぶやくと、ミケ子さんが心配そうに
聞いた。

「東雲さんは、お酒飲めるの?」

「強くはないですけど、一応飲めます。」

「そう、じゃあ、
キティさんの持って来てくれたワインも
飲みましょうよ。」

ミケ子さんは、いそいそと、
ワインとワイングラスを持ってくる。

「これも何かのご縁よね。
三人の、あっごめん、ミケゾウ。
三人と一匹に乾杯!」

キティが梅酒をかかげる。
東雲は、戸惑いのまま乾杯をした。

ミケ子さんの定番

いつのまにか宴会のようになった。
喋りの苦手な東雲だが、
ミケ子さんの聞き上手と、キティの話題の多さに、
あっという間に時間が過ぎた。

しばらくして、いびきをかくキティを
小上がりの和室に寝かせて、
東雲は戸口の前に立った。

「東雲さん、ありがとうね。
キティさんを運んでくれて。
実はあの人、結構お酒弱いの。」

ミケ子さんは笑った。

「いえ、こちらこそ。
本当にありがとうございました。
サンドイッチ…美味しかったです。」

『また来てもいいですか?』

そう言いそうになって、東雲は口をつぐんだ。
すると、ミケ子さんが言った。

「また、来てください。東雲さん。」

ペコリと頭を下げて、行く帰り道、
花屋で足を止めた。
二人の母に花を買った。

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