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渡邊江梨香プロフィール

渡邊江梨香(わたなべえりか)
1983年11月18日
亥年 蠍座 B型

愛媛県四国中央市出身
関西医科大学附属看護専門学校卒業
nurse one代表

働く人と企業を健康に。看護師健康経営アドバイザーの渡邊です。

私がこの仕事をしている理由は、
私自身が仕事の忙しさから、自分の体型や体調を大きく崩した経験があるからです。
仕事をしている時は目の前の患者様に向き合うことや業務に必死で、
やりがいもあり充足しているように思えるのですが、
家にいる時も仕事モードから抜けきれず仕事をしたり、飲酒量もふえたり、間食したり、、体重は新人時代から15キロ増えました。事業を立ち上げたときには24時間365日仕事モードでした。年に一度の健康診断も時間を見つけて行くのがやっとでした。

もっと自分や家族に対して丁寧に生きようと決めてから、
食事、運動、休養という人間として当たり前にしないといけないことを見直し、運営に欠かせないマーケティング力、プレゼン力など、トータルスキルの取得、健康経営の必要性を勉強してきました。

生きていくために働いているのに、働くことで健康を害する、、そこに矛盾を感じ、働きながら健康維持できるよう会社全体で取り組める方法はないかと考え始めました。
働くすべての人の食事、運動、休養の3つのサイクルを変え、トータルウェルネスをサポートします。

今回はそんな私のストーリーを紹介します。
是非読んでみてください!

【幼少期~学生時代】


愛媛県宇和島市で生まれ3歳まで過ごし、同県の四国中央市に引っ越しました。働き者の両親と兄二人の5人家族で、決して裕福ではありませんがあたたかい家庭ですごしました。

子供たちがスポーツを始めるといつも監督に就任してくれる父、遠くに遠征に行くときもマネージャーのようについてきてくれる母、スポーツをしていると家族で一緒にいられる、そんな感覚で育ったように思います。
兄は野球、私はバスケ、それぞれに父は監督をこなしてくれ弱小チームを市内1位のチームにしてくれました。

思春期に突入するとそんな両親の有難みもわからなくなり、
両親の心配をよそに友達と関西に行くことを勝手に決めました。
たいした夢もなかったので「看護師になるなら関西に行かせてもらえるだろう」という不純な動機で必死に勉強し看護学校を受験。
滑り込みで合格し関西で一人暮らしが始まりました。

自分から親元を離れて初めて生活し、毎日毎日身体のことや病気のことなど今までに経験をしたことがない分野の勉強や実習が始まりました。
知識の勉強はもちろんのこと、実際に病院で患者さんの看護計画を練りケアにあたります。
患者様だけでなく家族のケア、今だけでなく今後の生活にも目を向けたケアが必要です。
感謝されることの嬉しさもあれば、自分にはどうにもできない不甲斐なさなど医療の現場のリアルを目の当たりにし、ホームシックになり涙を流すことも多かったです。
毎日母親に電話をしては話を聞いてもらっていました。あれだけ離れたかった親元なのに改めて両親の有り難みが身にしみました。

また両親と同年代の方々が闘病生活を送っているのをケアしながら、「いつか両親が病気になったとき、自分が少しでも力になれたら」と思うようになり、看護学校に行き始めてから初めて看護師になりたいと思うようになりました。

【長年の看護師の経験を経て事業の立ち上げ】

看護師として約15年、身体的な事情だけでなく、精神的な病でも外に出られない患者様、また外に連れて行きたいけど見守ることが不安な患者様のご家族、様々な人の「外にいきたい!」の気持ちに触れてきました。
年齢も30代半ば。今後看護師としてどうキャリアを積んでいこう、、
そんな中たまたまテレビで、「旅行や結婚式に付き添う看護師さん」の特集を目にしました。
・テレビを通してでも患者様の笑顔が輝いて見えたこと
・働く看護師さんが大変ながらもイキイキとしていたこと

その特集に私は釘付けになり同時に「これだ!」と決意し、
すぐに病院を辞め1企業内で保険外(自費)の看護サービス事業を立ち上げ、フリーランスの看護師さんと利用者様を繋ぐプラットフォームを作ることにしました。

【第二の社会人としてのスタート】

病院という大きな組織を初めて離れて事業の立ち上げ。
業者さんとHPを作る、取引先とのやりとり、初歩的なビジネスのやりとりや名刺の渡し方1つもわからない世界で、第二の社会人人生が始まりました。ほとんど認知されていないサービスを一から構築し営業するのは相当ハードルが高く、話も聞いてもらえない、医師から書類もいただけないことも多々ありましたが、「最初はそんなもんでしょ!」となんでもやりました。
でも自費の看護サービスやフリーランスと言う働き方に共感してくれる看護師さんは多く、1年半で全国で約750名の看護師さんにご登録いただくことができました。
少しずつ知名度も上がりはじめ、メディアでの対談やYouTubeでの活動など、大変でしたが一から作り上げることの楽しみも感じていました。

また看護師さんにご登録していただくときに、面談でその方の人生観や看護観を伺います。
本当にユニークでハートフルでエネルギッシュな方が多い職種で「もっとやりたい看護がある」「病院ではできない看護がしたい」「自分の得意分野で立ち上げたい」「今のまま病棟で働き続けるのは嫌」「もっと看護師としてイキイキと働きたい」「もっと評価されたい」と言う想いにたくさん触れてきました。
そんな看護師さんにフリーランスという働き方を選択肢として提供し、より女性としても看護師としてもイキイキとしてほしい、そんな想いも芽生え始めました。

また、案件はあふれるほど多くはありませんでしたが、社会の動きにあわせてニーズがあるサービスであることを実感しました。

・最期の時間を自宅で自由に過ごしたい
・お正月に意識のない父親を連れて帰り家族で集まりたい
・ コロナ禍で面会ができず次に家族にいつ会えるかわからないから自宅で介護したい
・最後に病気の母親を故郷に連れて帰りたい
・末期がんの父とバージンロードを歩きたい

結婚式の参列の付き添い
ご家族を含めての在宅サポート


などなど、「家族と過ごしたい」「外に行きたい」のニーズに沢山触れてきましたし、病院ではできないその方々のニーズに合わせたオーダーメイドの看護は、その人の人生をより豊かにしているような感覚でもありました。

ただ、同時にこの患者様がもっと早くに予防未病の知識があれば、また違った最期だったのかなと、看護師として介入するのが遅すぎたのではないかとも思い始めました。

退職~起業の道へ

起動に乗ってきた矢先、事業縮小のため退職を命ぜられることに。
看護師さんやお客様を残し事業もろとも手放さなければならなくなりました。
やりがいも緊張感も常にありとても充実していた反面、自分の心身や家族がいつの間にか置き去りになっていたことすら気付かず約3年ほど経過していました。
事業責任者兼社内マネジメント兼プレイヤーと、利用者様からの電話や看護師さん達の相談の窓口など24時間365日仕事をしていた気がします。

気づけばもう40歳目前、自分には何が残っているのか、娘に何を残せたのかと振り返ってみると、何もありません。
いつの間にか大きくなった娘と衰えた両親、疲れ切った自分でした。
何より自分の体重は15キロ増え肌はアレルギー体質になり、もうぼろぼろでした。お酒の量も増えお客様や看護師さんが思い描く【渡邊さん】とは大きくかけ離れた人間でした。
人のサポートをして感謝されてはきたけど、自分自身や家族の幸せは?自分の大切な人も幸せにしないで何やってるんだろう、、誰のために何のために仕事をしているのか「これからどうしよう、」もう普通に病棟看護師に戻るという選択肢は自分の中にはなぜかありませんでした。

これからは自分や家族に【もっと丁寧に生きよう】そう思いました。

以前からお世話になっている経営者さんから
「いつまでサラリーマンしてるの?」「健全な働き方をしなさい」「食べるとか寝るとか当たり前のことができなくてどうするの?」「明日死ぬと思って生きろ」「時間の価値を考えろ」「飯炊きババァになるな」など、
この歳でこんな当たり前のことで喝をいれてくださいました。
そしてただ当たり前のことができていない悔しさから、漠然と起業しようと決めました。

【自分と家族に向き合う】

起業しようと決めたのが先だったので、具体的に何をするかなんてふわっとしたものでした。
一から自分と向き合います。
何がしたい?何が得意?何が好き?どんな生き方がしたい?何ができる?だれの困りごとを解決したい?など『そもそも』を洗い出しました。

「看護師」「オーダーメイド看護サービスのノウハウ」「一次救命処置講習ができる」「フリーランスの看護師さんの繋がり」という自分のユニークに加え、「いつまでもかっこいいワーママでありたい」「自立した女性として輝いていたい」「思春期の娘の美に関する悩みを解決したい」「母親の腰痛や膝痛の改善をしたい」「実は父親はライザップに行きたいと思っている(母からの情報)」「自分と家族に後悔なく生きたい」など自分と家族の『美と健康』への意識が強いことがわかりました。
また、看護師さんにフリーランスという働き方の選択肢と価値の提供をしたいという想いは変わらずあるということも再認識しました。

【生活費の維持】

とは言え何のノウハウもありませんし、やりたいこともふわっとしているため自分がすぐすぐできること・・・一般市民向けに「一次救命処置講習」から実践しました。

セミナーの様子

「すごく勉強になりました!」と好評をいただきますが、消防署もやっていることであり、さすがにそれだけでは食べていけません。生活の維持のため、ある方から美容クリニックのマネージャーを任されたのでやってみることにしました。美の勉強もでき副業もOKで生活費を稼げるならと思い勤務することになりました。

【違和感からの行動変化からの思考変化】

しかし通勤は片道1時間半+勤務は9時間=1日で仕事をしている時間は最低12時間。加えて時間外の対応や自宅での残務処理、、
「この時間の使い方合ってる?」と違和感を感じ始めました。

少しでも日常生活を豊かにするにはどうしたらよいか、、、
「時間の使い方をかえよう」と意識し、車通勤を辞め自転車、電車、徒歩に変え移動しながら読書をしたり、SNSで発信したり、勉強をしたり、残業をせずジムに通ったり、、時間を有意義に使うことによって、メンタルや日々のパフォーマンスや自分の身体に変化が現れました。

トレーニングの様子

「働きながらでも時間の使い方を変えるとイキイキと輝けるんじゃないか」「父や母もこんな時間の使い方ができれば違う今があったんじゃないか」「この行動変化がなければ私も父と母のような歳のとりかたをするところだったかも」
「働く人たちに健康な心と身体を提供したい」
「会社全体で取り組めば良いのでは?」
と考えるようになりました。
同時にもっと自分の時間を自由にコントロールできれば(自身の事業1本でやっていけば)自分自身がもっともっと輝けるのではないかと思い始めました。
付き合い以外のお酒をやめ、毎日自転車で通勤して、休みの日は自分の事業やゴルフをしたりアクティビティをしている自分はとてもキラキラしているように感じました。
そこで今までの看護師としての知識に加え、運動、栄養学、事業の運営に欠かせないマーケティング力、プレゼン力など、トータルなスキルを取得し、自分自身も3か月でデータとしても大きくわかるほどに身体を変えることができました。

3か月の変化

【さいごに】

このスキルで誰の役に立ちたいか、、、
自分と家族はもちろんのこと、
・今まで外に行きたくても行けなかった患者様のような方々
・仕事三昧の自分や両親のような方
・老後をイキイキとすごしたい中高年の方々
などなどサポートしたい人はたくさんいます。
でも一番サポートしたいのは、自分自身のように働きながら自分の身体を犠牲にしてきた人たちです。仕事が忙しいからと自分を後回しにしてきた人たちです。
そのためには会社の理解や、健康リテラシーを向上させることが重要です。
自分だけが取り組む努力をしても続きません。

個人の健康サポートはもちろですが、働く人の健康を第一に考える健康優良企業を目指したい企業様を応援します。健康で長く働き続けられるよう、看護師健康経営アドバイザーとしてサポートいたします。

その他①一次救命処置講習②個人orグループトレーニング③外国人労働者の健康管理も展開しています。

オンラインパーソナルセッションの様子
オンラインセミナーの様子

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