過去に望んだものをジャッジする
今の特別支援学校の現状は、少なからず過去の親たちが望んだもの。
特に就労訓練に関しては、「障害がある」というだけで働く場所を得られない現状に、働ける障害のある子には働ける場所を提供してほしい。人生の選択肢を増やしてほしい…。そう願って活動した結果です。
でも、それは私たちが望んだ本当の形になっているのでしょうか?
少子高齢化の社会で知的障害のある人の課題にどう向き合う?
今、個々の課題の対応に当たれないほどの人員不足です。
職員の数が圧倒的に足りてないし、福祉サービス事業所が求人募集をかけても来ないとか。でも、起きている課題は大きい。「なんとかしてくれ!」と言われても出来ない。
地域行政が、福祉の課題を把握していても、課題にどう向き合えば良いのか?全く不透明なのだと思います。
福祉行政は万能じゃないことを改めて実感しているところです。
「三つ組障害」は神経発達症になる前の概念
社会性、コミュニケーション、想像力が、自閉症の障害(三つ組障害)だと言われていた時期がありました。現在でもこのような概念で、知的障害、発達障害を捉えると上手くいかなくなります。
いや、それで捉えてきたからこそ、成人になった今も上手くいかない現状に家族は困っているのだと私は思います。
「脳機能障害」の言葉で思考をストップさせた知的、発達障害の支援の在り方
そもそも、知的障害や発達障害について正しい理解がされてこなかったのです。2022年に神経発達症に名称変更されたことを考えると、知的障害、発達障害は神経の発達に不具合を起こしている状態なのだ、と理解できます。
今の成人支援の現場で起こっていることは、その時代に「脳機能障害」という言葉で思考をストップされた親たちと、その支援にあたった教育の流れの延長でしかない。
正しい情報に戻さなければ…
知識をアップデートし、セーフティーネットを作る
知的障害、発達障害のある人の人生に深く関われるのは、結局のところ家族でしかありません。
これはまぎれもない事実。
就労を目指した知的障害、発達障害のある人たちが、社会の中で犯罪加害者となったり、精神疾患を患ったり、強度行動障害になったりと…なぜ、このような状態になってしまったのか、私たち当事者家族は考えなくてはいけないはず。
就労訓練、福祉、教育に任せっきりの考え方を私たち親は、今一度、じっくり考えてみる必要があります。