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愚痴、怒り、友達

友達から血便が出たと聞いた時、死を期待した。
性格とか心とは違う反骨精神がそうさせた。人が死んで泣ける自分の人間性を確かめたかったから。死ぬのが友達でも家族でも大切な人でも関係ない。空いた穴を埋める感覚で文字を書くものだから穴は多い方がいい。蓮の花のように美しい文が書けるなら周りの人間、目に入る人間皆死んでしまえばいい。それが正しい。殺してやるほどのリスクを負いたくないものだから臆病ものだの、ただの妄想オタクだの言われてしまう。
従兄弟との、約束を切ってまで為にならない脳無しと会うことも無いのに。居心地の悪さを感じているのにズカズカと土足で入り込んでくる。無神経のなせる技というやつだ。キャンプ場で人を殺せば、発見が遅れる上山間部で埋めることもできる。こんなこと書きたくないのにアイツは無意識に人を踏み躙るように生きているものだから憤慨しても訳知らぬ顔で一生ヘラヘラ幸せそうに生きている。幸せそうに喧しい声、顔を見ただけで殺意?怒りが湧いてつい眠たいフリをする。疲れはあれど眠気はない。友達、こんな浅い称号で家族のように振る舞う、気持ち悪くて仕方がない。友達だよなと、口に出して確かめる奴が友達な訳がないだろ。だからおまえを噛んだんだ。高校時代のことまで思い出させやがってクソが。今菅田将暉が可愛いドラマを、deleを見てるのに。山田孝之もこんなにかっこいい。シナリオもいい。それを瓦解させる絶えず意味のない言葉を放つドブのクソ脳みそ。美術館という人の叡智、思想の溜まり場をつまらないという人間といるとこっちまで頭が腐る。見るだけで考えるをしない人間とは同じ空気も吸いたくない。馬鹿な道化が身についているものだからついヘラヘラ同じ型にハマってしまう。スランプだからこんなゴミみたいなこと書いてしまう。どうやって断ろうか。

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