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看護師になった理由

私の理想の看護師像

私の祖母は50歳代で乳がんを患い亡くなりました。祖母が亡くなる前、手術や化学療法を受けるため入院する機会が多く、そのたびお母さんは私と幼稚園児だった弟を連れてお見舞いに行っていました。大学病院に祖母が入院したとき、幼かった私に治療についてわかりやすく教えてくれた看護師さん。顔は覚えていませんが、まだ若い看護師さんでした。その看護師さんのようになりたくて、看護師を目指しました。ありきたりですよね。

同じ大学を目指す

中学の頃には、看護師になりたいという気持ちが芽生えており、中学の担任の先生に相談しました。地元の公立高校への受験を勧められ、合格して高校に通い出しました。高校の担任は英語の先生で、私の人生を大きく変えてくれた恩師です。看護師になるなら、絶対にこの大学!と勧められた大学が、私の理想の看護師さんがいた大学でした。大学の推薦入試が英文を読み、日本語訳するという内容で、高校1年生から英字新聞を毎日訳させられる日々が始まりました。

祖母からの手紙

祖母からもらった大切な手紙があります。祖母が乳がんになり治療中、しんどい中小学1年生だった私に書いてくれた手紙。しんどいときは読み返しています。『いつも優しくしてくれてありがとう。おばあちゃんはうれしくて涙が出ます。』私を思いやる優しい気持ちがあふれる手紙です。もっと生きたかっただろうなと思います。祖母の分も健康に生きなければ、乳がん検診は2年に1回欠かさず行っています。

大学に無事入学、附属病院で働く

大学に無事入学し、驚いたのは周りの友人の頭の良さです。頭の回転が違う、勉強方法が違う、全てが違う!入学しすぐにこれはまずい!と思い、頭がいい友人たちに勉強の仕方を聞いて回りました。テストのたび図書館に入り浸り、勉強しました。今までにこんなに勉強したことはありません。でも頑張ってついて行ってよかった。友人たちありがとう。
附属病院で働く日々は、記憶にないほど忙しく、とてもしんどいものでした。日勤の帰宅時間は毎日21時を過ぎており、もちろん新人に残業代がつくこともない。帰ってから勉強しないといけない。人の命を預かる不安、緊張で張り詰めた日々でした。

看護師になってよかった

看護師として働いていて、『ありがとう』と言ってもらえることがとてもうれしいです。私は人間が好きだと感じます。看護師は人の人生に寄り添える仕事だと思います。病気や障害を持ち不安なときに話を聞いてもらってうれしかったと言われることが多いですが、話を聞く=傾聴は素晴らしい看護技術です。大変なこともたくさんあったけど、やっぱり看護師になってよかった。おばあちゃん、私に看護師という仕事、宝物を与えてくれてありがとう。これからも続けていきます。



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