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帯刀することの意義

僕たち夫婦は
主にふたりでゴルフをしている。

たまに夫のお友だちと一緒に
ゴルフをさせてもらうこともあり、
僕は彼らのことをとても近しく思っている。


そんな彼らとはじめてゴルフをしたとき
僕はあるあだ名を頂戴した。

コミュ力モンスター

けっこうパワフル。

ていうか悪口だろそれ?

そんなコミュ力モンスターの僕は
たいそう鬱陶しいときもあるのだろう。

理知的で大人な女性たちは
僕のことを
アルカイックスマイルを浮かべながら
「がんばり屋さんだね……
もう無理しなくていいのよ……」
と受け止めてくださることが多い。

ありがとうございます。


一方で幼稚な女の人たちは
僕を見るなり歓喜しながら
マウンティングしたり
嫌味を言ったりしてくださる。

お疲れ様です。



ここでポイントとなるのが
僕はコミュ力モンスターで、
周囲にいるメンズたちから
結構クリティカルな情報を
得ていることが多いということである。


例えで話すと
(聖書を読むと
例え話の連続に驚く)、

僕のことをしたり顔で罵る人を
酷く取り乱させ、
精神的にかなり圧迫する情報を
僕は所有している

その上で
黙って面罵されていることが多い

ということである。


別に僕は面罵されている間中
「お前の弱点しってんねやぞ」と
ニチャアと内心笑っているわけではない。

ときどきものすごく腹が立った時
この情報を僕が使えばおまえはどうなるか
わかってないんだろうな…ククク…
と悪役ムーブを心の中で行うくらいで、
普段はそんなこと思い出しもしないものである。


持っている。けれど使うことがない。
それが大切なのだと思う。


僕は
力というのは
持つことにも
使うことにも
責任が生じるものだと考えている。


僕はコミュ力モンスターで
人と親しくなれることが多い。
そのぶん親切にしてもらったり
役に立つ情報を教えてもらったりできる。

それで得た情報を
他者を支配するため
自分を満足させるために使うというのは

やっぱりよくないことのように感じるのだ。


とんでもない恥知らずの
マナー違反をされたとしても、
僕は懐に持っている刀を抜かないことにしている。


ここにある刀は
僕にとっても
他者にとっても
気取られないものであり続けて欲しい。

死後、
座標に加わりたいと強く思っているから。





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