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キンモクセイ

 私は、夏の終わりが好きだ。秋ではない。夏の終わりが好きなのだ。夏の中に、涼しさを感じる。そんな夏の終わりがどうしようもなく好きだ。

 夏の終わりが好きな理由に、金木犀が咲き始めるからと言うことがある。香りにはとても敏感な方で、いい匂いにはとても癒されるし、不快な匂いにはとても苦しめられる人生だ。そんな私がこよなく愛する香り。それが金木犀の香り。



 最近では、「金木犀の香り」と記されたハンドクリームやら、香水やらがバラエティーショップに並ぶのをよく目にする。そのテスターを手に取り、嗅いでみる。ああ、この匂い。小学校の花壇にあったのを思い出す。なんだか、少しあったかい香り。と思っていたのも束の間。色々試すうちに、こんな匂いだったろうかと疑い始めた。金木犀の香りはこんなものではない。もっと何かこう、何かこう、、、。「違うんだよなあ」そう呟いてそそくさと店を出てきてしまった。
 
  私にとっての金木犀は季節限定、あの場所限定だから魅力的だったのだろうと思う。それが、いつでも嗅げますよ!あの匂いいつでも思い出せますよ!と言われても興醒めしてしまったのだろう。その匂いを嗅いであの季節を感じ、あの時を思い出し、あの人を想って、あの場所を恋しく思う。それを全て含んだ上での金木犀贔屓だったのだ。
   好きだった映画が、金曜ロードショーでの放送の録画から、サブスクライブでの配信に変わりいつでもどこでも見れるようになった。いつでも見れる、いつでも聴ける、いつでも嗅げる、いつでも会える。好きなものは皆「当たり前にいつもそばにあったらいいのに」と思いがちだが、案外そばにありすぎてもその重要性に気がつけないのなら、見たい時に、聞きたいときに、嗅ぎたい時に、会いたい時に手の届かないところにあるくらいの方がいいのかもしれない。

    そんなことを考える夜はなんとなく、当たり前のことに感謝してみようと思い彼にメッセージを送ってみる。「いつもありがとうね。」
怖いよだとか、何があったのかとかうるさいことは言わなくていいから、黙って「こちらこそ。」くらい送ってこいよ、と念を込めながら。

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