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「恋するキューピッド」 第13話:相合傘

 今日は雨が降っていた。

 僕は特別、雨が嫌いという訳ではないが、好きではない。

 僕が下手くそなのか、傘をさしてもズボンの裾は濡れるし、朝から時間を掛けてセットした髪型も湿気で崩れる。

ちょっと水溜まりに入っただけで靴に水が染みこんできて靴下が濡れる。嫌なことだらけだ。

 でも、嫌いじゃない理由がある。

それは、雨が降った後の大空には虹が浮かぶことがあるからだ。僕は雨が降る度に憂鬱になり、そして同時に期待する。

でも、雨が上がっても虹が現れることはそうそうない。今までの人生で虹を見てきたのは数えきれるぐらいしかないだろう。

 そういえば昔、彩虹と大地の3人で虹を見たことがあったな。その時の僕はまだあまり感情がなかった。

 だけど、虹を見て喜んでいる彩虹と大地の姿を見て、僕も嬉しい気持ちになった気がする。懐かしいな。どうせ虹を見るならひとりじゃなくて誰かと一緒に見たい。

 僕に虹を見ることができるかな。また昔みたいに誰かと一緒に虹を見て楽しむことができるようになるのかな。

 そうだといいな。

 僕は笑みを浮かべ、校舎へと辿り着く。下駄箱前の屋根下で傘をたたんで開いてを繰り返し、水滴を落とす。

「……おはよー、天使くん」
「朝比奈さん。おはよう。今日はなんだかテンションが低いね」

 オレンジ色の傘を閉じ、僕と同じように水滴を落としているが、いつもの眩しい笑顔はなく、目も半開きでいかにもテンションが低い。

「わかる? 私、雨が苦手で。朝は日光浴びないと元気でないんだー」
「たしかに朝に日光浴びるかどうかでけっこうテンション変わってくるよね」
「私はそれが特に顕著でね、低血圧なのもあるのか、すごく眠いの」

 朝比奈さんは片手で目をこする。

「でも雨の日でもいつも通りみんなの前では明るいじゃないか」
「みんなと話せば元気出てくるよ。でも今はまだスイッチオフ」
「こんな朝比奈さん見るのは珍しいから、今日は虹が見られるかな」
「虹? 虹が見たいの?」
「うん。さいっこうの虹が見たいんだ!」

 僕は笑顔を朝比奈さんに向ける。

「今日も相変わらず天使くんは朝から元気だね。雨は嫌いじゃなかった?」
「え、そんなこと言ったっけ?」

 たしかに好きではないけど、嫌いだとは誰にも言っていない気がする。

「ほら、去年の6月頃さ、天使くん悲しそうに久我くんと一緒に雨の中帰ってたよね?」
「ぐっ、どうしてそれを知ってる……」
「偶然見てたから」


 そう。たしか去年の梅雨の時期、その日は午前中晴れていたにも関わらず急に午後から雨が降り始めた。

 僕は念のため傘を持ってきていたため特に問題なかったが、当時僕が好きだった女子が偶然、今いる校舎の屋根下で困った様子で雨を眺めていた。

「ど、どうしたの?」

 僕は勇気を振り絞って声を掛けた。もしかしてこの子は傘を持っていないのでは?

 これは相合傘のチャンスなのでは!?

「傘忘れちゃって」

 女子生徒は困った表情で僕に言った。

「ぼ、僕傘持ってるんだ。よかったら……その、入る?」
「それはいいや」

 即答。一応、気を遣って言っているんだよ? そんなすぐさま否定する? もしかして僕のこと嫌いなの? 下心が見え見えだって? 下心を持って何が悪い!

 女子生徒はどうしようか悩んでいるのかずっと屋根下で雨を眺めていた。
 どうしたものか……。相合傘ができない以上、ここからどうやってアプローチすればいい。

 はぁ、まあそうですよね。普通に傘を貸せばいいんですよね。

 雨でずぶ濡れになるのは嫌だが、これをきっかけに彼女と仲良くなれるならどうということない。

「あの、僕の傘貸すよ」
「え、いいの? 他に傘持ってるの?」
「いや、ないけどさ。力になれればいいなと思って」
「えーありがとう! じゃあお言葉に甘えて借りるね」

 彼女は僕から傘を受け取り、笑顔を向けてくれる。

 よおし! 完璧だ! 今ならもう告白して成功するんじゃないか!?

 僕は喉を鳴らし、彼女に口を開く。

「あ、あのっ――」

「あーなんだよ。めっちゃ雨降ってんじゃん」

 僕が口を開いた瞬間、男子生徒が彼女のもとにやってきた。

「あ、よかったら私の傘に入る?」
「え?」

 僕の目は点になった。それ、僕の傘だよ?

「お、マジで!? いいの? サンキュ!」
「そ、それ僕の傘、なんだけど……」

 さすがに僕は黙って見ている訳にはいかなかった。

「なんだ天使の傘なのか? わりいけど、借りていいか?」

 いやダメだよ。僕はキミに傘を貸したわけじゃない。僕は好きな子に傘を貸したんだ。

「いやー……僕、他に傘持ってないから……」
「え、でもさっき貸してくれるって言ったよね?」

 彼女は首をかしげ僕を見つめる。うっ、たしかにそう言ったけど……。そんな風に見つめられたらやっぱり返してなんて言えない。

「う、うん。そ、そうだね」
「本当にありがとね! じゃあ、帰ろっ!」
「おう」

 彼女は男子生徒にそう言い、傘を開いた。そして男子生徒もその傘に入っていった。

 相合傘だ。

「え!? なんで!?」

 僕が手を伸ばし声を掛けるもののふたりは相合傘をしたまま歩き始めてしまった。

 待って? 相合傘が嫌なんじゃないの? どうして普通に相合傘しちゃってるの?

 なんで僕はダメでその男子ならいいの? ていうかそれ僕の傘なんだけど……。

 彼女と男子生徒は笑い合い、去って行ってしまった。

「……待ってよ。それ、僕の傘だから。なんで普通に僕の傘でイチャイチャしてんの?」

 そんな虚しい声は彼女たちに届くことはなく、ただ僕はふたりに手を伸ばし遠くへ去ってゆく後姿を見ているしかなかった。


「お、空。どうした? 傘持ってねえのか?」


 僕がしばらく外を眺めているとさきほどまで教室で寝ていた大地が僕の隣に来た。

「……消えた」
「ちょ、お前なんで泣いてんだよ!? そんなに悲しむことか? しょうがねえな。オレの傘貸してやるから」
「……え、ふたつ持ってるの?」

「ひとつ。相合傘だな」

 大地はなぜか嬉しそうに笑って傘を開く。

「…………」

 結局、僕は大地と相合傘をして帰って行った。

 ちなみに僕が好きだったその子は無事、一緒に相合傘をして帰った男子と結ばれたらしい。

 めだたし。めでたし。全然めでたくねえよ!

 しかも、僕が貸した傘は返ってこなかった。

 回想終わり。

「ああああぁぁぁぁ! せめて僕の傘返せよおおおおぉぉぉぉ!」

「うわ、びっくりした。雨の日でも元気だね」

 朝比奈さんは驚き、僕から一歩引く。

「元気に見える? 今の僕の気分は最悪だよ」
「……もしかして嫌なこと思い出させちゃった? ごめんね。いや本当に悪気はなかったの。天使くんが久我くんと一緒に悲しそうに帰ってたの見てただけだから。そんなトラウマみたいなものがあったとは思わなかったよ。……何があったの?」

「真相は僕の傘で好きな人が他の男子と相合傘をして帰って、それで結ばれたんだ。ははは、僕は本当に優秀なキューピッドだ」

 キューピィ、お前は本当に素晴らしい目を持っている。最高の人選だよ。僕って本当にすごかったんだね。

 誰よりもキューピッドに向いている。

 待って僕。もう自分で自分を追い詰めるのはやめてあげて……。

「……さすがにそれは可哀そうだね。それ以降、相合傘にトラウマを持っちゃったと」
「……うん。どうせ僕なんて相合傘ができる人間じゃないんだ。はっ、違ったか。僕は大地とは相合傘したんだっけな。大地、お前は最高な親友だよ。ははは……」
「…………」

 朝比奈さんは口をつぐんでしまう。さすがに自虐が過ぎたか。

「朝比奈さんに悪気がないってわかってるから気にしないでよ」

 僕が朝比奈さんを見やると、なぜか朝比奈さんは傘を開いていた。
 そして、傘をさしたまま僕の隣に来た。

「ほら、相合傘だよっ」
「なっ!」

 朝比奈さんは僕の肩に肩をくっつける。オレンジの傘の下には困惑した僕と笑顔の朝比奈さん。

 顔が熱くなる。朝比奈さんの頬も少し赤く染まっている気がする。

 ち、近い! 近い! 顔が近い! というか肩当たってる!

 僕が困惑し、何が起こっているかわからず脳が追い付かないうちに朝比奈さんは僕のもとから離れて傘を閉じる。

「これで久我くん以外の人とも相合傘したね。よかったね。それじゃあまた教室で!」
「えっ」

 朝比奈さんは駆け足で校舎へと入って行ってしまった。

 僕は口を手で押さえ、俯く。

「……本当に、朝比奈さんはなんなんだよ」

 いくらなんでもパーソナルスペース狭過ぎでしょ。ああいうことを天然でやってしまうから多くの男子が犠牲になるんだよ。もうちょっと控えてほしい。

 僕は顔の熱が冷めるまでしばらく屋根下で口を押さえ俯いていた。


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