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「虹の音色」 エピローグ

 あれから一週間後。
 神栖さんからの電話はなかった。
 それどころか一件もコールフレンドからの連絡はなかった。

 そして、僕はあの電話以降、人の声を聴いただけで、心の声も聴こえるように、なんてならなかった。

 あの電話でだけだった。やっぱり、僕の思いを繋いでくれる人だけにしかできないことだったのだろう。

 僕は大学の講義が終わり、帰宅する。

 今日は雨が降っていた。

 本館1階を出て、屋根がある場所で鞄から折り畳み傘をさして歩き始めた。

 今日はゼミの講義があった。霞ヶ浦さんとは一週間ぶりに会い、そしていつもの元気を取り戻していた。

 霞ヶ浦さんのコールフレンドは学校に行くようになり、相変わらず小説のアドバイスを求められているらしい。

 そして、自分の夢も変わらず、声優とボイスカウンセラーの両立を目指している。前よりも自信を持ってその夢に向かっている気がした。

 他のゼミ生も悪戦苦闘しながらも数々のコールフレンドの悩みを解決しているらしい。やっぱり行方先生の厳しい合宿のおかげだろう。

 行方先生はゼミで会ったとき、心配そうに僕を見つめた。僕は会釈すると、行方先生は笑顔になってくれた。本当に僕が立ち上がれたのは行方先生のおかげだ。

 あれ以降、結城凪砂さんがどうなったかはわからない。でも、電話で声を聴く限り、やはり普通に生活するのが厳しいというのは想像ができた。

 でも、今でも僕に思いを託し、そしてそれを誇りに思っているように言ってくれたあのときの通話は忘れない。

 これから先も色んな困難にぶつかるだろう。でもその度に、僕は結城凪砂さんの思いを、思い出し、前に進んでゆく。

 前に進めたことを湊にも伝えた。そうしたら湊は笑って、よくやったと言ってくれた。

 よくやれたのかな。

 わからないけれど、僕は僕にできることはすべてできた。心残りはあるけれど、後悔はしない。

 僕の思いが、繋がっていけばいいな――――。

 

 

 僕はひとり、雨の中、歩んでゆく。

 

 

 パララランッ。

 

「おっと」

 ポケットに入ったコールフレンド専用の携帯電話が鳴る。僕はそれを1コール程で出る。

「はい、こちらコールフレンドの桜川です」

 

『あ、龍神?』

 

 浅い青紫の声。

「神栖さん!?」

 驚きで傘を落としてしまった。

『うわ、びっくりした。そんな大きな声出さないでよ』

「……生きていて、くれたんだ」

『……まあね。言ったでしょ。何もかも上手く行ったって』
「え、でもそれは嘘でしょ」
『むぅ』

 どうやら少し怒っているようだ。

「ご、ごめん」
『あれから本当に解決した』
「え、どうやって」
『はぁ、託すとか言ってる割にホント、無責任』
「だって、あそこからどうやって解決にまで持っていくか、いくら考えても僕には思いつかなかったんだ」
『ま、そうだね。穏便に解決する方法はなかった。だから、それこそ死ぬ気で頑張ってみた』

「なにを、頑張ったの?」

『教室の壇上に上がって、学校に来なくなった子を救おうって言ったの。もし、不満があるなら全部アタシにぶつけてって。それでやっぱり文句たらたらの子がいたからアタシはその子たちひとりひとりと向き合った。ああもうホント、敵意むき出しで怖かった』

「本当に、頑張ったんだね。それで、上手くいったの?」

『まあね。結局、ひとりひとりカウンセリングみたいになってようやく解決した。学校に来なくなっちゃった子ともアタシが話して、ちゃんと理解して学校に来てくれるようになった』

「まさにヒーローだ。好き好んでいるわけでもない人によく手を差し伸べられたね」

『はぁ、ホント疲れた。疲れたから、また相談乗ってよね』

 どんな理屈だ。でも――

「もちろん。おつかれさま。よく頑張ったね」
『……まあ、そりゃ、その……託されたからね』

 神栖さんはかなり小さな声で言う。しかしハッキリと聴こえる。

「繋げてくれて、ありがとう」

 笑みがこぼれる。

『どういたしまして。って――』
「うん? どうしたの?」

 急に神栖さんが動き出したみたいだ。

『いや、その』 

『なになに彼氏?』『円香って彼氏いたんだ~』『彼氏さんと話しさせてよ』

 神栖さんじゃない声が幾つか聞こえる。いや、かなりの数聞こえる。

『彼氏じゃないってば!』
「友だち、できたんだね」
『うん、まあね。って、だから!』

 神栖さんは話しながらも、友だちと楽しく騒いでいる。

 とても明るい雰囲気だった。

 数々の声が聞こえるにも関わらず、その空間はとても優しく、騒音ではなかった。

 

 どうしてか黒い雨は降っていない。様々な色が形を成して、虹色になっていた。

 

 こんな音、初めて聞いた。

 色が混ざり合っても黒にならないこともあるんだ。

 そんなことに、やっと僕は気が付けた。気付かされた。

「本当にありがとう」

 僕は電話口に言う。

『こっちこそだよ。ああ、そうだ。言っておくことがあったんだ』

「なに?」
『私もカウンセラー目指すことにしたから』
「本当に!?」
『だって託されたんだからしょうがないじゃん』
「勝手に託しちゃってごめん」

 そっか。神栖さんがカウンセラーか。彼女ならきっと素晴らしいカウンセラーになるだろうな。きっと僕よりもすごいカウンセラーになるに違いない。

 でも、それがとてつもなく嬉しかった。

 未来のカウンセラー界が明るくなるのもそうだが、ちゃんと、僕たちの思いを繋いでくれることが何よりも嬉しかった。

『ホントだよ。まあ、そういうわけだからよろしくね。先輩』
「こちらこそよろしく。後輩」
『上から目線ムカつくー』
「ごめんごめん。でも、待ってるから」
『精々アタシに抜かれないよう頑張って』
「頑張ります」

 僕は苦笑する。

『まあそういうわけだから、また心理学とかのことで相談すると思う。そのときはよろしく』
「うん、待ってるよ」
『それじゃあまた。……ホントにありがと』
「どういたしまして。それじゃあ失礼します」

 通話は終了した。

 

 思いは繋がっていた。たしかに、僕たちの思いを繋ぐことができた。

 結城凪砂さん。
 思いを、繋ぐことができましたよ。

 落とした傘を拾い、たたむ。

 

 結城凪砂さん。
 湊。
 霞ヶ浦さん。
 行方先生。
 太一くん。
 石岡くん。
 神栖さん。

 みんなの声を思い出す。

 みんなの声だけじゃない。今まで聞いてきた小中高の教室の音を思い出す。

 幼い僕は黒い雨にさらされ、耳を塞ぎ俯いている。しかし、雨の音がなくなったことに気づき、顔を上げる。ひとりひとりの音が色を成してふわふわと浮かんでいるのが瞳に映る。

 

『綺麗だね』

 

 幼い僕は笑顔を僕に向けていた。その笑顔を見て、僕も笑顔になれた。

「そうだね」

 僕も顔を上げる。

 様々な音色が僕を包み、目の前の景色と重なった。

 

 雨は止み、

 曇天のその先――

 新たな景色が、僕を待っていた。

 僕は空に手を伸ばす。 

 

手を伸ばした先には、色鮮やかに輝く綺麗な虹が浮かんでいた。

 


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