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「虹の音色」 第23話:霞ヶ浦凛の問題

 結局、ゴールデンウィーク中は石岡くんの電話しか来なかった。なんだか拍子抜けだった。あの厳しい合宿を乗り越えたからこそそう思うのかもしれない。合宿、行ってよかったな。

 僕は2限目の授業を受けた後、昼食を外で食べ、3限目が始まるまでの昼休みの間、学内でも比較的静かな図書館で本を読んでいた。

 本を一旦机に置く。ヘッドフォンを被り、ボイスアプリ『ヒアリス』を開く。配信者うらりん、霞ヶ浦さんの新着配信はゴールデンウィーク中、一切なかった。今もない。

 きっとアルバイトで忙しかったのだろう。それにもしかしたらコールフレンドからの連絡があったのかもしれない。僕は少し落胆したのち、スマホを閉じ、本を開いた。

「あ」

 コーラルピンクの声がヘッドフォンの外から聞こえた。この声は。

「霞ヶ浦さん」

 少し疲弊した声で霞ヶ浦さんは手を上げた。

「……やあ、桜川くん」
「久しぶりだね」
「……そうだね」

 やはり少し元気がない。

「何かあったの?」
「ああ、うん。その、ね」

 霞ヶ浦さんは僕から目を逸らし、頬を掻く。

「よかったら相談に乗ろうか?」
「いいの?」
「もちろん」
「ありがとう。それじゃ相談、乗ってもらっちゃおうかな」

 霞ヶ浦さんは伏し目がちに言う。声が少しくすんでいる。霞ヶ浦さんらしくない。

「それじゃあ、ゼミ室に行こうか」
「うん」

 僕は立ちあがり、本を元の場所に戻して、霞ヶ浦さんとともに本館6階、普段の行方ゼミが行われている605号室に入った。昼休み中なので当然、誰一人いない。

 少し薄暗いので電気をつける。僕は扉近くの席に座る。霞ヶ浦さんは僕の斜めに座る。

 霞ヶ浦さんはここに来るまでずっと伏し目がちで一切話すこともなかった。相当、気に病んでいるようだ。

「思い詰めてるね」
「ああ、わかる? さすが桜川くん。桜川くんはゴールデンウィーク中、コールフレンドから電話あった?」
「うん、一件あったよ」
「上手くいった?」

 霞ヶ浦さんは顔を上げ、特に笑いもせず僕の顔を見る。

「うん、上手くいった、かな」
「そっか。やっぱり桜川くんはすごいね」

 霞ヶ浦さんは俯いてしまう。

「霞ヶ浦さんは電話あったの?」
「うん、一件だけね」

 俯いたまま言う。

「上手く、いかなかったの?」
「うん」
「そっか」

 技術的に僕よりも上の霞ヶ浦さんが上手くいかなかったなんて、相当難しい相談内容だったのだろう。それか、相性が悪かったのか。

 僕のコールフレンド、石岡くんの相談内容は難しいものだったが、僕と相性が良く、石岡くん自身、もともと勇気のある子だったから、解決できた。

 僕は実質何もしてない。ただ話を聴いてあげただけだ。

 ここで霞ヶ浦さんに気にしないでというのは簡単だが、僕がそれを言うのは違う気がした。

「…………」

 霞ヶ浦さんは俯いたままだ。

「どんな相談内容だったか、聞いてもいい?」
「……うん。高校1年生の男の子でね、小説家を目指しているんだ」
「小説家。すごいね」
「うん、尊敬する。とても強い意思を持って、なりたいと思ってるのが伝わってきた」
「一見、悩みがなさそうだけど」
「……うん、でもね、小説家になるために学校に行かないって言うんだ」
「え、どういうこと?」
「学校に行っている時間がもったいないって。どうせ学校に行ったって意味がないから、行かない。そんな時間があるなら執筆作業に専念したいって」

 夢に向かって真っすぐ突き進む。その強い意思がある。だからこそ、余計なものはなくしたい。その気持ちはわかる。

 僕もできるだけコールフレンドや心理学の勉強に専念したい。でも、アルバイトがある。

 うちの場合は、自分が欲しいものは自分で汗を流して手に入れろという方針がある。だから学費関係以外はすべて自分のお金で調達するしかない。アルバイトをするしかない。

 だから、霞ヶ浦さんのコールフレンドが言う理屈もわかる。

「でも、学校に行くことは無駄じゃないと思うけど」

 高校生活は小説を書く上で良い経験だと思う。様々な経験を通して得られるものがあると思う。

 いや、僕は高校生活ほとんど保健室にいるか、ただ教室で黙っていただけだから僕が言えた義理じゃないな。でも、頑張って高校に行ったから湊に出会えた。今、こうして大学に行けている。

「私もそう言ったんだけどね、そしたら、何もわかってないって言われちゃって」

 強い意思があるからこそ、そういう風に言うのだろう。

「だけどさ、コールフレンドの霞ヶ浦さんに電話したってことはさ、やっぱりその子にも葛藤があるんじゃないの?」

 強い意思があるならそもそもコールフレンドに電話しないでいいだろう。誰にも相談せず、その道に自分で進めばいい。

「……うーん、そうなのかな。もともとの相談はね、ネットに小説を上げたから読んで、感想を聞かせてほしいっていう内容だったんだ」
「そうなんだ。その小説は読んでみた?」
「うん、面白かったよ。本当にプロの人が書いてるんじゃないかっていうぐらい面白かった。だからこそ、その子の言うことも完全に間違っているというわけじゃないと思っちゃったんだよね。このまま書き続けたらプロになれるんじゃないかって、そう思った」

「ごめん。小説家について僕はほとんど無知なんだけどさ、高校に通いながら小説家として小説を書いてゆくっていうのは不可能なの?」

「私も調べてみたんだ。それで、不可能ってわけじゃないみたい。働きながら小説を書いてる人もいるみたいで」
「それでも、学校に行く意味はない。小説を書くのに専念したいってことだね」
「うん。私は学校に行きながら小説を書いた方がいいんじゃないかって、そう、今でも思うんだよね」
「その考え方は間違っていないと僕も思うよ」

 僕は頷く。

「私は、どっちかをおろそかにするのは違うと思うから。これは、私が勝手にそう思ってるだけで、私がそう思いたいって、思ってるんだよね」
「どうして自分がそう思うかってわかる?」
「うん。私は、その子とは正反対。声優と、ボイスカウンセラー。どっちにもなりたい。どっちもおろそかにしたくない。だからふたつとも挑戦してる。それが私の考えだから」

 そうだ。霞ヶ浦さんは声優とボイスカウンセラーの両立を目指している。どちらかを専念しなければならないのかもしれないと思っている反面、それでもどちらにもなりたいと思っているんだ。

 そんな霞ヶ浦さんからしたら、その子が学校に行かず小説に専念したいという気持ちは、霞ヶ浦さんの、言ってしまえば中途半端の状態を否定されているように感じてしまうのだろう。

 だからこそ、冷静に判断ができない。自分の考えに固執してしまう。

 正反対なコールフレンド。僕と石岡くんとはまったく違う。言ってしまえば、霞ヶ浦さんとその子は相性が悪い。

 霞ヶ浦さんは夢に向かって『両立』を望んでいる。一方クライアントの子は『専念』を望んでいる

 相反する考えを持っている人に寄り添うのは難しいものだ。

 僕だって、家族とすごく仲良く、なんでも話し合える仲の人の気持ちはわからない。

「その子の気持ちがわからないってことだね」
「……うん。親身になって寄り添いたい。そう思うんだけど、どうしても、自分の中でストッパーみたいのが働いちゃって、その子の考えを全肯定してあげることができない」
「ましてや世間一般とは違う価値観を持っているから尚更そうだよね。その子とはまた連絡を取れるの?」
「うん。他にも読んでほしい小説があるから、その感想を聞かせてほしいって。……私はただ、その子の言う通り小説を読んで、ただ感想を言えばいいだけの存在なのかな」
「難しい問題だよ。結論を出すのはまだ早い。行方先生には相談した?」
「したよ。もし自分で難しいと思うなら、代わりに先生が相談に乗るって言ってくれた」

 代わりに、か。それは果たして優しさなのだろうか。

 霞ヶ浦さんだってわかっているだろう。その優しさは自己否定だということが。

 行方先生は決して霞ヶ浦さんを否定しているわけじゃない。霞ヶ浦さんも自分を否定する必要はない。

 でも僕はわかる。自分のクライアントを他人に任せるのは、自分では何もできなかった、そう言って、言われているようなものだと。

 自分が担当した以上は、自分で問題を解決したい。そう思うのがコールフレンド、いやカウンセラーとしての性分だろう。

 きっと霞ヶ浦さんも同じように考えている。だから悩んでいるんだ。

 クライアントのことを考えたら行方先生に任せた方がいいかもしれない。でも、譲れない。それがカウンセラーだ。

 だからこそだ。きっとそれは、行方先生が一番わかっている。だからあえて選択肢を与えているのだろう。霞ヶ浦さん自身で解決してあげることを、きっと誰よりも望んでいる。

「譲れないよね」
「……でも、その子のことを考えたら、そうするのが一番なんじゃないかな。先生ならきっと、その子を説得できる。その子にとってベストな道に導いてあげられる」

ここで、霞ヶ浦さんでもきっとできるよ! なんて言ってしまうのは無責任だ。

 霞ヶ浦さんは励ましの言葉を求めているわけじゃない。解決策を求めている。

「言い方は悪いけど、ふたりとも『普通』じゃない」
「……普通?」
「霞ヶ浦さんの夢も、その子の夢も、レールの上じゃない。強い意思を持って、自分の道を切り開こうしている」
「じゃあ、その子の夢を応援することが、私にできることなのかな」
「そうだよ」
「……そっか、そうだよね」
「でも、全肯定することが応援とは限らない」
「…………」

 石岡くんの件がそうだ。僕は彼のことを応援した。でも、彼の『ひとり暮らし』をしたいという気持ちを応援したわけではない。飽くまで僕は、彼の夢を叶えることを応援しただけだ。

「同じ、強い意思を持った夢を持つふたりなら、そこはきっと、わかり合えると思う」
「結果を見たらそうかもしれないけど、過程が全然違うよ。私だって、その子の強い意思に共感はできるよ。だから……否定することもできない」

 そうだよな。霞ヶ浦さんだからこそ、その子の気持ちをわかってあげられるんだ。だからきっと誰よりも応援したいという気持ちがあるだろう。

 でも過程が全然違う。だから肯定することも、その子の夢を否定することもできないのだ。

「肯定も、否定も、難しいね……」
「寄り添うことも難しい。ねえ、桜川くんだったらその子になんて言う?」
「僕だったら、か」

 僕だったらどうするだろう。まず、夢を応援するのは間違いない。小説を読んで、感想も言う。そこでだ。クライアントは実は学校に行かず、執筆作業に専念していると言われる。

 ここで「高校で得られる経験はきっと小説に活かせるよ」と言うのは簡単だ。だが、本人はそれに納得しないだろう。

 なぜなら、本人の中ではそのことに関しては問題だと思っていない。問題じゃないことに関して周りになんと言われても揺るがないだろう。

 それぐらい強い意思を持っているからこそ、面白い小説を書けている。きっと本人もそう思っているのではないだろうか。

 学校に行ったら疲弊するだけで、むしろ作品のクオリティが下がる。もうそのクライアントにとっては自分の人生は小説を書くことがすべてなんだ。それ以外は必要ない。
 

 それじゃあ、なんでそもそも高校に入ったんだ?

 
 きっと高校に入って急に小説を書き始めて、それが上手くできたから自分は小説家になりたいと思ったわけじゃないのではないだろうか。

 仮に、急に高校に入って、上手く小説を書けて小説家になろうと思ったとしよう。

 でもそれは少なくとも4月の間、高校に通いながら小説を書けているということになる。

 それは本来の、執筆作業に専念した方が良いクオリティになるということの何の証拠にもならない。

 むしろ、高校に行っていて、嫌な経験や劣等感、苛立ち、そういった感情が小説に活かされているという可能性が十分あるのだ。言ってしまえば、その現実を見ていない。逃げているだけだ。

 厳しいことを言うが、それは高校に行きたくないための逃げの理由でしかないということだ。

 でもクライアントの子は、話を聴く限りそんな逃げの理由で強い意思があるとは思えない。

 想像でしかないが、一旦、この仮定は否定しよう。
 だとするともうひとつの可能性は『高校に入る前から小説家になりたい』と思っていた、だ。

 きっと中学生の頃からすでに小説を書いていたのだろう。そして、学校生活を送りながら頑張って書いてきて、それでもやっぱり学校に通いながらだと執筆作業に限界がある。

 中学校を卒業して、高校に入学するまでに1か月ほどの春休みがある。そのときに書いた小説が上手くいったのだろう。

 1日中執筆するのは、今までと違ってこんなに良いものなのか。そう考えたのではないのだろうか。

 だからその経験を通して、『学校に行かずに執筆作業に専念したい』という考えが生まれたのではないだろうか。

 そしてもとからの自分の夢を叶えるために高校に行く必要はない、そう考えたのだろう。きっとそのクライアントの子も考えたんだ。高校というレールに乗りながら執筆すればいいのではないのだろうか。

 でも、高校に入って1か月過ごしてみた結果、やはり行く必要がない。むしろ行かない方がいい。その結論に辿り着いたんだ。

 その結論に辿り着く前にひとつの疑問が生じる。

 
 そもそも学校生活を送りながら執筆作業をすることが効率の悪いことだと知っていながら、なぜこの1か月学校に通い続けたのか、という点だ。


 その疑問の答えはひとつだ。

 学校に行かないということが果たして本当に正しいのか、それがわからなかった。不安だった。そう考えるのが自然だ。
 
 だからやはり、そのクライアントの子の心の中には、学校に行くべきか行かないべきかという葛藤が、少なくともあったのは間違いない。

 だから問題の核は、その葛藤とどう向き合うかだ。
 きっと結城凪砂さんや湊ならここまで思考しなくてもすぐにこの結論に辿り着いただろう。

 だが、霞ヶ浦さんはこの結論に辿り着いていない。

 なぜか。
 それは、霞ヶ浦さんの目線からしたら、高校と小説の両立をしないことが逃げだと思い込んでしまっているからだ。自分は重たいプレッシャーを抱えながら逃げずに声優と、ボイスカウンセラーの両立を目指している。

 そんな霞ヶ浦さんからしたら、両立を選ばないという選択が自分にとって逃げだと自分自身で思ってしまうからだ。

 それは自分だけに言えることじゃない。誰にでも言えることだと、自然と、そういう思考回路に陥ってしまうのだ。

 だとしたら霞ヶ浦さんの問題の核は、『思い込み』だ。

 自分と他人を重ね合わせ過ぎているんだ。それも仕方のないことだろう。同じ、『普通』じゃない夢を追うという点で共感できるからだ。共感できるからこそ、自分と同じだと思ってしまうのだ。

 僕もさっき、同じ『普通』じゃない夢を持っている同士、わかり合えると言ってしまったが、それが問題なんだ。

 くそっ、余計なことを言ってしまった。

 下手なことを言ってしまった手前、やはり問題の核を教えてあげるべきだろう。

 ……いや、本当にそれでいいのだろうか。
 それもまた、余計なことではないだろうか。

 今回はクライアントの問題だけじゃない。霞ヶ浦さんの問題でもある。
 その問題に自分で向き合わず、僕が勝手に言ってしまっていいのだろうか。

 違う、気がする。飽くまで自分でその問題に辿り着かなければならないのではないのだろうか。

 きっと、そうだ。

「ごめん。僕の考えは言えないよ」
「……どうして」

 霞ヶ浦さんは上目遣いで僕に言う。罪悪感に苛まれる。でも、ダメなんだ。

「これは霞ヶ浦さんの問題だ。それに僕が口出しをしていいのかな」
「私はただ、アドバイスを聞こうと思って……」

 霞ヶ浦さんは俯いてしまう。僕は歯噛みする。

「僕にアドバイスなんて、そんな大層なことはできないよ。ただ、アドバイスじゃないけど、やっぱりこれは霞ヶ浦さんが向き合うべき問題だと思う」
「そう、なのかな」
「ごめん。抽象的なことしか言えなくて」
「ううん、でもわかった。きっとそれが、アドバイスなんだよね」

 霞ヶ浦さんは顔を上げ、微笑む。

「ありがとう」
「お礼を言われることは言ってないよ」
「そうかもね」
「いや、本当にごめん」
「な~に、冗談だってば! ほんとにありがたいと思ってるよ。うん、少し自信出てきた」

 霞ヶ浦さんはよし、とガッツポーズをとる。
 果たして霞ヶ浦さんはクライアントと、自分の問題の核に辿り着くことができるのだろうか。

 これは練習じゃない。本番だ。本番なら尚更、解決に向けて協力すべきではないだろうか。

 いや、霞ヶ浦さんならきっとひとりでできる。乗り越えられる。僕はそう信じている。

 そして、この問題は霞ヶ浦さん自身を見つめ直すきっかけになる。

「ああ、そうだ」
「なに?」

 僕はひとつ思い出す。もうひとつの方も疎かにしてほしくない。

「うらりんさんの配信、待ってるから」
「……そうだね。わかった」

 霞ヶ浦さんは苦笑する。

 スマホの時計を見やる。もうすぐ3限が始まる。本館6階にも人の足音が聞こえ始めた。

「それじゃあ、また」
「うん。ありがとね」

 そうして、僕と霞ヶ浦さんはそれぞれ講義のある教室へと向かった。
 


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