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「恋するキューピッド」 第19話:穴

 テニスコートから出て、近くのベンチに座り、ペットボトルの水を勢いよく飲む。そして、大きく息をつき、荒い呼吸をする。

「はぁはぁはぁ、これで……わかったか」

 僕は隣に座る霞さんに邪悪な笑みを向ける。
 勝った。1ゲーム4点先取という短い試合だが、なんとか勝てた。

「よくわかりました。天使先輩は馬鹿だと」
「なんでだよ!」
「普通、挑発に乗りますか。せっかく好きな人と来てるのに」
「……すぐに戻るよ」

 僕は腕で額の汗を拭い、立ち上がろうする。しかし、服の端を霞さんに掴まれる。

「待ってください」
「なに?」
「天使先輩はどうしてそこまで恋愛に固執するんですか」
「ああ……」

 夜桜会長にもそんなこと聞かれたっけな。
 僕はベンチに深く腰掛け、両手をベンチの後ろにやる。

 疲れたせいもあるか、相手が気安く話せる霞さんだからか、本音が頭によぎる。

「好きな人と付き合いたいという気持ちはわかります。でも、天使先輩の場合は一途に思うよりも誰かと付き合うことに異常なまでに執着しているように見えます」
「……そうかもね。ていうか霞さんも好きな人と付き合いたいっていう感情あるんだ」
「当たり前です。私にだって好きな人はいます」
「へ、へぇ……」

 まじかよ。予想外が過ぎるんだけど。

「それはともかく。どうしてそこまで付き合うことに執着するのですか」

 霞さんは真剣に僕に問うてくる。誤魔化せないよな……。

「……たぶん、穴を埋めたいんだと思う」
「穴、ですか」

「うん。失った穴を埋めて、なんとか自分を保ちたいんだと思う」

「昔、何かあったんですか」
「……まあ、色々とね。でも、時々思うよ。僕は何してるんだろうって」
「天使先輩でも迷いが生じることがあるんですか」

「あるよ。迷うよ。僕は本当にその人のことが好きなのか迷うことがある。ただ自分の穴を埋めるために好きになったつもりになっているんじゃないかってね。

 僕は色々と性格に問題がある。でもそれを否定するつもりはない。でも……穴を埋めるために好きな人を利用しようとしているんじゃないかって思うと、僕はすごく自分が醜く、どうしようもない人間だと思ってしまう。

 そんな自分がいるなら、僕はそのたったひとりの自分だけは肯定できない。そんな自分だけは、嫌いだ」

「…………」

 僕の本音を聞き、霞さんはそれを黙って聞いている。はは、どうしようもない僕を見て、失望させちゃったかな。

「……僕は結局、過去に囚われている醜い人間だ。前に進むとか言って結局、過去から逃げてるだけのかっこ悪い人間なんだ」

 僕はベンチから手を離し、俯く。本当、僕はどうしようもない人間だ……。

「天使先輩。こっちに顔を向けてください」
「え、なに?」

 僕は薄笑いを浮かべながら霞さんに顔を向ける。


 パチンッ!


「えっ、なっ」

 霞さんにビンタされた。そこまで痛くないが、急なことで何があったか理解できない。

「許せません」
「な、なにが?」

 僕が不安げに問うと、霞さんはいつもの無表情とは違い、少し怒っているかのように見えた。

「天使先輩の数々のセクハラは許せます。ですが、私の尊敬する天使先輩を侮辱することは許せません。たとえそれが、天使先輩自身が言ったことでも」
「……霞さん」

「天使先輩の過去に何があったかは知りません。ですが、天使先輩は決して好きになった人を利用しているようには見えません。ちゃんと、相手のことを思って、好きになって、前に進んでいる方です。天使先輩は純粋で、真っ直ぐな方です。
 それは、前からずっと近くで見てきた私だからわかります。だから、天使先輩は自分のことを嫌いだなんて言わないでください。それは、天使先輩を尊敬している私を否定していることと同じことです」
「ご、ごめん」
「今は好きな方がいるんですよね」
「うん」

「その方と一緒にいる時にいちいち、昔のことを思い出すのですか。目の前にいる好きな人のことを見ないで過去を見つめているんですか」

「……いや、そんなことはない」

 そうだ。好きな人と一緒にいる時はその人のことでいっぱいだ。決して過去を振り返ったりはしていない。

「それじゃあやっぱり、天使先輩は何も悪いことはしていません」
「……うん」
「ちゃんとわかりましたか」

 霞さんは手を上げ、いつでもビンタできる体勢でいる。僕は両手を上げて降参する。

「わ、わかったよ」
「わかったならいいです。もしまた、天使先輩を否定するようなことを言ったら――」
「い、言ったら?」

 霞さんは手を降ろし、今まで見たことのない優しい笑顔を見せた。

「私が先輩の穴を埋めちゃいますよ」
「え?」

 普段まったく見せない笑顔に引き寄せられ、霞さんが言っていたことを上手く理解することができなかった。

「なんでもありません。そろそろ戻った方がいいんじゃないですか。このままでは最悪なデートですよ」

 すでに霞さんはいつも通りの無表情に戻ってしまった。

「……あ、ああ、うん。そ、そうだね」

 僕は素早くベンチから立ち上がる。

「真っ直ぐ突き進んでください」
「うん、ありがとう。行ってくる」

 霞さんは僕に小さく手を振る。
 僕は笑顔を返し、走り出した。

   ×    ×

 館内の卓球広場に急いで戻り、息を切らす。

「はぁはぁはぁ、あれ? 涼風さん?」

 予約していた卓球台にもその近くにあるベンチにも涼風さんはいない。トイレにでも行ったのかな。でも、よく見たらベンチに涼風さんの荷物がない。

 あるのは項垂れた鈴木くんだけだ。

「鈴木くん。涼風さん知らない?」
「……あぁ、天使くん。ごめん」
「何を謝ってるの? それよりさ、涼風さんだよ。どこに行っちゃったんだろう」
「…………涼風さんなら帰ったよ」
「え!? なんで!?」

 まさか僕が涼風さんを放っておいたから愛想をつかされて帰っちゃったのか!?

 うわあ……やってしまった。どうせ勝てたんだから一緒にテニスコートに来てもらえばよかった。

「……体調が、悪いんだって」
「ああ、そうだったんだ。無理して来させちゃってたのかな」

 スマホのメッセージページを見ても特にメッセージが来ている訳ではない。けっこう具合が悪いのだろう。無事に帰れているといいけど。

「はぁ、でもなー、結局1回も卓球できなかった。僕今日、何しに来たんだろう……」
「……本当にごめん」
「いやだから何を謝ってるの? 僕に話しかけたこと? たしかにあれは余計だったけど、鈴木くんのおかげで涼風さんに見直されたからいいよ。さて! 今日はダメだったけど次だ! また次に頑張ろう!」

 おー、と僕は笑顔で手を上げる。

「……ほんと、天使くんはすごいよ」
「今さらどうしたの? 僕はすごいよ?」
「何度失敗しても、諦めずに次に行けるその勇気。とてもじゃないけど、おれにはない」
「いや、さっき言ってたじゃん。何度失敗してもハッピーエンドに辿り着くって」
「そうだけど……」

「諦めないで。僕たちならきっとハッピーエンドに辿り着ける」

 僕は笑顔で言う。なんだかさっきと雰囲気が違う気がするけど、言ってることはさっきと変わっていない。相変わらず自信がないみたいだ。

「……ハッピーエンド、か。おれはいいや」
「え、なんで?」

 鈴木くんは自嘲するように薄く笑い、壁にもたれかかる。

「リアルの恋愛なんて、クソだ」


 ――――――――。


「は?」
「リアルは本当にクソだ。何も良いことなんてない。おれじゃあ、何も掴めない」

「あっそう」

「恋愛なんて馬鹿げてた。おれなんかがするべきじゃなか――」

「ああ、もういいよ。喋らないで。不愉快だ」

「え」

 僕は帰り支度をする。もうここに用はない。

「僕は本当に人を見る目がないな。キミに期待した僕が馬鹿だった。もう興味ない。じゃあね」
「あっ、ちょ!」

 僕はベンチから立ち上がり、卓球広場から立ち去った。

 恋愛がクソ、か。あーあ。つまんない。残念。いや、残念でもないや。もうどうでもいいや。

 本当に、時間の無駄だった。

〈キューピィと空のQ&A〉
 Q、空、あなたはどうして人のプロフィールなんて作っているの?
 A、データを客観的に見て分析するためだよ。
 Q、分析? あなた、振られた相手のプロフィールも書いているみたいだけど、振られた相手のデータまで分析しているの? なに? 未練があるのかしら?
 A、ち、違う。彼女らのプロフィールは単なる分析資料のひとつに過ぎない。女子のデータをひとつでも多く取り、傾向を掴み、次に活かすためだ。他意はないよ。
 Q、他意はない、ね。プロフィールを見せてもらったけれど随分、詳細に書いてあるじゃない。誕生日、血液型、誕生花やその花言葉、追記の中には未練があるような内容もあるけれど、これはどういうことかしら?
 A、なに勝手に見てんだよ! 違う! 未練なんてない! それらのデータも分析には必要な項目なんだよ! は、花言葉は単に僕が好きなだけだ。
 Q、はっきり言うけれど、気持ち悪いわよ。こんな詳細にプロフィールを書かれている女の子たちが可哀そうだわ。
 A、ねえ。これお前が僕に質問するコーナーだよね? なんで僕が一方的に罵倒されなくちゃならいの? ああそうか! お前のプロフィールを書いてないから嫉妬してるのか! 悪いね! お前のことなんて一切、興味ないからね!
 Q、…………。
 A、痛い! 無言で矢を刺すな! ていうかちゃんと質問しろ!
 Q、女の子のデータを集めるというあなたの気持ち悪い趣味はわかったわ。自分の趣味項目に付けたしておきなさい。ところで、どうして女の子だけではなく久我大地のプロフィールまで記載されているのかしら?
 A、……趣味じゃない。ああ、大地のこと? あいつはまあ、特別だよ。
 Q、特別な関係、ということでいいかしら?
 A、そうなんだけどさ。変な解釈してない? ただ親友ってだけだから。それ意外の気持ちはないから。
 Q、キューピッドとして応援するわ。
 A、へえ、キューピッドって同性との恋愛も応援するんだね。じゃないよ! 違う! 僕と大地の恋愛を応援するな! 普通に僕の恋を応援しろ!
 Q、どう見てきても久我大地があなたのメインヒロインじゃない。あなた、久我大地が異性だったら惚れているんじゃない?
 A、え、それはまあ、そう、かもしれないけど……。
 Q、認めたわね。つまり、そういうことよ。
 A、い、いや、違うはずだ……! 違うよね? 違うよ! 迷うな僕! お前はどんだけ僕と大地をくっつけたいんだよ。ああ、そうか! お前ひとりぼっちだから寂しいんだろ! 僕に構ってもらって嬉しいんだろ! あ~よちよち、可愛がってあげまちゅからね~。
 Q、…………。
 A、痛い! だから無言で矢を刺すな! 図星突かれたからって――
 Q、何か言ったかしら?
 A、これからもキューピッド代行として精進します。
 Q、よろしい。
 A、この時間なんだったの……?


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