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「恋するキューピッド」 第10話:土下座

「見直しました」
「え? なにが?」

 今日も僕は昼食を涼風さんと共にし、本の内容について話していたら突然、涼風さんはそう切り出した。

「天使さんって、誰かのために怒ったりすることあるんですね」

 誰かのために怒る? なんだそれ? 

「ああ、昨日のこと? あれは別にそんなんじゃないよ。え、ていうか見直したってどういうこと? 僕のことなんだと思ってたの?」

「自己中心的で異性にしか興味のない人だと思っていました」

「えぇ、急に辛辣じゃん。びっくりしたんだけど」
「すみません」

 涼風さんはふふっと笑う。

 まあ、こんなにストレートにこんなことを言ってくるってことはかなり仲が進展したということだろう。これも愛の証。うんうん、良い感じだ。

「まあたしかに僕は涼風さんが言うような性格をしているけど、でもそれを僕は自分の欠点だと思っていない。そんな性格だから、こうして僕は今日も涼風さんと一緒にいる」

「……え、それって」

「僕は涼風さんと一緒にいて楽しいな」

 僕は本音を笑顔で言う。

「……私も、楽しい、と思います。私にこんな風に構ってくれる方はいないので」
「僕が構ってもらってる方だよ。僕が好きで一緒にいるんだから」

「す、好き!?」

「ああ、ごめんごめん。他意はないんだ」

 さすがに告白するのは早い気がする。それに涼風さんの誕生日は4月16日。
 どうせならその日に告白したい。

 誕生花は色々あるけど、見た目の美しさや花言葉の『純潔』ということからスノーフレークという花が良いだろう。

 受け取ったらどんな反応してくれるかな。

 つい、想像の前に嫌なことを思い出した。

 受け取ってくれるよね? す、捨てられないよな。涼風さんはそんなことする女子じゃないよな……?

「どうかしましたか?」

 涼風さんは首をかしげ、僕の様子を窺ってくる。

「ああ、いや! そういえばさ、涼風さんの誕生日っていつなの?」

 僕はある情報網からすでに涼風さんの誕生日を知っているけど、僕が知っていることを涼風さんは知らない。

 ここで聞いておいておかなければ、誕生日プレゼントを自然に渡すことができない。

「えっと、4月16日です」
「あ! じゃあもうすぐだね! そっかー、じゃあせっかくだしプレゼント渡したいな」

「え、いいんですか?」

「僕が渡したいだけ。迷惑かな?」
「……い、いえ、そんなことないんですけど、悪いなと思って」
「気にしないでよ。でもあまり期待しないでね」
「……はい、ありがとうございます」

 涼風さんは申し訳なさそうに、しかし少し口角が少し上がったような気がする。

 よかった、迷惑そうじゃなくて。

 僕が喜びで笑顔を浮かべているとスマホに通知音が発せられる。

 夜桜会長からだ。

『放課後、生徒会室に来るように』

 えぇ……。今日も仕事かぁ。

「女性からですか?」

 涼風さんは悪戯な笑みを浮かべる。

「え、いや、えと……あはは、なんか業務連絡だよ。気にしないで」

 僕は夜桜会長に了承のメッセージを送る。するとすぐに返信が来た。

『久我は連れてくるな』

 どんだけ大地のことが嫌いなんだよ。仲良くしてほしいんだけどなあ。いや、なんだか僕が原因っぽいし、僕が何としなきゃだよな。

「ごめんね。えっと、何の話だ――」

 僕が言い終える前に再びメッセージが来る。なんだよ! 大地は呼ばないよ!

 僕は眉間に皺を寄せてスマホの画面を見る。

 夜桜会長からのメッセージかと思ったら今度は僕の中学の後輩にして、部活の後輩、霞さんからだった。


『天使先輩、大変です』


『何が大変なの?』

『緊急事態です。今すぐ1年D組の教室に来てください』

 ……緊急事態? 何があったんだ?

「また女性からですか?」

 涼風さんは無表情で聞いてくる。

「……ああ、えと、なんか大変らしくて。ごめんね。ちょっと行ってくる」
「あ、はい」
「本当ごめん!」

 僕は両手を合わせて謝る。

「いえ、べつに」

 涼風さんは何てことなくお弁当に箸をつける。くそっ! 好感度下がったか!?

 僕はお弁当をしまい、席に戻る。

 緊急事態ってなにがあったんだ? とにかく早く行かなきゃ。

 僕がお弁当を鞄に入れ、1年D組に向かおうとしたところ目の前に朝比奈さんが現れた。

「天使くん」
「……なに? 今急いでるんだけど。なんというか、トラブル的なあれで」
「先生から頼まれ事があったから伝言。昼休み中に社会資料室から年表を取ってきてだって」
「……代わりにやってくれない?」
「えー? あんな大きいの私ひとりに任せる気?」

 朝比奈さんは口を尖らせる。

「わかったよ。用事を終わらせたらすぐに取りに行く。それじゃあね」
「うん!」

 朝比奈さんは笑顔で頷く。くっ、こんな笑顔で言われたら断れない。
 まったく、せっかくの涼風さんとのお昼の時間が消えてしまった。

 でもとりあえず、今は霞さんだ。早く行かないと。

 僕は早足で教室を出て、1年生の教室がある4階へと向かう。

 廊下を早足で歩き、階段に上る。ぱたぱたと上履きが鳴る音が聞こえる。しかしそれはひとり分の音ではなく、ふたり分の足音。

「……朝比奈さん? なんで付いてくるの?」

 階段の踊り場で止まり、僕は後ろから付いてくる朝比奈さんに笑顔を引きつらせたまま問う。

「え? だって一緒に年表取りに行くでしょ?」
「いや、僕ひとりで取りに行くって」
「それは悪いよ。それに、何か問題があったんでしょ? 私、何か役に立てるかと思って」

 まあたしかに、社会資料室にある年表は大きく重たい。ひとりで運ぶのは大変だ。朝比奈さんは本当に善意を持って言ってくれているのだろう。

 その気持ちを無下にすることはできない。

 それに、霞さんの言う緊急事態も何かわからない。もしかしたら人手が必要かもしれない。

 トラブル対応に慣れている朝比奈さんがいてくれた方が心強いのは確かだ。

「……うん、ありがとう。じゃあ付いてきて」
「わかった!」

 朝比奈さんは嬉しそうに笑って返事をする。今は……機嫌悪いわけじゃないんだよな?

 僕と朝比奈さんは1年D組へと足を運び、教室を見渡す。

 何もトラブルが起きてなさそうな平和な昼休みの教室といった風景だ。

「何かトラブルがあったようには見えないけど」

 僕の横から教室を覗き、朝比奈さんが不思議そうに言う。

「そう、だね。あの、霞さんって人いない?」

 僕は扉の近くにいる男子生徒に問う。

「ああ、霞さんっすか? えっとー、あ、後ろら辺の席にいますよ」

 男子生徒は指さし、中央後ろの席を指さす。そこには霞さんがひとりで席に座っていた。

 僕と朝比奈さんは教室に入り、霞さんの席にまで行く。

「霞さん、来たよ。緊急事態ってなに?」
「天使先輩。こんにちは。それと、この方は誰ですか」

 霞さんは呑気に頭を下げ挨拶し、朝比奈さんの方を見やる。

「天使くんのクラスメイト、朝比奈陽花です。何か大変なことがあるって聞いたので手伝いに来ました」

 朝比奈さんは太陽のように眩しい笑顔で対応する。

「そうですか。もしかして天使先輩の彼女ですか」
「そうです!」
「違います。ただのクラスメイトです」

 朝比奈さんが満面の笑みで言い、僕がすぐさま否定する。

「当たり前でしたね。天使先輩に彼女がいるはずないですもんね」
「その通り!」
「帰っていいかな?」

 霞さんと朝比奈さんによって僕の心は傷つき、今すぐこの場を去ろうかと思った。

「彼女じゃないとしたら、天使先輩が告白して振った相手ですか」
「正解!」
「まじで帰ろう……」

 僕の心は完全に折れ、振り返り席を後にする。

「待ってください」
「なっ!」

 霞さんの細く冷たい手で僕の手を掴んできた。

「緊急事態というのは本当なんです。助けてください」
「……なに? どうしたの?」

 僕は霞さんに向き直り、呆れ、ため息をつく。

「天使先輩のなんだかんだ言って思いやりがあるところ良いと思います。もしかしてまだ私のこと好きなんですか」
「ちょっ!」
「え!? もしかして霞さんも私と同じ天使くんを振った仲間なの!?」
「はい。そうです。仲間です」
「朝比奈さん? 僕が振られたことを前提で話すのは悪意があるんじゃない? いや実際そうなんだけどさ。ていうか霞さんは何を言ってるの? 違うから。嫌な共通点で仲良くならないで?」

「シンパシーを感じました。朝比奈先輩は天使先輩に好かれそうです」

「嫌だな~、気持ち悪いよ~」

 朝比奈さんは頬に手を当て体をくねらせる。

「あの、本人目の前にいるから。今のは恥ずかしがるところじゃないの? なんで気持ち悪がっちゃうの?」

「私もシンパシー感じるなぁ。霞さんは中学校の後輩なんでしょ?」

 朝比奈さんは僕の言葉を無視し、霞さんに問いかける。

「はい。部活の後輩で教育してもらっていました」
「教育? あ~、どうせ天使くん霞さんのこといやらしい目で見てたんでしょ?」
「見てない見てない。真面目に教育係してたよ」

「体触られました」

「最低だね」

 朝比奈さんは急に無表情になり、光彩を失くした目で僕を見る。

「その顔怖いからやめて? 触ったって言ってもグリップの持ち方を教えてあげただけだから」


「触る必要ある?」「触る必要ありましたか?」


 ふたりは無表情で同時に言う。

「あ、あるんだよ! グリップの持ち方はミリ単位で変わってくるんだから!」

「グリップの持ち方だけじゃありません。素振りの時に腰を触られました」

「天使くん?」

 朝比奈さんは目を細める。

「ふっ、もう言い逃れできないみたいだね。さあ! 好きに罵倒するといいさ!」

 僕は両手を広げ、目を瞑り天を仰ぐ。

「霞さん、それで困ってることってなに?」
「はい。次の授業でやる英語の和訳がわからなくて」
「無視はやめて! 一番傷つくから!」

「どこがわからないの?」
「この文です」

 僕が必死に言うも、ふたりは僕を無視して話を続ける。

「ごめんって! 僕が悪かったよ! 許してください!」
「はぁ、天使くん。本当に反省してる?」
「してる! めっちゃしてる! 絶対にもうしません! いやらしい目で見ません!」
「そっか。霞さんどうする?」

「誠意を見せてほしいです」

「せ、誠意?」

 僕は冷や汗をかく。

「そうだね。誠意は見せてもらわないと。ほら、天使くん」
「え?」

 朝比奈さんは笑顔で床を指さす。

「ほら」
「え、何もありませんが、どうかしたんですか?」
「床があるでしょ? 土下座して?」
「……やりすぎじゃないですか? 極刑じゃん。さすがに無理だよ」

 僕は引きつった笑顔で対応する。

「えっとね、ここの文は副詞的用法の不定詞で――」
「なるほど」
「わかった! します! 見ててください!」

「はい、じゃあどうぞ」
「後輩に土下座するなんて天使先輩プライドがないんですか」

「くっ、ぐぐぐっ……!」

 僕は錆びたロボットのように体を強張らせながら床に膝をつき、両手をつく。

「教育係という立場を利用して、いやらしい目で見てセクハラしてすみませんでしたあぁぁ!」

 大声とともに渾身の土下座をかましてやった。

「だってさ。霞さん、今回は許してあげて」
「はい。及第点です」

 朝比奈さんめ……、こんな屈辱は生まれて初めてだ!
 僕はゆっくりと頭を上げる。そしてその途中で視線を前上にやる。

「あ、ここならふたりのパンツが見え――ぐぶぁ!」

 朝比奈さんに思い切り踏みつけられた。

「反省してないね」
「救済の余地なしですね」

 そこから朝比奈さんが霞さんに勉強を教え終わるまで僕はずっと朝比奈さんに踏み続けられていた。

 教室内では僕を面白がって見る生徒がいて、中には僕を「土下座屋」と言い、笑っている生徒がいた。

 ああ、こうやってあだ名って生まれるんだ。

 まあいい。こんな目に遭ってもふたりのパンツを見られただけでも儲けものだ。しかも、こうして美少女に踏みつけられるという経験はそうそうできない。つまり――

 僕の勝ちだ。

   ×   ×

「おでこが痛い」
「天使くんが悪いんでしょ~」

 霞さんの指導が終わり、僕と朝比奈さんは社会資料室がある別館2階へと向かっていた。

 さきほど教室で思い切り踏みつけられた拍子に強く額を打ち付け、僕は未だに痛い額をさすっていた。

 ていうか霞さんの緊急事態って勉強かよ。

 全然、緊急事態じゃないじゃないか。心配して損した。

「あそこまでする必要ないじゃないか。ただパンツを見ただけ――」

「廊下で土下座したら埃付きそうだよね」

「僕はなんて愚かな人間なんだろう」
「今回の件は涼風さんに報告するからね」
「ちょ、待ってよ! べつに悪気があってしたわけじゃないんだからさ!」
「はぁ、好きな人がいるんだったら、もっとちゃんとした行いをしなくちゃダメでしょ? それで、涼風さんとは進展はあったの?」

 朝比奈さんは呆れながら僕に聞いてきた。

「進展も何もいつでも迎撃可能だよ」
「じゃあもう告白するの?」
「いや、涼風さんの誕生日が近いからその時に告白する」
「なんで誕生日知ってるの? 気持ち悪いよ?」

 朝比奈さんが目を細める。

「……ちゃんと聞いて教えてもらったんだよ。あー、いつ花買おうかな」
「前から気になってたんだけど、どうして告白する度に花贈ってるの?」
「あーそれは……」

 あまりその理由は話したくない。

「七海彩虹さんにも贈ってたの?」
「なっ! なんで彩虹のこと知ってるの!?」

 朝比奈さんは僕から視線を外し、前を向く。

「久我くんから教えてもらった」
「……大地のやつ、余計なこと言いやがって。まあいいや。そうだよ。でも僕からは贈ってない。彩虹が僕に贈ってくれたんだ」
「それで嬉しかったから、自分もそうしようって?」
「そういうこと。僕がしてもらって嬉しかったから、僕もそうしたら喜んでくれるかなと思って……」

 そう思っているんだけど、なかなか受け取ってくれる人はいない。ちょっとキザで重いのかもしれない。

 でも、これは僕の信念なんだ。

 僕が純粋に好きな相手に、好きだということを伝えるために贈っているんだ。これからもその信念を曲げるつもりはない。

「私はもらったら嬉しいけどなー」
「え、そ、そう?」
「でも私の時は渡してくれなかった」
「あー……あの時は勢いで言っちゃったからなー」

 信念とか言いつつ、普通に信念曲げているじゃないか。でも仕方がなかったんだ。

 それぐらい強い気持ちがあって、告白せずにはいられなかったんだ。

「もし花を渡してくれたら結果が変わってたかもね」
「え、うそ!?」
「うそ」

 朝比奈さんは歯を見せ笑う。

「……なんなんだよ」

 僕がしかめっ面でそう呟くとその後、しばらく沈黙が続いた。しかし2階にある渡り廊下を渡っている最中、突然、朝比奈さんは立ち止まり、窓から見える太陽を眺めた。

「……上手くいかないといいな」
「え? なにが?」
「ううん! なんでもない! 今の無し。聞かなかったことにして」
「ああ、うん」

 朝比奈さんは笑っていた気がする。でも、太陽が眩しくてよく見えなかった。


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