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「虹の音色」 第21話:リスク

 リビングに行くと、テーブルの上には料理がある。そして、椅子に座った酒臭い父がいる。

「龍神! 飯だぞ!」
「……うん」

 だからわかってるよ。そのためにわざわざリビングに来たんだよ。
 僕はいただきますと言い、箸を伸ばし、おかずを取ろうとした。そこで止まった。腕を戻し、箸を茶碗に置く。

「父さん」
「お! どうした!?」
「……父さんは自分の会社を僕に継いでほしいとは思わないの?」

 父は建設業を営んでいる。社長としてどう思っているのだろうか。

「思ってるぞ?」
「え」

 背筋が凍った。もしかして父も、石岡くんのお母さんのようにレールに僕を乗せようとしているのか。

「あたりめえだろ。そんな風に思わねえ父親はいねえよ」
「で、でも僕は……」

 父を直視することができない。変なことを言ったら罵声を浴びせられそうだから。

「カウンセラーになりてえんだろ? 母さんから聞いてる」

 父はおかずと白米を食べながら言う。

「う、うん」
「べつにそれでいいじゃねえか」
「え、いいの」
「そのためにいっぱい勉強してきたんだろ。だったらなりゃいいじゃねえか」
「でも父さんは僕に会社を継いでほしいって」
「それはオレん意思だ。お前はお前の意思を貫かなきゃ漢じゃねえだろ」
「僕の、意思」
「中途半端な気持ちでやってんじゃねえだろ。だったら貫け。どのみち中途半端な野郎はオレの会社にもいらん」

 父はキッパリと言う。

 どっちだよ。継いでほしいのか、継がなくてもいいのか。

 でも父さんの言う通りだ。僕は意思を持ってカウンセラーを目指している。

「僕は、カウンセラーになりたい」

 僕もキッパリと言う。

「知ってるっつの。そんぐらい強い意思を持ってっから継いでほしいんだけどな」
「……どっちだよ」
「どっちもこっちもねえ。オレん息子なら自分の意思を貫け!」

 うわあ、大きな声出すなよ。僕はつい怯んでしまう。

 でも、向き合わなきゃダメだ。向き合わなきゃ僕は石岡くんに顔向けできない。

「……友だちにいるんだ。親の望んだレールに乗せられようとしている子が」
「なんだその親は! オレん話させろ! 一発言ってやるよ!」
「僕の友だちだ。友だち自身で解決しなきゃ意味がないよ」
「解決もなんもねえだろ! 自分の意思貫かなくてなにが人生だ!」

 父さんは憤り、箸を机にバンッと置く。ああ、本当家出たい。

「そんな簡単じゃないんだよ。もし親に逆らったりしたら今後、その子が進みたい道を応援、援助してくれるかわからない」
「応援? 援助? そんなんいらねえだろ! 龍神! てめえは他人の手借りなきゃ自分の意思貫けねえのか!」

 父の援助がなければ大学院に行くのは難しい。でも、だからって僕はカウンセラーになるのを諦めるか。いや、諦めない。

 たとえ違う仕事に就職することになってもそこでお金を稼いで、大学院に行く。そして、立派なカウンセラーになる。

「貫けるよ。自分で自分の意思を貫くよ。何があっても僕はカウンセラーになる」
「言うようになったじゃねえか! この!」

 父はテーブルから腕を伸ばし、僕の頭をガシガシと撫でる。

「……やめてよ」
「おう、そうか」

 父は戻り、大口でご飯を食べる。

「僕はいいよ。でも、その子にとって親に逆らうのはリスクなんだよ」

 もし逆らったらどうなるだろうか。いや、石岡くんは言っていた。話を聞いてくれない。たぶん、自分の意思をもうすでに言っているんだ。その上で否定されているんだ。

 もしそれでも逆らったらどうなるか。想像に難くない。さらなる反感を買う。それは石岡くんの精神的にあまりにも負荷がかかる。というか、教師になるための道を塞がれてしまうかもしれない。

「リスクは負ってなんぼだろ」

 父はご飯を口にしながら言う。

「え、なんで」
「リスクを取んねえ人生は、人生を後悔するでけえリスクになんだろ。違うか?」

 リスクを取らない人生は、人生を後悔するリスクになる。

 たしかに。もし石岡くんがお母さんに逆らわずレールに乗っていたら、石岡くんは自分の人生に後悔する。そのリスクがある。

 どの道を選んでもリスクなんだ。お母さんに従わないことも、従うことも。

 彼にはどの道でも、リスクを背負わなくちゃならないんだ。

 ……厳しい。でも、それが人生なんだろう。

 僕や石岡くんだけじゃない。色んな人に言えることだ。現状を維持するので精一杯で、リスクを取れずに夢に進めない。もしリスクを負わなければ、現状を打開することはできない。

 誰もがそうなんだ。誰もがリスクを負って生きているんだ。でも、現状を打開するリスクと将来後悔するかもしれないという目に見えないリスクを背負うのでは、話が違う。

 目の前にあるリスクを取ろうとする人は少ないだろう。だって、怖いから。

「父さんは、目の前にある大きなリスクでも、後悔しないためだったら背負うの?」
「ったりめえだろ! 死ぬ直前まで後悔なんて絶対にしねえ! でもな、お前に会社継いでもらえないことは、後悔っすかもな」
「…………」

 父さんは苦笑する。珍しい表情だ。

「でもな! そんでもお前は自分の意思を貫け! それが俺の意思を継いでることになんだよ! そういう強いもんが大切なんだよ。形じゃねえ! 意思を継いでゆく! それが親子だろ!」

 意思を継いでゆく。その言葉を聞いて、僕は結城凪砂さんのことを思い出した。

 そうか。僕は結城凪砂さんの形を継がなくていいんだ。結城凪砂さんの形じゃない。僕の形で、そして、結城凪砂さんの意思を継いでゆけばいいのか。

 少し、肩の力が抜けたような気がした。

「僕は、父さんほどの意思を継げるかな」
「もう継いでると、オレぁ思ってる」
「そうかな」
「カウンセラーがどういう仕事かはあんまわかんねえ。だが、くっそ大変なのはわかる! それでもお前はそれに真っ直ぐビビんねえで進んでる! やってくれんな! オレがお前んぐらいときはそこまでの意思は持ってなかったぞ!」

 そう言って父は大声で笑う。何が面白いのだろうか。

 でもたぶん、褒めてくれているのはなんとなくわかる。そして、父さんよりも僕の方が早く強い意思を持っているということがどこか勝ったようで嬉しかった。

 僕も自然と笑みがこぼれた。

「僕の意思は、父さんの意思に負けないよ」

 今までじゃ絶対に言えない言葉だ。でも、ハッキリ言える。僕の意思は僕だけの意思じゃないからだ。

「言ってくれんなあ! だがオレもてめえに負けてるつもりはねえ! オレはオレんもとで働いてくれるやつ、そんでその家族! そいつらを支えてる! そいつらも家族なんだ! オレんだけじゃねえ。そいつらの意思も乗っかってっかんな! それでもお前がハッキリ言うようになったんは嬉しいぞ! たぶんだけどよ、お前の意思も、お前だけの意思じゃなくなったんだろ?」
「よく、わかったね」
「親父だったらったりめえだ!」
「そういうもんなんだね」

 今まで笑っていた父さんは急に真剣な表情をする。

「だったら余計貫けよ。ぜってえ意思、曲げんじゃねえぞ」

 僕も真剣に頷く。

「うん。曲げないよ」
「うっし! じゃあいっぱい飯食え!」
「……なんでそうなるの」

 父さんは再び大声で笑いながらご飯を食べ始める。

 僕はいつもより少しゆっくりな、自分のペースでご飯を食べることができた。
 


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