「恋するキューピッド」 エピローグ
家に帰ってきて、僕は自室のベッドに腰を掛けた。
涙は枯れた。ハンバーガー屋でも僕は泣き続けたが、大地と一緒に美味しいハンバーガーを食べながらバカ騒ぎしていたら、いつの間にか涙は止まっていた。大地との別れ際、僕は笑顔で手を振ることができた。
でも、まだ前には進める気がしない。
僕は鞄から花を取り出し、見つめる。
「……またひとつ、花が増えちゃったな」
花瓶を用意し、部屋に飾る。僕はそれをベッドから見つめる。綺麗だな。綺麗な花を手にすることはできるのに、本当に欲しいものは手にすることはできない。
「おかえりなさい」
「……ああ、キューピィ」
僕がぼーっと花を見つめていると愛の女神様、キューピィが現れた。
「お疲れ様。よくやった、とは言わないわ」
「ああ、言わないでくれ。僕は何もしていない。何もできなかった」
目の前に好きな人がいるのに告白することすらできなかったなんて初めてだ。
「…………」
キューピィはさすがに同情しているのか、いつもの悪態はついてこない。
「今回は、さすがにちょっとダメージが大きいんだ」
「そうね」
せっかくなら話し相手になってもらおう。今日のこの僕の状態ならキューピィも慰めてくれるかもしれない。
「今までにないくらい上手くいってさ、大地や朝比奈さんのサポートがあって、仲良くなれた」
「あなたの努力よ」
なんだ。本当に慰めてくれるんだ。やめてくれよ。せっかく枯れた涙がまた流れてしまうじゃないか。
「勇気を出して話しかけて、一緒の本を読んで、一緒にご飯を食べて、微妙だったけど一緒に遊びに行けてさ。本当、このままだったら上手くいけるんじゃないかと思ってた」
最初の涼風さんは僕に対して警戒心丸出しで、距離があったけど、それが徐々に縮んでいって、冗談を言われるようになって、笑ってくれるようになった。
自意識過剰かもしれなかったけど、本当に僕に好意を抱いてくれていた気がするんだ。
「あなたは精一杯頑張ったわ」
「……本当、僕、頑張ったよな。見ててくれたんだろ? かっこ悪かったし、気持ち悪いし、最低なところもあったかもしれないけど、本当に頑張ったんだ」
「全部、見ていたわ」
僕の見た目は普通だし、勉強や運動もべつに大してできる訳じゃない。性格だって最悪だ。それでも、そんな僕でも涼風さんは受け入れてくれていた。
「ねえ、涼風さんは僕のことをどう思ってくれていたと思う?」
「一言では言えないわ。複雑な感情が織り交ざっている」
そっか。でも複雑な気持ちがあったってことは、少なくとも、僕のことを嫌っている訳じゃないんだよな。
噂通りの人間だとか、気持ち悪いとか、興味ないとか、そんないつも通りの感情を向けられていた訳じゃないんだよな。
「……だからこそ、余計に辛いよ。僕の何がダメだったんだろう。どこで、間違えちゃったんだろう」
「あなたはダメじゃない。間違っていないわ」
じゃあ、どうしてこんなことになっているんだよ。
僕はつい呆れ笑いをする。
「僕よりも、鈴木くんの方が魅力的だった。それだけだよね」
「…………」
キューピィは何も言わない。肯定も、否定もしない。
「あーあ、なんか僕、鈴木くんに余計なこと言ってきた気がする。よく覚えてないけどさ。でもね、ずっと不思議だったんだ。ライバルになりそうもない男子に目が行くなんてどうしたんだろうって。ただ同じ恋愛好きだから覚えているのかなって思ったら、でもそれが、案の定、ライバルだった。
こんなこと言ったら失礼だけど、まさか鈴木くんに取られるとは思わなかった。とてもじゃないけど、鈴木くんにあんな勇気があるとは思わなかった」
いや、もともと勇気がある人ではあったか。たしか、嫌なことをされていた時、ちゃんと自分で『やめて』と言っていた気がする。
「こんなこと、本当は言うべきじゃないとわかっているのだけれど」
「なに?」
キューピィは僕から目を逸らし、気まずそうにしていた。
「鈴木悟は一度、涼風紫雲に振られている」
「え!? そうなの!?」
僕は驚愕の事実に目を見開く。
「あなたが土曜日、涼風紫雲と一緒に遊びに行ったときよ。あなたがまんまと霞霧乃の挑発に乗ってテニスをしていた頃、鈴木悟はあなたの言葉に感化されて、動いた。勇気を出して、告白した」
「……そう、だったんだ」
あの時か。僕が卓球広場に戻った頃には涼風さんがいなくなっていた。僕に愛想をつかして帰ったわけじゃなく、ひと騒動あったから帰ったのか。
「そして、鈴木悟は涼風紫雲に振られて絶望した」
「そっか。だから元気がないように見えたのか」
僕の言葉に感化されて勇気を出して告白するってすごいな。僕何言ったんだよ。
「鈴木悟はあなたを本当に尊敬していたわ。いえ、羨んでいたわ」
「……僕のどこに羨む要素があるんだよ」
「あなたの、素直で、真っ直ぐで、諦めない心をよ」
素直で真っ直ぐで諦めない心か。まあ、それが僕の唯一、他人よりも優れているところだもんね。
でも本当は違う。
「……僕は諦める人間だ。でも、鈴木くんは諦めなかった。一度振られたにも関わらず、また告白した。僕にできなかったことだ。なるほどね。そこの差か」
「あなたは決して鈴木悟に負けたわけではないわ」
「負けてるよ。でもね、不思議と悔しさとか怒りとか、嫉妬心はないんだ。僕が余計なことをして鈴木くんの心を動かしたのは本当かもしれないけど、彼はもとから強い意思を持っていた。
いくら他人に何と言われようとも、元が強くなければ、人は動かない。彼は報わるべくして報われた人だ。頑張って、真っ直ぐ、諦めずに前に進んだ人が僕の友達であることが、誇らしい」
本当に彼はすごい人だ。一度振られたにも関わらず、また、しかも結構すぐに告白したってことだろう。僕にはできないや。
「あなたは鈴木悟に言ったわね。僕にできることはキミにもできる、と。それは逆もそう言えるんじゃないのかしら。あなたなら、鈴木悟ができたことができるんじゃないのかしら」
「……どういう意味? 一度振られた相手にもう一回アプローチできるって言いたいの?」
「ええ」
「それはできないよ。このモットーは僕の戒めなんだ。過去のトラウマってだけじゃない。彩虹が教えてくれた『別れ』の意味に繋がっているんだ。彩虹に、僕が前に進んでいるところを見ていてほしいんだ」
「……あなたは、立ち止まることを選ばないのね」
「それが節操なしって言われて、それで多分、不快な気分にさせている人がいるっていうのもわかってる。でもこれは、僕の信念なんだ。この信念があるから僕は、何度も立ち上がれるんだ」
「一度立ち止まって、そこから見える虹があっても、あなたはそれを選ばないと言うの?」
「……立ち止まって見える虹、か。そんなもの僕にあるのかな。ずっと前に向かって走ってきたから、そんなこと考えなかったな」
「あるかもしれないわよ? 一度、立ち止まってみるのもいいんじゃないかしら」
立ち止まってみて、そこで虹を探す。要は、一度振られた相手再び思いを寄せるということだ。鈴木くんがやってみせたことだ。それを、僕がする……。
「それをしたら僕は一生、小学5年生のままで止まっちゃう。それは、彩虹の願いに反することだ」
「…………あなたを、縛ってしまったのね」
キューピィは苦虫を嚙み潰したような表情をする。なんでお前がそんな顔するんだよ。
「言い様の問題だよ。縛りじゃない。信念だ。だけど、ふぅー、ちょっと今は疲れた。また前に進むべきだってわかってるんだけど、なんだかな、このまま前に走り続けていて、本当に僕なんかが虹を掴み取ることができるのかなって思ってる。はは、こんなところ、彩虹に見られたら怒られるんだろうな」
ため息と、苦笑が漏れる。
僕よりも強い思いを目の前で見せられた。僕にできなかったことを鈴木くんがやってのけた。
僕は誰よりも勇気のある人間だと思っていた。
でも、僕と同じ、いや、それ以上の勇気が他人にあることを知ってしまった。それを知ってしまったから、僕は今、自分に自信を失くしている。
僕が俯き、自嘲していると突然、頭に激痛が走った。
「あ痛っ! え!? なにこれ!? 痛い痛い痛い!」
頭には矢が刺さっており、それを僕は掴み放り投げた。
「…………」
キューピィが無言で弓を持っていた。
「何すんだよ! 結構それ痛いんだからな! まじで泣きそう!」
僕が涙目にながらキューピィに抗議しているにも関わらずキューピィは僕の抗議を無視して飛び回った。そして、ひとつの花を取って僕のもとに来た。
「はい」
「はいって。この花がどうしたの?」
僕はキューピィから花、僕の大好きなスイートピーを渡された。
「ソラ!」
「は、はい!」
キューピィはいきなり大声を出した。僕はびっくりして思わず体を跳ねらせる。
「ソラ! つまんないことはバイバイだよ! それで、明日へゴーだよ!」
「……え」
「いつまでもグズグズしてるんじゃない! ソラ、あんたはそんな弱っちいやつなんかじゃないでしょ!」
懐かしい。この荒々しい語気に、子どもっぽい話し方。
「…………彩、虹?」
「あんたはダイチと違って、運動も勉強もできる訳じゃない! でも! 誰よりも元気で、とっても笑顔が素敵な男なんだよ! だから! 笑って! 誰よりも笑うの!」
僕が泣いていた時に、彩虹が僕に言ってくれた言葉だ。
「……なんで、それを」
「泣いてもいい! 怒ってもいい! でも最後には笑って!」
「……笑、う?」
「そう! あたしもダイチもあんたが笑ってる顔が一番好きなの! それはあたしたちだけじゃない! あんたが笑ったら、みんなが笑うの! みんなで笑顔になれるの!」
「……みんなが笑顔に」
そうだった。一切、笑わなかった昔の僕は、彩虹と大地によって笑うことができた。そうしたら、みんなが楽しそうに笑ってくれた。
「あんたが笑ってるから、あんたの周りにいる子たちもみんな笑顔でいられるんだよ! なによさっきのつまんない笑い方。あんな笑い方、全然面白くない!」
「ご、ごめん」
「つまんないことが一番嫌いなのはソラ! あんたでしょ! 大丈夫だよ! つまんないことはバイバイして、笑顔で次に行けば、虹は見えるんだよ! だから、前に進みなさい!」
「……僕は、前に、進める、のかな」
「できるよ! ソラだったらできるよ! あたしはそう信じてる! だから、諦めるんじゃない! 笑顔で走り続けなさい! そんなソラが一番カッコいいんだから! それが! あたしの虹なんだから!」
「……彩虹の、虹」
「だから、いつまでもつまんない顔してるんじゃない! あたしに虹を見せなさい! あたしは、あんたをずっと見てるから!」
「僕を、見てる?」
「そうだよ! だから――」
キューピィは飛び、僕の後ろにまわる。
「レッツゴーだよ! ソラ!」
僕の背中を小さな手で押してくれる。
背中を押された瞬間、今までの小さな視界が一気に広がった。部屋全体が明るくなったような気がした。
部屋にある数々の花がひとつひとつ綺麗な光を浮かばせ、輝いているように見えた。
「……レッツゴー、レッツゴーか。ぷっ、あはははっ!」
はあ、まったく。相変わらず無茶苦茶で根拠もないエールだ。でも、そのエールで僕は何度も立ち上がってきたんだよな。僕は思い出し、つい吹き出し、笑顔になる。
「こんなところかしらね」
キューピィは飛んで、僕の前上に浮いている。
僕は笑みを浮かべながらキューピィに顔を向ける。
「いいかキューピィ。僕はこれ以上キューピッドになるつもりはない。僕は、僕の恋を成就させる。そして、最高に青春で甘い高校生活を送ってやる」
「ふん、やられるものならやってみなさい」
キューピィは不遜な笑みを浮かべる。
ったく、あんな演技しやがって。嫌でも心が動かされるよ。
でも、キューピィの言う通りだ。空っぽの僕を見せる訳にはいかない。彩虹と大地のおかげでできたこの強い思いを、満たされた強い感情を信じて、僕は前に突き進む。
大地に支えられ、彩虹に背中を押されているからこそ前に進める。
ふたりが僕に期待してくれるから、僕は前に進めるんだ。前に進むべきだ。
いや! 僕が前に進みたいんだ!
失恋? そんなもの大したことない! たかが失恋なんかで僕は止まらない!
これからも嵐の中を笑顔で全力疾走してやるよ。一度や二度、いや、たとえ一万回失恋したとしても僕は諦めない!
節操なし? サイコパス? 男女差別? そんなの全部知ったことか! 言わせておけ!
僕はイケメンで性格が良くて勉強も運動もそこそこできるすごい人間なんだよ!
こんな僕にできないことなんてひとつもない! 何でもできる!
だから自分の恋愛を成就させるぐらい余裕でできてしまう! ああ、自分の素晴らしさがむしろ怖いくらいだ!
僕はベランダの窓を開けて、大空に向かって拳を掲げる。
「見とけよキューピッド! 見とけよ全校生徒及び教職員! 見とけよ彩虹! 大地! 僕が徹底的で完璧な恋愛を見せつけてやる! 僕が最高な青春を味わい、甘い高校生活を送っているところを見せつけてやるからな! 誰よりも派手に! 誰よりも輝かしく! 誰もが羨ましがるような恋愛をしてやる!」
ここからが本番だ。明日からスタートだ!
明日も学校だ! 振られた翌日で行くのが気まずいかだって? はっ! そんな訳がない!
学校に行きたくて行きたくてしょうがない!
明日が待ち遠しくて仕方がない!
なぜなら学校という場所は本当にとても素晴らしい場所だから!
無限大の恋愛ができる場所だから!
学校は何をする場所だって? 勉強? 部活動? 課外活動?
違う! そんなものは不随物に過ぎない!
学校は恋愛をする場所だ!
つまり! 学生の本分、僕の高校生活の本分は――
「恋愛だ!」
見ておけよ。僕が必ず、虹を掴み取ってみせるからな。明日に、レッツゴーだ!
僕は笑顔で大空を見上げ、盛大に誓ってやった。
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