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「虹の音色」 第19話:ダメ
これは本当に無理だ……。
今度こそ思うが、これは間違っている気がする。
茶色の天井と壁には白の照明がある。床はダークブラウンのカーペット。席は紅色の大きなソファ。目の前には小さな丸型のガラステーブルがある。そのテーブルには赤ワインが置いてある。そして左隣には全身黒のドレスを着ている女性がいる。
「ずっと俯いてるけどどうしたんですか~? 何か悩み事?」
黒のドレスを着た女性が僕に話しかけてくる。
「あ、いや、そういうわけじゃ。ちょ、湊!」
「あ~なんだよ? 今盛り上がってる最中なのによ~」
少し間を空けて、右隣に座る湊に近づき声を掛ける。
(どうすればいいの!?)
僕は店内に流れるBGMにかき消されない程度の声で湊に言う。
「どうするも何もお姉さんと楽しくお話すりゃいいんだよぉ」
すでにお酒が回っている湊の顔は真っ赤で頭をふらふらとさせている。
「そうですよ~、せっかく来たんだからお話しましょ~?」
黒のドレスを着た女性は僕に近づき、グラスを差し出してくる。
「あ、す、すみません」
僕は差し出されたをグラスを持ち、一気に飲み干す。
「うわ~すごい飲みっぷり! もう一杯いっちゃいます?」
「あ、いえ、結構です」
そう。ここはキャバレーとクラブの中間形態の店と言われている、いわゆるキャバクラだ。
合宿が終わり、ゴールデンウィークに入る前日。なぜか湊にキャバクラに連れられている。
合宿が終わった後、湊には捜査協力をしてもらっていたことから結城凪砂さんのことを話した。そうしたら付いて来いと言われ、そのまま付いて行ったらいつの間にか今の状況になっていた。
湊のことだ。何か考えがあるのだろう。そう思って付いて来た僕がバカだった。
今までは、まあ経験のためにいいだろうと思って湊に連れられていたが、これはまあいいだろうにはならないだろう。僕に対するイメージが下がったらどうしてくれる!
「初めては緊張しますよね~」
黒のドレスを着た女性が僕に言う。
「初めて、というか、僕にはこういうの向いていないっていうか……」
膝に手を置き、俯きながら言う。
「向き不向きってありますよね」
「え」
急に女性は声の調子を落とした。
「あたしも、最初はこういう仕事向いてないと思ってました」
「そ、そんなこと、ないと思いますけど」
派手な格好を堂々とできる時点で向いていると思いますけど。というか、直視できない。
「そう言ってくれるの、嬉しいな~。そんなのお客さんしか言ってくれないです」
「そ、そうですか」
「でも、目の前のお客さんを楽しませられないあたしは、やっぱりこういうの、向いてないのかな」
女性は伏し目がちに言う。
「い、いや! そういうのじゃないと思いますよ! ぼ、僕が向いてないだけで」
「どんなお客さんでも楽しませなくちゃならないのが仕事なんですよ~」
どんな客でも楽しませなければならない……。
「それは、大変ですね」
「うん、だから、あたしの仕事はあなたを楽しませること。ね、楽しい話じゃなくてもいいですよ。悩み事でもいいんですよ~」
キャバクラの店員さんは悩み事も聴いてくれるのか。カウンセラーみたいだ。
「悩み事も聴いてくれるんですか」
「うん! もちろん!」
「すごいですね。羨ましいです」
「え~なに? お客さんもこういう業界に興味あるの?」
「あ、いえ、僕はこういう業界じゃなくて、その、カウンセラーを目指してるんです」
「カウンセラーの人って、大変なんじゃないですか~? あたしも人の話聴くのってちょう大変ですし」
「大変ですね。でも、やりがいはあると思います」
「それじゃあ、カウンセリング、してくれませんか?」
「もし悩みがあれば聴きます」
僕は女性に目を合わせる。落ち着いて、親身になって寄り添うんだ。
「あたし、全然指名されなくて」
「指名、ですか」
「はい。他にも可愛い子いっぱいいるから……。それに、あたし全然話上手くないし」
「そんなこと――」
「おい! 龍神! 楽しんでるかぁ!?」
隣で騒いでいる湊が急に話しかけてきた。
「今、カウンセリング中だよ」
「お前どこでもカウンセリングしようとしてんな」
「誰だって悩みがある。その悩みに寄り添うのが僕のしたいことだからね」
「俺ぁもう楽しんだから帰るぞ~」
「ちょ、待ってよ」
湊はふらふらと立ち上がる。倒れそうな勢いの湊を支える。
「うっ、急に立ったから吐きそう」
「トイレ行くよ」
「あっ」
僕の隣にいた女性が声を上げる。
「す、すみません」
僕は湊を早くトイレに連れてゆくため女性に頭を下げ、その場から去った。
湊は案の定、トイレに頭を突っ込んでいる。
「うぁ」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないのはお前だろ」
湊はトイレから顔を上げる。
「え、僕?」
たしかにこういうお店は僕の精神衛生上よろしくなかったが、やっと慣れてカウンセリングできるところだったのに。
「お前、カモられるところだったぞ」
「か、カモ?」
「お前の信用を得て、また客として来させる。そんで使命代もいただいて、お前の金をぶんどる」
「そ、そんな」
「気が付かなかったのか?」
「そんな余裕なかったよ」
「やっぱりな」
「やっぱりって?」
「とにかく外出んぞ」
湊はふらふらとしながら立ち上がる。僕は湊の肩を持ち、会計を済ませる。
ちなみに料金は、湊と割り勘しても一日のアルバイト代が吹っ飛ぶほどだった。
外を歩き、電車に乗る。
湊は相変わらず顔を真っ赤にし、膝に肘を当て、頭を下げている。
「大丈夫?」
「今日はちょっと飲み過ぎた」
「はぁ、本当になんなんだよ」
結局、湊の遊びに付き合い、こうして看病する羽目に遭っている。
「あれが、仕事だ」
「え?」
湊が顔だけを僕に向け、口を開く。
急に何を言っているのだろう。
「客の信用を得て、また来させる。お前は優しいからな。絶対ハマると思った」
「は、ハマんないよ!」
「お前、嘘見破れなかっただろ?」
「嘘?」
「お前に付いてたキャバ嬢、お前をハマらせるために動いただろ」
「う、うん。そういうことになるんだろうね。でも、あの人は本当に悩んでいたよ」
「んまあ、たしかに悩んでっかもしんねえけどよ、それでもお前は罠にはまりかけてた」
「……罠」
「焦ってんだよ」
湊は起き上がり、背もたれにもたれる。
「誰が」
「お前がだよ」
「僕?」
「結城凪砂の件でお前は決意を新たにした。でもな、肩に力入りすぎ」
「そんなことは……」
「お前の仕事はなんだ」
「僕の仕事。コールフレンド」
「そ。今日のは遊び。お前は遊びすらも仕事にしようとした。違うだろ。お前の仕事はコールフレンドを救うことだろ」
「……そうだね」
「誰かを救いたい。その気持ちはわかる。でもな、お前にはお前の仕事があんだよ。お前が救うべき人間がいんだよ。誰彼構わず救えばいいってもんじゃない」
「……うん」
「お前にしか救えない人がいる。それは間違っちゃいねえし、それで頑張るのは正しい。でも、あんま気張んな。もうちょい、もうちょいでいいから肩の力抜いてこうぜ。見ただろ? あの姉ちゃんたち。全然肩に力入ってねえ。プロだよ。焦らず、そして自分の為すべきことをする」
「よく、見てるね」
「あんな際どい格好してたら見るだろ普通」
「そういう意味じゃない」
湊はふざけているがやっぱり僕のことを思ってやってくれたんだ。
僕は焦って、肩に力が入っていたのか。そんな自覚、まったくなかった。
でもたしかにそうだ。あのまま店員さんの話を聴いていたら、僕はその人のためにできることをしようとしただろう。それは、僕の仕事じゃない。
僕のするべきことは、結城凪砂さんがやりたかったことはカウンセリングで人を救うことだ。湊の言う通り、誰彼構わず手を差し出すことじゃない。それを、僕ははき違えていた。
つい失笑してしまう。
「なに笑ってんだよ。可愛い姉ちゃんの姿でも思い出した?」
「違うよ。本当に僕はダメだなと思って」
「今さらだな」
「励ましの言葉を期待した僕がバカだったよ」
「お前だけじゃねえ。誰もがダメなんだよ。俺もそうだ」
「どういうこと?」
「ダメだから成長すんだろ。ダメじゃなくなったら成長しなくなっちまうじゃねえか」
「…………」
ダメじゃなくなったら、成長しなくなってしまう。
「自分がダメだと思わなくなったやつは成長しねえ。その分、お前と俺は自分がダメだと自覚してるから成長する。俺たち成長株」
「謙虚なのか、自信家なのか」
「謙虚でありながら自分を信じる。難しいよなあ。でも、たぶん結城凪砂はお前にそれができると思って託したんだと思う。お前なら、常に成長し続けるってな。だから反省するのはいいけど、あんま悲観的にもなるなよ。お前を信じてるやつがいんだから」
「うん」
僕は前を向く。対面に座っている人がいないから窓に映る自分が見える。
焦らず、肩の力を抜いて、謙虚に、自分を信じる。やっぱり難しそうだ。でも、それができるって信じてくれているんだ。
「俺も、お前を、いや俺たちを信じてる」
「そうだね。ありがとう」
『俺たちで救おうぜ。世の中の困ってる人たちをよ』
高校1年生のときに湊と交わした約束を思い出した。
そうだ。僕たちなら、困っている人たちを救える。
でも、気張らず僕にできることを精一杯するんだ。
そうして、僕を信じてくれる人たちを信じて、前に進むんだ。
電車は進んでゆく。湊は僕の肩で寝ている――。
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