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「虹の音色」 第24話:主人公①

 大学の講義が終わり、飲食店のアルバイトをする。
 アルバイトが終わったのは23時。
 飲食店のアルバイト先は家から自転車で15分程のところにあるステーキ屋だ。
 黒い制服には焼けた肉の匂いが付いている。その匂いだけでさきほど賄いのカレーを食べたのにも関わらず食欲が湧く。

 自転車を漕ぎながら私は次のレッスンで行われる課題曲を口ずさむ。
 それと同時に昼間の桜川くんの言葉を思い出す。
 
『これは霞ヶ浦さんの問題だ。それに僕が口出しをしていいのかな』
 
 私の問題。
 私に問題があるということは、今回のコールフレンドにおける対応に問題があるということだ。

 私のコールフレンド、利根義久とねよしひさくんの小説家になりたいという気持ちに対しての対応に何か問題があるということが示唆されている。

 やっぱり、学校に行かないなんて選択が問題なんだよね。

 間違っている、とは言い切れない。私自身、彼の夢を叶えたという強い意思は共感できる。

 でも、でもだよ。

 それと学校に行かないことは関係ないんじゃないかな。むしろ、高校に行けば、それなりの経験ができて、より小説家としてステップアップできるんじゃないかな。

 何度目になるかわからない問答を私は繰り返す。
 この、私の考え方が間違っているのかな。

 利根くんにとって、学校に行かずに夢を追うことが正しい。そういうことなのかな。

 私はそうは思えない。どうしてかわからないけど、それが正しいと確信できない。

 それとも、この確信できないということが私の問題、なのかな。夢を追うためには何かを犠牲にしなければならない。それが、答えなのかな。彼にとって犠牲にしなければならないものが高校なのかな。

 行方先生や桜川くんだったら、利根くんに対してどういう立ち回りをするんだろう。

 たぶん、ふたりとも利根くんの夢を否定することは言わない。むしろ応援するだろう。
 でも、その先がわからない。どういう形で応援するんだろう。

 私みたいに、高校に行けば色んな経験をして、それが小説家としてのキャリアのひとつになる、そうは言わないんだろう。

 じゃあ、なんて言うんだ。わかんない。答えが、見つからない。

 きっと、この答えが私自身の問題に繋がっているんだ。それはわかる。でも、その問題すら見えない。当然、その答えもわからない。

 やっぱり、私には無理なのかな。
 自転車を漕ぐ力が弱くなる。

 無理なのかな。利根くんにとって最善の選択をしてもらうことも。私が私自身の問題に気付くことも。……私の夢を叶えることも。

「はぁー」

 課題曲を口ずさむことすらもできなくなってしまった。

「……問題しかないよ」

 そうだ。私には常に問題がある。もしかして利根くんの問題は私に対する啓示なのかな。

 声優かボイスカウンセラーそれらを両立するのは無理だ、どちらかに専念しなければならない、と。それを自覚し、選択しなければならない、それが私の問題なのかな。

 だから桜川くんは私の問題に対して何も言えなかったのかな。遠慮して言わないでくれたのかな。

 なんとなくだけど、桜川くんはそういう人じゃないと思う。

 桜川くんは優しくて少し自己評価が低いところがあるけれど、それでもちゃんと強い意思を持ってる人だ。そんな人が私に遠慮して何も言えなかったなんて、そんなことない気がする。

 たぶんだけど、桜川くんは私を信じてくれている。問題を見つけて、向き合えると思ってくれている。だから何も言わなかったんだ。

 だとすれば、私の問題は、現実的に私の夢を叶えるのが難しいとかそういうものじゃない。

 じゃあ、なんだろう。

 結局私は家に着いてもその結論を見つけることはできなかった。
 
 
 深夜1時。コールフレンド専用の携帯電話から電話がかかってきた。利根くんからだ。

『俺の小説、読んでくれましたか』
「はい、読みましたよ。とても面白かったです」
『どこかこうした方がいいとかありますか』

 どこかこうした方がいい、ね。難しい。素人目から見たら何も直すところなんてない。

 でも利根くんは答えを求めている。ちゃんと答えなきゃ。

「私の目線からしたら、どうして主人公がお風呂に入るときに毎回、ヒロインである妹が脱衣所で裸なんだろうとは思いました。脱衣所に誰かがいたら気付くと思いますし、毎回ヒロインが裸なのも違和感があります」

 私は小説の内容を思い出し、思ったことをそのまま言う。

『ぐっ、それは……』
「それと、そこでヒロインは主人公に対して怒りますが、その後すぐに主人公に体を見られることを受け入れることに違和感があります。普通、怒ったらそのまま受け入れず、怒り心頭に主人公を追い出すと思います」
『そ、それはっ……』
「他には――」
『オーケーわかりました。これ以上は俺の精神がもたないので一旦ストップでお願いします』
「? すみません。全然的を射ない意見を言ってしまいましたか?」
『……いえ、毎回、的を射ています。矢が俺の心にダイレクトに刺さってます』
「否定的な意見ばっかり言ってしまってごめんなさい。でも、気になるところがあるだけで、全体的に面白いですよ」

 利根くんは妹に対して特別に愛情を注いでいる。そんな特殊な愛情に最初は少し抵抗があったが、主人公のカッコ良さには魅入られるし、ストーリー性もしっかりしている。読んでいて苦痛だとは思わない。

『……ありがとうございます』
「相変わらず、ゴールデンウィーク以降は学校に行っていないんですか?」
『そうですよ。おかげで妹への愛情が湯水のように湧いてきます。やっぱり俺天才』

 利根くんは自分の文才に自信を持っている。というより、妹への愛情の強さに自信を持っている。

「利根さんは妹いないんですよね?」
『いませんよ。喉から手が出るほど欲しいですがね』
「実際の妹は利根さんの理想とは程遠い存在だと思いますよ」
『やめて! やめて! そんな現実受け入れたくない! 妹は絶対的に兄が大好きなんです!』
「そんなに妹に愛されたいなら方法がないこともないですよ」
『マジですか!? どんな方法があるんですか!?』

 利根くんが興奮した様子で問うてくる。

「学校には兄がいる妹なんて沢山いるでしょう」
『ふんっ、なにもわかっていないな』
「そうですか?」

 首をかしげる。どうやら私はなにもわかっていないようだ。

『妹とは家族でなくちゃならない! 近い存在で兄を慕ってくれる存在でなければならない! そんな他人の妹など妹とは呼べない! ああ、ただし、妹といっても血の繋がりは関係ない!』
「そういうものですか」

 私自身、きょうだいがいるわけじゃないのでわからないが、利根くんにとって妹とは何か崇高なものなのだろう。

『妹への愛情を語ってやろう。小一時間掛かるがいいか?』
「あ、いえ、結構です」
『えぇ……、コールフレンドって話聞いてくれる人じゃないの?』
「聞きましたよ。前に2度ほど。同じ内容で」
『はんっ、妹への愛情が漏れ出てしまったか』
「ちなみに小一時間ではなく2時間です。合計4時間ほど聞きました」
『はぁ、自分の愛が恐ろしい』

 今日も深夜の電話に関わらず元気だ。

「生活リズムはしっかりしていますか?」
『愛に生活リズムは必要ですか?』
「健康ために必要です」
『…………』

 何も言い返せないみたいだ。

「またいざ学校に行くとなったときに不便ですよ?」
『はっ! 学校になど二度と行くまい!』
「どうしてそんなに頑ななんですか? 学校で嫌なことがあったんですか?」
『別に何もない。ただひとりで登校して、授業を受けて、ひとりで帰る。この繰り返しだ。まったく。これのどこに小説の参考になる要素があるのやら』
「実は利根さんの妹が高校に通っている、という可能性があるんじゃないですか?」
『なん……だと?』

 そんな可能性はあり得ない。
 しかし利根くんの心はなぜか揺らいでいるようだった。

『……その可能性を考慮していなかった』
「あの、すみません、冗談で言っただけで本気にしないでください。だいたい、利根さんは1年生でしょう。年下はいないじゃないですか」
『馬鹿めっ! 妹に年齢など関係ない』
「あなたの妹への概念が歪んでいることだけはわかりました」
『そうかぁ、その可能性があったか……』

 だからそんな可能性はない。

 だけどこれはチャンスなんじゃないんだろうか。理由はともかく利根くんが学校に行くきっかけになるんじゃないか。

「少しは学校に興味を持てましたか?」
『はい、明日から学校に行きます』
「今までの私の苦悩は……?」
『なんて言うと思ったか馬鹿め! 俺は騙されないぞ! 現実はクソだ! リアルにそんな二次元のような理想があるわけがない。あ、今のセリフ、タイトルにいいかもな』

 利根くんは電話の先で何かメモをしているみたいだ。今の会話に小説に活かせる要素があっただろうか。小説家ってやっぱり特殊な感性を持っているんだなー。

「現実が上手くいかないからこそ、その苦悩やつらさ、同じように退屈な学校生活を送っている読者に共感を持ってもらえる文章を書けるのではないですか?」
『あんたは妹か?』
「突然なんですか」

 利根くんは真面目なトーンで問うてくる。

『あんたは妹かと聞いているんだ』
「……いえ、妹じゃないですけど」
『じゃあ話は聞かん! 俺は妹の言うことしか聞かん!』
「話を聞いてお兄ちゃん?」
『はぁい! なんですか!? なんでも聞いちゃいますよお兄ちゃん!』

 なんて単純なんだ。ともあれ妹風のボイスを練習していた甲斐があった。

「学校に行っているお兄ちゃんが、かっこいいな~」
『ぐっ、そ、そうなのか……』

 私はコールフレンドに対して何をしているんだろう。ダメだ。正気に戻ったらいけない。

「学校に行って~、でも実は小説家でした、みたいなのかっこいいと思うな~」
『た、たしかにそれはいかにもラノベ主人公っぽい! そういうのが好みなのか妹よ!』
「実際かっこいいと思いますよ」

 私は平常に戻り、思ったことを言う。

『なんだよ妹じゃないじゃねえか。けっ、耳汚しが』

 さすがにここまで言われると私も腹を立つが、なんとか平静を保つ。

「ライトノベルの主人公になりたくないんですか?」
『どういうことだよ』
「高校生ライトノベル作家。こんな肩書きを持つ人はまさに主人公とは言えませんか?」
『……それは、たしかに憧れるけど。でも俺はまだラノベ作家になってない。普通のどこにでもいる平凡なモブキャラだ』

 こんな個性的なモブキャラがあっていいんだろうか。

「そんなことないですよ。利根さんは立派な主人公です」
『……主人公になりたいから、頑張っているんだ』
「どういうことですか?」
『俺はまだなんでもない人間だ。でも、ラノベ作家になったら俺は主人公になれる。そのためには、他に目をやってる暇なんてない。俺は、学校なんてそんな保険に逃げない』
「……保険」
『だから俺は逃げない。俺は、主人公だから』
「利根さんは学校に行くことが保険だと思っているんですね」

『それ以外のなんだっていうんだ。いずれ就職するためのレールでしかないだろ。俺はそんなモブキャラAにはならない。主人公になるって決めたんだ』

 学校に行くことが逃げになる。たしかに学校という学び舎はいずれ社会で適応してゆくための育成機関だと言える。でも利根くんにとっての社会は小説家以外ないんだ。

 彼の求める社会で生活してゆくためには学校という社会適応の育成機関は必要ないということだ。


 主人公になりたい。


 電話をすると毎回のように言う。そしてその強い気持ちが利根くんを動かしている。

 そしていつも私は言う。あなたはもうすでに主人公だ、と。しかしその言葉で彼は納得しない。彼の中ですでに理想の主人公像ができているんだ。

 誰がなんと言おうが、彼を動かすのは彼の求める理想だけだ。

「どうしてそこまで主人公になることにこだわるんですか?」
『俺には何もないから』
「何もないなんてそんなこと――」
『本当になにもないんだ。運動も勉強もそこそこ。見た目も普通。何もない。でも唯一できることがある。それが小説を書くこと。それで成功すれば俺は、何もない人間じゃない。ラノベ作家主人公、利根義久でいられるんだ』

 自分の唯一できることをして、それで主人公になる。

「その気持ちは、わかります」
『レールに乗ってるあんたに何がわかる』
「私にも夢があるんです」
『興味ない。どうせあれだろ? 良い就職先に就いて、結婚して、順風満帆な人生を歩む、とかだろ』


「違います。私も、主人公になりたいんです」


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